学校日記

創立80周年記念企画③ 新しい教育を切り拓いた時代 ― 昭和33年4月~昭和39年3月 ―

公開日
2026/09/27
更新日
2026/09/11

周年行事事業

恩方中学校の沿革

  • 昭和33年7月17日
     特別教室(職業科・家庭科実習室)落成。
  • 昭和34年3月10日
     産業教育研究中間発表。
  • 昭和34年10月29日
     産業教育研究合同発表会を宝仙寺学園中学校で開催。
  • 昭和35年4月15日
     東京都教育庁の視聴覚教育研究校となる。
  • 昭和35年5月21日
     親テレビ1台、子テレビ8台を職員室及び各教室に設置。
  • 昭和36年3月3日
     視聴覚教育研究中間発表。
  • 昭和36年4月1日
     プール起工式挙行。
  • 昭和36年6月3日
     視聴覚教育研究発表会開催。
     同時に東京都中学校放送教育研究大会開催。
  • 昭和36年10月30日
     新校舎増築用敷地整地作業始まる。
  • 昭和37年2月14日
     新校舎(4教室)落成。
  • 昭和37年5月27日
     第4代校長広沢堯雄、八王子市立第一中学校に転任。
     第5代校長として富村盛祥着任。
  • 昭和37年7月7日
     プール及び新校舎(4教室)落成。
  • 昭和37年10月20日
     校舎裏石垣工事完成。

※昭和37年の新校舎、校長異動、プール及び新校舎、石垣工事については、現在の恩方中学校公式沿革にも同じ記録が残されています。


テレビが教室にやってきた ― 新しい教育を追い続けた恩方中学校

 昭和33年(1958年)から昭和39年(1964年)にかけて、日本は戦後復興から高度経済成長へと大きく踏み出していきました。昭和33年には東京タワーが完成。昭和34年の皇太子ご成婚をきっかけにテレビが急速に普及し、昭和39年の東京オリンピックへ向けて、日本社会はかつてないスピードで変化していきます。


 その時代の変化は、恩方中学校の教育にも表れていました。


 昭和33年には職業科・家庭科の実習室が完成。翌34年には産業教育研究中間発表、さらに宝仙寺学園中学校で産業教育研究合同発表会が開催されるなど、恩方中学校は教育研究に積極的に取り組んでいました。


 そして昭和35年、学校は東京都教育庁の視聴覚教育研究校となります。同年5月には「親テレビ1台、子テレビ8台」が職員室や教室に設置されました。


 今では各教室の大型モニターや一人一台端末は当たり前になりましたが、当時はテレビ自体が家庭に普及し始めたばかりです。その時代に、テレビを単に見るためのものではなく、「授業にどう生かすか」を研究していたことは、恩方中学校の教育の歴史を考える上で非常に興味深い記録です。


 研究はさらに進み、昭和36年には視聴覚教育研究発表会を開催。同時に東京都中学校放送教育研究大会も開かれました。恩方中学校は地域の中学校として教育を行うだけでなく、自ら実践し、その成果を広く発信する学校へと成長していったのです。


 一方、この時代は学校施設が大きく充実した時期でもありました。プールの建設、新校舎増築のための敷地整備が進められ、昭和37年には4教室の新校舎が完成。さらにプールも落成し、校舎裏の石垣工事も完成しました。現在の公式沿革にも、この昭和37年の一連の整備が記録されています。


 昭和37年には学校を率いる校長も交代します。第4代校長広沢堯雄が八王子市立第一中学校へ転任し、第5代校長として富村盛祥が着任しました。


 日本全体が東京オリンピックへ向けて、新幹線、高速道路、テレビなど、新しい技術と新しい社会をつくろうとしていた昭和30年代後半。恩方中学校もまた、施設を整えるだけではなく、新しい教育方法を積極的に取り入れ、研究し、発信していました。ちなみにこの頃には女子の制服も制定されました。


 テレビから視聴覚教育へ。そして現在のICT・GIGAへ。


 使われる機器は大きく変わっても、「新しい技術を、子どもたちのよりよい学びにどう生かすか」という問いは変わりません。80年の歴史を振り返ると、現在の恩方中学校が進める新しい学びへの挑戦にも、昭和30年代から続く一本の線が見えてきます。


地域とともに、80年。光り続ける恩方へ。