創立80周年記念企画⑧ 昭和から平成へ―新しい時代を迎えた恩方中学校 ― 昭和63年4月~平成7年3月 ―
- 公開日
- 2026/09/15
- 更新日
- 2026/09/15
周年行事事業
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恩方中学校の沿革
昭和63年4月1日
心身障害者理解教育推進協力校の指定を受ける。平成元年4月1日
第14代校長 佐藤剛 退職。
第15代校長として 野村竹治 着任。平成4年6月30日
プール改築工事完了。平成5年4月1日
第15代校長 野村竹治 退職。
第16代校長として 渡辺恵敏 着任。平成5年12月21日
パソコン教室竣工。
コンピュータを活用した新しい学習環境が整い始める。
昭和から平成へ ― 変わりゆく八王子と恩方中学校
昭和63年(1988年)4月。恩方中学校は創立41年目の春を迎えました。
この年、日本では東京ドームが開場し、「ビッグエッグ」の愛称が話題になりました。青函トンネル、瀬戸大橋も開通し、日本各地がより速く、より便利につながっていった時代です。
しかし、翌年1月7日、昭和天皇が崩御。64年続いた「昭和」が終わります。
平成元年(1989年)。
テレビや新聞に掲げられた「平成」の二文字。当時を知る人にとって、元号が変わったあの日の光景は、今も記憶に残っているのではないでしょうか。
恩方中学校でも同じ平成元年4月、大きな引き継ぎがありました。第14代校長佐藤剛が退職し、第15代校長野村竹治が着任しました。昭和に生まれ、40年以上の歴史を積み重ねてきた恩方中学校も、新しい「平成」の時代へ歩み始めたのです。
そして、この頃の八王子はまだ大きく成長を続けている都市でした。
昭和58年に人口40万人を突破していた八王子市では、その後も人口が増え続けます。昭和63年度には5,914人、平成元年度には実に9,242人増加。その後も平成6年度まで毎年5,000~7,000人規模の増加が続いていました。
現在の八王子から振り返ると、この人口増加の勢いは驚くほどです。
市街地には住宅が広がり、多くの人が八王子へ移り住む。大学も集まり、道路や公共施設が整えられていく。一方、西部の恩方には山々や浅川水系の豊かな自然、古くからの地域のつながりが残っていました。
急速に都市として成長する八王子と、自然豊かな恩方。
恩方中学校は、その両方を身近に感じる場所にありました。
平成元年には大横町に「こども科学館」が開館します。現在のコニカミノルタ サイエンスドームです。平成2年には鑓水に「絹の道資料館」が開館。かつて生糸を横浜へ運んだ「絹の道」という八王子の歴史を伝える施設も誕生しました。
新しいものをつくる一方で、自分たちの地域の歴史も残していく。
平成に入った八王子には、そんな動きも見えてきます。
社会に目を向ければ、まさに激動の時代でした。
平成元年にはベルリンの壁が崩壊。平成3年にはバブル経済が崩れ始め、日本社会を包んでいた華やかな空気も少しずつ変わっていきました。
携帯電話はまだ一部の大人のもの。友達への連絡は家の固定電話が中心です。電話をかければ、まず友達のお父さんやお母さんが出ることもある。「○○君、いますか」と緊張しながら取り次いでもらう――そんな時代でした。
平成3年(1991年)、八王子市では市の鳥「オオルリ」が制定されました。豊かな自然をもつ八王子らしい鳥です。恩方の山々にも重なるその姿は、都市化が進む中でも自然を八王子の大切な財産としていこうとする時代を象徴しているようにも見えます。
平成4年6月30日、恩方中学校ではプールの改築工事が完了しました。
同じ平成4年、八王子市では流域下水道の浅川処理場と八王子処理場が開設されます。人口が増え続ける都市を支えるためには、目立つ建物だけではなく、上下水道をはじめとする生活基盤の整備が欠かせませんでした。
学校のプールが新しくなり、まちでは下水道施設が整えられる。規模こそ違いますが、どちらも人口が増え、生活が豊かになる中で、昭和につくられた施設を平成の時代に合わせて更新していく動きでした。
平成5年4月、第15代校長野村竹治が退職し、第16代校長渡辺恵敏が着任しました。
そして、この年の12月21日。恩方中学校に、これからの教育を大きく変えていく施設が誕生します。
パソコン教室です。
今では生徒一人一台の端末があり、教室でインターネットを利用することは珍しくありません。しかし平成5年(1993年)、家庭にパソコンがあること自体がまだ一般的とはいえない時代でした。
画面も操作方法も現在とはまったく違います。それでも、学校にコンピュータ専用の教室ができたことは、「これからの社会ではコンピュータを使う時代が来る」という変化を、生徒たちが直接感じる出来事だったはずです。
同じ平成5年、八王子市には甲の原体育館が開館しました。そして平成6年には、本町に芸術文化会館「いちょうホール」が開館します。スポーツ、文化、科学、歴史。平成初期の八王子では、市民が学び、活動し、文化に触れるための施設が次々と整えられていました。
学校の外にも、新しい「学びの場所」が増えていった時代だったのです。
一方、子どもたちを取り巻く社会も大きく変化していました。
平成4年には学校週5日制が月1回から始まり、平成5年にはJリーグが開幕。テレビでは「ドーハの悲劇」が大きく報じられました。音楽ではCDが全盛期を迎え、テレビゲームも家庭に広がっていきます。
そして平成7年(1995年)1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。
高速道路が倒れ、建物が崩れ、街が炎に包まれる映像は、それまでの災害に対する常識を大きく変えました。学校にとっても「子どもの命をどう守るのか」「災害時に学校はどのような役割を担うのか」を改めて考える時代へ入っていきます。
昭和63年4月から平成7年3月までの7年間。
恩方中学校では、障害への理解を深める教育が進められ、校長が二度引き継がれ、プールが改築され、そしてパソコン教室が誕生しました。
八王子市では人口増加が続く中、こども科学館、絹の道資料館、甲の原体育館、いちょうホールなどが次々と誕生し、都市としての機能と文化が充実していきました。
そして日本は、昭和から平成へ。バブルの時代から、その崩壊後の社会へ。世界も冷戦終結へと大きく動きました。
振り返ってみると、この時代の恩方中学校と八王子には共通するものがあります。
「これまで築いてきたものを大切にしながら、新しい時代に備える」ことです。
自然豊かな恩方の風景の中にパソコン教室ができた平成5年。その光景は、まさにこの時代を象徴していたのかもしれません。
昭和に生まれた恩方中学校は、地域に根を張りながら、平成という新しい時代へ確かな一歩を踏み出していきました。
地域とともに、80年。光り続ける恩方へ。