学校日記

創立80周年記念企画⑦ 人口40万人都市へ―変わる八王子と恩方中学校 ― 昭和54年4月~昭和63年3月 ―

公開日
2026/10/25
更新日
2026/09/15

周年行事事業

恩方中学校の沿革

  • 昭和55年5月27日
     新校舎(特別教室6、普通教室5)完成。生徒数の増加や教育内容の充実に対応し、学校施設の整備が進む。

  • 昭和56年4月1日
     第11代校長 富山庄二、八王子市立ひよどり山中学校へ転任。
     第12代校長として 小宮仲次 着任。

  • 昭和50年代後半
     校舎・校庭などの教育環境の整備を進めるとともに、テニスコートを整備するなど、部活動や体育活動の環境も充実。

  • 昭和58年4月1日
     第12代校長 小宮仲次 退職。
     第13代校長として 川幡実 着任。

  • 昭和61年4月1日
     第13代校長 川幡実、八王子市立横川中学校へ転任。
     第14代校長として 佐藤剛 着任。

  • 昭和62年2月2日
     校庭東側防球ネット完成。 運動部活動をはじめとする教育活動の充実と安全な学校環境の整備が進む。

  • 昭和62年11月7日
     創立40周年を迎え、記念誌を発行。 創立以来40年間の学校・地域の歩みをまとめる。


人口40万人都市へ ― 昭和から平成を目前にした恩方中学校

 昭和54年(1979年)から昭和63年(1988年)にかけて、八王子市はさらに大きな都市へと成長していきました。住宅地が広がり、大学が集まり、道路や公共施設が整備されていく一方、恩方には山々や川、田畑のある風景が残されていました。恩方中学校は、急速に都市化する八王子と、自然豊かな地域社会との間で歩みを続けていました。


 昭和55年5月、恩方中学校では特別教室6室、普通教室5室を備えた新校舎が完成しました。昭和22年に小学校の校舎を借りて始まった学校は、時代とともに校舎を増築し、教育環境を整えてきました。創立から30年余りを経て、学校施設はさらに充実していきます。この年代には生徒数もピークを迎え、1学年7クラスまで増加しています。


 この時期に整えられたのは、校舎だけではありません。テニスコートをはじめとする運動施設の整備も進められました。昭和50年代になると、中学校の部活動は生徒たちの学校生活の中でますます大きな存在となっていきます。授業を行う教室だけでなく、放課後に仲間と汗を流し、技術を磨き、心身を鍛える環境が整えられていったことも、この時代の恩方中学校を考える上で重要です。


 昭和56年には、第11代校長富山庄二が八王子市立ひよどり山中学校へ転任し、第12代校長として小宮仲次が着任。昭和58年には小宮校長が退職し、第13代校長川幡実へと学校経営が引き継がれました。


 そして、この昭和58年(1983年)は八王子市にとっても大きな節目の年となりました。


 4月、八王子市の人口が40万人を突破します。昭和40年に20万人、昭和49年に30万人を超えた八王子は、20年足らずの間に人口規模をほぼ倍増させました。さらに10月には、現在の元本郷町三丁目に完成した新市庁舎で業務を開始。現在につながる市政の中心が誕生しました。


 同じ年には八王子駅ビルも開業します。駅周辺の商業機能が充実し、中心市街地の姿も大きく変化していきました。八王子は多摩地域を代表する都市として発展を続けていきます。


 一方、日本社会に目を向けると、昭和50年代後半は、高度経済成長を終えた日本が安定成長へと移行した時代でした。家庭にはカラーテレビやエアコンが普及し、自家用車も身近な存在となります。昭和58年には東京ディズニーランドが開園。昭和59年には新しい一万円札に福沢諭吉、五千円札に新渡戸稲造、千円札に夏目漱石が登場するなど、今振り返れば懐かしい「昭和」の暮らしが形づくられていった時代でもあります。


 八王子では昭和60年(1985年)、千人町に中央図書館が開館しました。道路などの都市基盤も整えられ、市民の暮らしを支える公共施設が充実していきます。


 恩方中学校でも学校生活を支える環境整備は続きました。昭和61年4月には、第13代校長川幡実が八王子市立横川中学校へ転任し、第14代校長佐藤剛が着任。そして昭和62年2月には校庭東側に防球ネットが完成します。


 新校舎、テニスコート、そして防球ネット――。一つ一つを見ると小さな施設整備のように思えるかもしれません。しかし、その背景には、生徒たちが安全に学び、思い切り運動し、充実した学校生活を送ることのできる環境をつくろうとする、当時の学校や地域の思いがありました。現在の恩方中学校の校舎やグラウンド、部活動の風景も、こうした長年の整備の積み重ねの上にあります。


 そして昭和62年11月、恩方中学校は創立40周年を迎え、記念誌を発行しました。


 昭和22年、戦後の新しい教育制度とともに誕生してから40年。開校当初は自分たちの校舎さえなく、恩方第一小学校と恩方第二小学校を借りて始まった学校でした。それが40年の間に、校舎、体育館、プール、特別教室、そして運動施設を備え、多くの卒業生を送り出す地域の中学校へと成長しました。


 この頃、日本は昭和の終わりへと向かっていました。昭和61年から景気は回復へ向かい、後に「バブル景気」と呼ばれる時代が始まります。都市では地価が上昇し、人々の消費生活も豊かになっていきました。


 しかし、八王子の西部に位置する恩方には、変わらないものもありました。


 山々を背景に流れる川、地域の行事、学校へ通う子どもたちを見守る地域の人々――。八王子が人口40万人を超える大都市へ成長しても、恩方中学校は変わらず地域の中にあり続けました。


 昭和54年から昭和63年3月までの約9年間は、「大きく変わる八王子」と「地域に根を張り続ける恩方中学校」という二つの姿が、より鮮明になった時代だったともいえます。


 そして創立40周年から、さらに40年。


 現在、恩方中学校は創立80周年という新たな節目へ向かっています。40周年記念誌に残された生徒や教職員、地域の人々の記憶も、今では学校の大切な歴史となりました。


 40年の歴史を振り返った昭和62年から、さらに40年。その一日一日の積み重ねが、80年という歴史をつくっています。


地域とともに、80年。光り続ける恩方へ。