学校日記

1月29日(木)相手が受け入れられる「ごめんなさい」とは…(謝罪の目的)

公開日
2026/01/29
更新日
2026/01/27

学校長より

数年前、学生時代からの数少ない友達と飲みに行った際のノンフィクションの会話から感じたことを伝えたいのですが、実話はかなりシリアスな内容ですので、生成AIの力を借りて、類似の事例を小学生版のフィクションに作りかえてみました。


たけし「この前、前にけんかした友だちを見かけたんだ」

ゆうた「じゃあ、あやまればよかったじゃん」

たけし「うーん、ちょっとちがうかなって思って」

ゆうた「え? あやまるのはいいことじゃないの?」

たけし「もし、その子が、今はまだ話したくないとか、どんな顔して話せばいいかわからないとか思ってたらどうかなと思って…」

ゆうた「たしかに…」

たけし「『ごめん』って言うことで、ぼくがスッキリしたいだけになるかもしれないでしょ」

ゆうた「自分のためだけの『ごめん』ってこと?」

たけし「そう。あやまるって、相手の気もちがだいじだと思うんだ」

ゆうた「じゃあ、いつあやまるの?」

たけし「もし、その子が『話してもいいよ』って言ってくれたら、そのときに、ちゃんとあやまりたい」

ゆうた「謝りたいけど謝れないというたけしさんの気持ちはどうするの?」

たけし「それは、じぶんの中で反省して、わすれないようにする」

ゆうた「なるほど…あやまらないことも、にげじゃないんだね」

たけし「うん。相手の気もちを考えることが、いちばん大事だと思う」


謝ることの本質的な目的は、相手に不快な思いや不安、悲しみを与えてしまった事実を受け止め、その気持ちに寄り添い、関係を回復するために行うものだと思います。

しかし一方、謝罪は時に、「許してほしい」「水に流してほしい」と、許しを請う行為として受け止められてしまうこともあります。

相手の心の整理が追いついていない段階での謝罪は、相手にとってはかえって負担となり、「もう終わったことにされるのでは」という不安を与える場合もあります。

だからこそ大切なのは、謝る側の気持ちを優先するのではなく、相手の感情や状況を尊重することだと思います。

謝罪はその判断を委ねる行為であり、結果として許されるかどうかは、謝罪を受けた側の問題です。

誠意ある謝罪とは、許されることを目的とせず、関係修復への第一歩として責任を引き受ける姿勢を示すことだと思います。

小学校期は、たくさんの失敗を大人の手を借りながら自身の学び、成長とするとても大切な時期です。

われわれ大人は、謝るということの本質をしっかりと認識して子どもに伝えていくことが大切だと思います。

そして、謝ること、または改善の意志を自分の変容で示すことを決めた子どもの勇気や、相手を思う優しさを価値づけ、応援ができる大人にならなければならないと思います。