学校日記

【テレビ朝日系列11月27日放送予定 相葉ヒロミのお困りですカー】恩方に古墳はあるのか!?第3回

公開日
2025/11/24
更新日
2025/11/19

今日の出来事

前回の「恩方に古墳はあるのか」の第2回の続きです。

27日㈭に、いよいよ収録した「相葉ヒロミのお困りですカー」本編が放映されます。

前にもご紹介したように、私たちが取材クルーや撮影ディレクターの皆さんと知り合ってから約3か月、テレビ朝日の方々は本当に丁寧な取材や撮影・準備を行ってくれていました。正直、バラエティ番組の場合は撮影をしてそれで終わりみたいなイメージがあったのですが、テレビ朝日のスタッフ(制作会社としては㈱ブロックス)の皆さんは礼儀も正しく、生徒や先生方に寄り添って対応してくれていました。

いずれにしても、番組としてもそうですが、国民的大スターが絡んでいるプロジェクトですし、どこで情報が洩れて大混乱になるかわからない。

生徒の安心・安全も確保しつつのプロジェクトだったので、撮影当日までは校長・副校長以外は何も知らない教員たちの状態で本当に大変でした。全ては生徒たちの喜ぶ姿だけを信じての約3か月もようやくこれで終了です。


さて、本題の「恩方に古墳はあるのか」。


その結末は番組の中でご確認いただければと思いますが、以下に示した内容は前回から社会科教員としての副校長の私的考察ですので、公式発表とは異なりますのでご注意ください。


表題の疑問を紐解くために、注目すべき八王子市内の遺跡がいくつかあります。

①中田遺跡公園(中野町)

一つ目は、恩方からもほど近い、楢原中・甲の原中・第二中の方面に都営中野団地があります。

この団地造成に伴い、埋蔵文化財の調査のために昭和41年(1966年)から翌年にかけて八王子市は発掘調査を行ったそうです。

すると、この調査から縄文時代から平安時代に至る、当時としては非常に大規模な集落遺跡が発見され、大変大きな注目を集め、昭和45年に一部が市の史跡に指定され、公園として整備されました。これが中田遺跡公園と呼ばれる、通称「遺跡公園」です。

この遺跡の最盛期は古墳時代後期にあたる6世紀・7世紀です。70軒を超える竪穴住居跡が発見されました。現在、そのうちの4軒について、住居跡の位置がわかるように整備されています。

また、遺跡から出土した多数の土器・石器などの遺物は、郷土資料館に保管され、一部は桑都日本遺産センター八王子博物館(はちはく)で展示されています。 (※ 企画展などで展示されていないこともあります。)


②北大谷古墳(大谷町)

そして、もう一つがかつては小宮村と呼ばれていた場所、現在の八王子市大谷町にある北大谷古墳(きたおおやこふん)です。

このあたりは、ひよどり山中・石川中・第一中の方面で、小宮公園に隣接しています。7世紀前半に築造されたとみられる終末期古墳で、古墳の形は円墳説と方墳説があり、現在のところ未確定です。1936年(昭和11年)3月に東京都旧跡に指定されました。


③椚田遺跡公園(椚田町)

それ以外にも、椚田町には縄文時代中期の典型的な集落跡があります。270軒以上の住居跡が直径150メートルの環状に展開しているもので、現在は、一部を遺跡公園として整備しています。


こうした史跡から見ても、八王子市周辺には縄文時代後期から古墳時代にかけて多くの集落が点在し、八王子周辺の自然と共生する形で存在していたことがわかります。普通に考えても、山があり川があって木の実やキノコ、魚や鹿・イノシシなど水も食べ物も十分に手に入り、温暖な気候だった八王子市は古代人にとっても住みやすい環境だったことが容易に想像できます。


以前、紹介した昭和42年に始まった「狐塚遺跡」周辺の発掘調査によって恩方地区には22の遺跡が発見されたとなっています。

これらの遺跡からは縄文土器をはじめとして石斧など縄文時代中期・後期の遺物が多数発見されています。このことからも、恩方地区にも同様に縄文中期・後期の数多くの集落が存在していたことがわかります。



