【テレビ朝日系列11月27日放送予定 相葉ヒロミのお困りですカー】恩方に古墳はあるのか!?第2回
- 公開日
- 2025/11/17
- 更新日
- 2025/11/12
今日の出来事
前回の「恩方に古墳はあるのか」の第1回の続きです。
様々な縁から始まったテレビ朝日のスタッフさんたちとの出会い。
昔、私は先輩や上司からよく「人と人の出会いは一期一会、色々な人との出会いを大切にしなさい」と言われましたが、今回の撮影は本当にふとした出会いから始まりました。一般的にはテレビ局の人が来て、「困っていることはありませんか」と尋ねられたら、うちは結構ですとなります。
しかも、学校って基本は公共機関なのでこうした対外的なマスコミ対応は報告義務が生じますからなおさらです。
特色ある恩方の地域に、ちょっと風変わりの副校長がいて、寛容さと信頼を兼ね備えた校長という奇跡の組み合わせが成立したことで今回の出会いが実現しました。
それでは、番組の予告で出ていた「八王子に古墳!?」の謎を今回も紐解いていきたいと思います。
昭和44年3月に発行された「八王子市恩方地区における考古学的調査」という、八王子市教育委員会が発行した資料を入手し読み解いてみました。
これは、恩方の研究に一生を捧げられた、塩田真八と坂本権八というお二人の人物の研究の成果をもとに、昭和42年に始まった「狐塚遺跡」周辺の発掘調査に恩方中学校社会科クラブの生徒たちや教職員・都立南多摩高校地歴部の高校生が参加し土器の発掘や石器の発掘の調査報告書です。この発掘によって復元された土器などをもとに、時代考証などを重ね見えてきた恩方地区の歴史の大切な資料となっています。
この報告書によると、この調査によって恩方地区には22の遺跡が発見されたとなっています。ちなみに地名は当時のものをそのまま使用しています。
1 西寺方町字大幡(宝生寺団地)
2 西寺方町字下小田野
3 西寺方町字中小田野
4 下恩方町字深沢
5 下恩方町字上宿
6 下恩方町字辺名
7 下恩方町字松竹
8 下恩方町字大久保
9 小津町字ミヤ
10 小津町字中小津
11 上恩方町字黒沼田
12 狐塚遺跡
13 上恩方町字力石
14 上恩方町字上ノ久保
15 上恩方町字宮ノ下
16 上恩方町字高留
17 上恩方町字振宿
18 上恩方町字醍醐周辺
19 上恩方町字川井野
20 上恩方町下案下
21 上恩方町明王峠
22 上恩方町下案下~裏高尾町小下沢
この22の遺跡の大半が、縄文時代前期から中期・後期に至るもので、特に縄文時代中期に恩方川流域に多くの集落が点在していたことがわかります。
これは現在の恩方と照らし合わせてみても、食料となる植生や魚、小動物の多さを考えて当然の帰結であり、それだけ原始的な生活に不自由のない環境があったこと示しています。
そもそも、自然豊かな地形に恵まれた八王子は、自然の恵みを糧とする原始・古代の人々にとって、住みやすい地域だったと考えられています。
八王子市の資料には由木地区で縄文痕跡が多数出土されており、多摩ニュータウンNo.402遺跡(松木)が特に有名となっていますが、こうした資料を読み解くと恩方地域でも同様に縄文時代に多くの人々が生活をしていたことがわかってきます。
八王子に暮らした人々は、遥か昔から自然と共に歩み、共同生活を営み、人や自然に対する優しさを持ち合わせていたのでしょう。そうした人々の心は、人や地域とのつながりを大切にしながら暮らし、発展してきた八王子の根底に受け継がれているのかもしれません。
次回は八王子に古墳はあったのかについて、今回紹介した恩方の縄文遺跡を関連付けて検証していきたいと思います。