恩方中学校はなぜ山の中にあるのか
- 公開日
- 2025/08/09
- 更新日
- 2025/08/09
今日の出来事
昨日も暑い日でした。そんな中で頑張って練習をしていた部活もありました。こんな暑い日に大丈夫かと思われる方もいますが、本当に顧問や指導員の方々が生徒たちをよく観察しながら部活を維持しています。
恩方中学校は他の中学校に比べると山間部にある為、風が吹く日が多く熱はこもりにくくなっているかと思います。古くから交通の要衝として栄えた地域なので、陣馬山を抜ければすぐ山梨県につながっています。
恩方中学校は恩方村立恩方中学校として開校しました。恩方地域には古くは明治時代に下恩方・西寺方地域に恩方学校として設立された恩方第一小学校、案下・醍醐・力石地域に案学校として設立された恩方第二小学校がありました。現在の中学校が出来たのは戦後になってからです。
明治22年に町村制が施行されると神奈川県南多摩郡上恩方村、下恩方村、小津村、西寺方村が合併し南多摩郡恩方村となり、浄福寺周辺に村役場があったと推察されています。東京都(当時は東京府)に編入されたのは明治26年になってから。南多摩郡・北多摩郡・西多摩郡と共に編入されました。ちなみに恩方第一小学校の場所は浄福寺の末寺である真福寺のあった場所、恩方中学校の場所は学制ができる前から寺子屋を開き教育に力を注いでいた皎月院の敷地の一部に設立されました。
これらのことからも恩方地域には、八王子とは異なる独自の文化が形成されていたことがわかります。なぜ、こんな山の中に中学校があったのか。それは恩方地域の文化の中心地がこの辺りだったからなのです。ちなみに写真は昭和48年当時の恩方中学校。現在の校舎が木造校舎だったことがわかります。