特に注目すべき点は、古墳時代から弥生時代の遺物がほぼ皆無なのは、恩方地域には恵まれた自然によって他の地域で発生したような集団農耕社会が発展しにくかったのではないでしょうか。


しかし、数少ない古墳時代の遺物が案下周辺から見つかっていることは私は特筆すべき点と思います。

先ほどの北大谷古墳について述べましたが、八王子には縄文時代後期から古墳時代にかけて古墳が建設されています。

この古墳からも、この地域を支配する権力者が存在していたことがわかっています。

そして、多摩地区で見つかっている古墳の形状はほぼ円墳や方墳と言われており、前方後円墳などと比較してもいちから古墳を建設するのではなく、古墳の多くが山岳地帯を利用して古墳を形成していた資料も数多くあり、山岳地帯の多い上恩方周辺に古墳が作られていた可能性は十分にあります。


また、恩方中学校周辺の大久保遺跡では、時代をまたがった遺物が数多く出土されており、この地域には縄文時代以降も多くの集落が存在していたことが伺われます。

恩方中学校の古い卒業生の話では、恩方中学校ではよく学校の時間を利用して、地域を散策し土器を見つけに行っていたと聞きました。それほど、この周辺には古い集落がかつてたくさん存在していたことがわかっています。

また、大根を植えると先端が曲がって育った話も証言に残っていました。これらは、一定の地層に固い地盤や住居跡があり、農作物に影響を与えていていることの証明とされています。

恩方中学校周辺は大久保遺跡と呼ばれており、昭和44年の調査資料にもたくさんの記録が残されていました。

この大久保周辺が、時代考証的に話題となるのは、それよりもっと後の室町時代。この頃には浄福寺城といった山城が建設され、陣馬山を超えた街道も整備され、歴史的要衝となっていたことからも、この地域には長年にわたって住居群が形成されていたことがわかります。


歴史の授業でもやったと思いますが、縄文時代の形成された小さいな集落は、次第に農耕社会への変化の中で大規模グループに変化し、強い権力者のもとで集約され地域の王となり古墳が権力の象徴となっていきました。

恩方地域では、豊富な自然と食材を背景に地域の勢力図が形成され、他地域ほどの農耕社会を生み出すことはなかったかもしれません。

しかし、農業を中心として支配構造が変化するの中で、恩方地域にもリーダーが生み出され、多摩地域全体や関東全域の支配構造の中に組み込まれていったことは当然の結果だと思われます。

そして、今回のテーマの結論としては、


恩方地域には大きな集落形成を証明する遺物は発見されていないものの、集落群が形成された跡はあることから、古墳が形成されていてもおかしくはない。


そして、立地条件上、古墳の形状は山岳地帯を利用した円墳や方墳だった可能性が高いということです。


3回に分けて見てきた「恩方に古墳はあるのか」。

結論としては、こうした遺跡・遺物は発見されていないが、あった可能性は高く今後の科学の発展によって解明がまたれるということです。

「もし恩方に古墳が発見されたら恩方が有名になるかもしれない」

そんな夢を与えてくれたテレビ朝日の番組スタッフにあらためて感謝を申し上げたいと思います。

子どもたちの「恩方に有名人が来ない」「恩方をもっと有名にしたい」

私たち教員の願いである「恩方中でよかったと思える思い出をつくってあげたい」

こんな素朴な願いを真剣に取り組んでくれた嵐の相葉雅紀さん、八王子出身のタレントヒロミさん、この企画を最後までこちらの希望や状況を聞き入れてお付き合いいただいたテレビ朝日番組制作スタッフの皆様、心より御礼申し上げます。

そして恩方中学校の「お困りごとが無事解決しました」と申し上げたいと思います。


本編の番組は予定通りでいけば、27日(木)19時から放送です。※予告なく変更となることがあります