「いのちの日」朝会~星野富弘さんの生涯~
- 公開日
- 2026/06/22
- 更新日
- 2026/06/22
校長室より
皆さんおはようございます。まずこの絵を見てください。言葉と絵で人々の心に強く訴えかける作品をたくさん生み出した星野富弘さんについて、今朝は紹介します。
星野さんは、1946年、群馬県で生まれました。幼いころからとても活発で、運動が大好きな子供だったそうです。そんな星野さんは、やがて体育の先生を目指して大学に進学し、卒業後に地元の中学校の体育の先生になります。体操部の顧問として毎日生徒たちに熱心に指導をしていたのですが、ある日の指導中に、手本として宙返りの演技をして見せた際、地面に落下をし大けがをしてしまいます。首から下が全く動かなくなり、星野さんは以来一生寝たきりの生活となってしまったのです。夢と希望を抱いて教師になってわずか1年目での大事故。星野さんは生きることに絶望し、「俺は生きている価値がない。次の朝に死んでいたらいいのに・・・」と思いながら毎晩眠りについていたそうです。
それでも、家族や友人、子ども達の励ましを受け、次第に考えを変えていきます。「命と俺は別にあるんだ。俺が生きるのをあきらめても命は生きようとしている。命が俺を生かしてくれている…。」と、少しずつ前を向いて今できる精一杯について考えるようになります。お母さんの勧めもあり、わずかに動く口に鉛筆を加えて、字の練習を始めます。決して上手な字ではなかったけれど、自分に残された可能性に気が付いた星野さんは、その後口に筆をくわえて独学で詩や絵を描き始めました。星野さんが題材に選んだのは、身近な場所に生えている草花や小さな生き物でした。懸命に生きるその姿と自分自身や身近な人々を重ね合わせ、その気持ちを詩に表現して生まれたのが、星野さんの詩画(しが)と呼ばれる作品のスタイルでした。
大けがによって手足の自由を奪われた息子に対して、誰よりも献身的にお世話をしたのは星野さんのお母さんでした。体を動かせない星野さんは、例えばおしっこをするためにもお腹の中に管を入れなければならず、その管は度々詰まってとても苦しい思いをすることがあったそうです。そんな時、お母さんは、わが子の苦しみを和らげるために、その管をくわえて息を吹き込んだりして詰まりを取り除き、懸命の看病を続けました。「自分の体を切り刻んでも、生きる力を息子の体の中に送り込みたい。」という母の愛に、後に星野さんはこんな作品を作りました。「なずな(ぺんぺん草)」という作品です。「神様がたった一度だけこの腕を動かしてくださるなら、母の肩をたたかせてもらおう。風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら、そんな日が本当に来るような気がした。」
生きることの喜びと命の尊さを知り、作品を通して世界中の人に勇気や希望を与えてくれた星野さんは今から2年前に亡くなりました。忘れないでください。あなたが産まれたとき、心から喜んで、生きる幸せを感じた家族がいたことを。あなたをこの世で一番大切に思っている人がいることを。あなたのことが大好きな友だちや先生がいることを。この世にたった一つしかないかけがえのない命を、大切にしてください。今朝は「いのちの日」朝会として、星野富弘さんのことを紹介しました。