学校日記

【広島・長崎原爆投下】8月9日 長崎原爆の日に寄せて ― 81年前を「過去」にしないために ―

公開日
2026/08/09
更新日
2026/08/09

今日の出来事

8月9日、長崎に原子爆弾が投下されてから81年を迎えます。


8日、早川副校長が、原爆で亡くなられた方々への慰霊と、社会科教員として改めて戦争と平和について学ぶため、広島を訪れました。


青い空と緑の中に立つ現在の原爆ドーム。しかし平和記念資料館に残された写真には、同じ場所とは思えないほど破壊された街が広がっています。その落差を目の前にすると、81年という歳月の重さと、今ある日常が決して当たり前ではないことを感じます。


原爆ドームや平和記念資料館には、日本人だけでなく、多くの外国人の姿がありました。国籍も言葉も異なる人々が展示の前で立ち止まり、81年前にここで何が起きたのかを知ろうとしていました。その光景はとても印象的でした。


1945年8月6日の広島、そして8月9日の長崎。そこで失われたのは、歴史の教科書に記された「数字」ではありません。一人ひとりに名前があり、家族があり、大切な人がいて、その日の朝まで続いていた生活がありました。それらが一瞬にして奪われたという事実を、私たちは忘れてはなりません。


一方、社会科教員として歴史を考えるとき、大切にしてきたことがあります。それは、歴史を一つの立場からだけ見ないことです。


日本にとって8月は、広島・長崎をはじめ戦争で亡くなられた方々を慰霊し、平和を願う大切な時期です。しかし、日本との戦争によって大きな被害を受けた国や地域から見れば、戦争の終結を「勝利」や「解放」として記憶している人々もいます。同じ出来事でも、どこに立つかによって、その意味は違って見えることがあります。


最近公開された「ちいかわ」の映画を観た際にも、思いがけず似たことを考えました。作品の具体的な内容に触れることは控えますが、登場する者たちには、それぞれ守りたいものがあり、それぞれの事情や悲しみがあります。一方から見れば正しいと思える行動も、別の側から見れば全く違ったものに映る。かわいらしい世界の物語でありながら、「立場が変われば、見えている正義も変わることがある」ということを考えさせられました。


もちろん、これは戦争の歴史と物語を同じものとして扱うということではありません。しかし、相手には相手の歴史があり、悲しみがあり、そこから見えている世界がある――そのことを想像する力は、歴史を学ぶ上でも、日々を生きる上でも大切なのだと思います。


81年が過ぎた現在も、核兵器は世界からなくなってはいません。世界の大きな問題を、私たち一人の力ですぐに解決することはできません。


それでも、できることがあります。


知ること。忘れないこと。相手の立場を想像すること。そして、学んだことを次の世代へ伝えること。


写真に残る焼け野原の広島と、青空の下に立つ現在の原爆ドーム。その二つの風景の間には、「二度と繰り返してはならない」と願い続けてきた人々の81年間があります。


8月9日。長崎で失われた多くの尊い命に、心から哀悼の意を表します。


81年前を、ただの「昔」にしない。
誰かの正義だけで歴史を見ない。
知り、考え、想像し、そして伝えていく。


それが、今を生きる私たちにできる慰霊であり、平和への小さくても確かな一歩なのだと思います。