創立80周年記念企画⑬ 平成から令和へ―恩方を襲った豪雨、そしてコロナ前夜 ― 平成31年4月~令和2年3月 ―
- 公開日
- 2026/09/18
- 更新日
- 2026/09/18
周年行事事業
+2
恩方中学校の沿革
平成31年4月 第22代校長・守屋和広のもと、新年度がスタート。校長人事の変更なし。
令和元年10月 台風19号(令和元年東日本台風)により恩方地域が大きな被害を受ける。恩方中学校でも西側の尾根から多目的広場へ土砂が流入し、多目的広場上流部の一部が濁流により削られ、一時使用できない状態となる。
令和元年10月 学校前の大沢地区でも山腹崩落や民家への土砂流入などの被害が発生。地域の復旧作業に恩方中学校の生徒も協力。
令和2年3月2日 新型コロナウイルス感染予防のため臨時休校開始。
一年の間に二度、「当たり前」が変わった
平成31年4月、恩方中学校は第22代校長・守屋和広のもと、新しい年度を迎えました。
そして5月1日、元号は「平成」から「令和」へ。昭和22年に創立した恩方中学校も、昭和、平成、令和という三つの時代を歩む学校となりました。
日本中が新しい時代の到来に沸き、翌年には東京2020オリンピック・パラリンピックを控えていました。しかし、恩方にとっての令和元年度は、華やかな「改元の年」だけでは語ることのできない一年となります。
恩方を襲った台風19号
令和元年10月12日、台風19号が関東地方を襲いました。
山と川に囲まれた恩方地域では、河川の増水、道路の崩落、浸水、土砂災害などが相次ぎました。陣馬街道も寸断され、その影響は地域住民の生活だけでなく、子どもたちの学校生活にまで及びました。
そして、恩方中学校そのものも被災しました。
学校西側の尾根から土砂が流れ出し、恩方川沿いの多目的広場へ流入。さらに、多目的広場上流部の一部は濁流によって削られ、一時使用することができなくなりました。
いつも目の前にある山。いつも学校のそばを流れている川。
豊かな自然に囲まれていることは恩方の大きな魅力です。しかし、この日の豪雨は、その自然が時として学校生活を一変させるほどの力をもつことを見せつけました。
学校の目の前、大沢地区でも土砂災害
被害は校地だけではありません。
恩方中学校の目の前にある大沢地区でも大きな被害が発生しました。聖パウロ学園へ上がる道の右手側では山が崩落し、土砂が民家へ流入しました。
東京都の当時の被害記録にも「恩方中学校付近」で家屋への土砂流入が発生したことが残されています。
毎日通っている道、見慣れた山、地域の人々が暮らしている家――その日常の風景が一夜にして変わりました。
そして、地域の復旧作業には恩方中学校の生徒たちも協力しました。
自分たちの学校も被災している。その中で、目の前で被害を受けた地域のために中学生も力を貸す。
恩方中学校と地域との関係は、学校行事や地域行事だけでつくられてきたものではありません。困ったときに互いに支え合う。その姿もまた、長い学校史の中で受け継がれてきた「地域とともにある学校」の姿でした。
「いつもの学校」に通えなくなった恩二小
さらに深刻な影響を受けたのが、上恩方町の恩方第二小学校でした。
恩二小へつながる都道・陣馬街道が河川の増水によって崩落。10月13日から一部で片側通行となったものの、大型車両が通行できず、児童の多くが利用する路線バスも学校付近まで運行できなくなりました。
そのため、10月18日から恩方第二小学校の児童は、下恩方町にある恩方第一小学校の教室を間借りして授業を受けることになりました。
一つの校舎で、二つの学校の子どもたちが学ぶ。
当時、保護者からは「子どもたちも自分たちも大好きな恩二小なので、一日も早く戻りたい」との声も聞かれました。
校舎が壊れたわけではありません。それでも、そこへ続く道路が失われれば学校へ通えなくなる。陣馬街道と路線バスが、上恩方で暮らす人々にとってどれほど大切な生活の「動脈」であるのかを改めて実感させる出来事でした。
恩方中学校では多目的広場が使えない。
大沢地区では民家に土砂が流れ込む。
恩方第二小学校では、子どもたちがいつもの学校へ通えない。
そして恩方第一小学校が、その子どもたちを受け入れる。
台風19号は、恩方の学校と地域全体の日常を大きく変えた災害だったのです。
SNS時代に起きた、もう一つの混乱
この災害では、令和という時代を象徴するような出来事もありました。
当時のANNニュースで、「恩方中学校は1階部分まで水没し、地域住民が2階へ避難している」という趣旨の情報が報じられました。
しかし、実際には恩方中学校の校舎1階が水没した事実はなく、地域住民が2階へ避難しているという状況でもありませんでした。
一方で、恩方中学校前の道路や周辺の住宅地で冠水や土砂災害が発生していたことは事実でした。
平成から令和にかけてスマートフォンとSNSは急速に日常生活へ浸透し、災害現場の写真や情報が瞬時に広がる時代となっていました。学校周辺の冠水情報などが伝わる過程で、「学校周辺の被害」が「学校そのものの水没」という情報へ変化した可能性も考えられます。ただし、誤った情報が生じた具体的な経緯については確認できていません。
災害時には、速さだけでなく「何が事実なのかを正確に伝えること」が重要である――。台風19号は、自然災害への備えとともに、情報社会における新しい防災の課題も残しました。
そして5か月後、今度は学校そのものが止まった
台風から地域が立ち直ろうとしていた令和2年の年明け。
世の中では「東京2020」への期待が高まる一方、中国・武漢で発生した新型コロナウイルスに関するニュースが次第に大きく報じられるようになります。
そして2月末、事態は急変しました。
令和2年3月2日、恩方中学校は新型コロナウイルス感染予防のため臨時休校に入りました。
これは現在の学校沿革にも明記されている、恩方中学校史の大きな転換点です。
10月には、台風によって学校施設が使えなくなり、地域の小学生が「いつもの学校」へ通えなくなりました。
それからわずか5か月後。
今度は感染症によって、恩方中学校の生徒たちも学校へ通えなくなったのです。
台風によって「当たり前」が壊れた秋。
感染症によって「当たり前」が消えた春。
令和元年度は、恩方にとって単なる「平成から令和へ」の一年ではありませんでした。
自然災害によって学校と地域がともに傷つき、それでも恩方第一小学校が恩方第二小学校の子どもたちを受け入れ、恩方中学校の生徒たちは被災した地域の復旧に力を貸しました。
そこにあったのは、学校と地域を別々のものとして考えるのではなく、地域全体で子どもたちを守り、子どもたちもまた地域を支える姿でした。
現在、恩方中学校が大切にしている**「恩方の子どもは恩方で育てる」**という考え方。その意味を、災害という厳しい現実の中で改めて示した一年でもあったのです。
そして、この年度の最後に始まった臨時休校は、翌令和2年度、これまで誰も経験したことのない学校生活へとつながっていきます。
地域とともに、80年。光り続ける恩方へ。