学校日記

創立80周年記念企画⑥ 人口30万人を超えた八王子と恩方中学校 ― 昭和49年4月~昭和54年3月 ―

公開日
2026/10/18
更新日
2026/09/15

周年行事事業

恩方中学校の沿革

  • 昭和50年4月1日
     第9代校長 秋山保男、八王子市立館中学校へ転任。
     第10代校長として 広部亘 着任。

  • 昭和50年代前半
     生徒数の増加や教育活動の充実に対応し、校舎・教室をはじめとする学校施設の整備を進める。

  • 昭和52年10月
     交通量の増加など通学環境の変化を受け、生徒の安全確保のため、自転車通学時のヘルメット着用を進める。

  • 昭和50年代前半
     校内外の環境整備を進め、生徒が安全に学校生活を送ることのできる教育環境の充実を図る。

  • 昭和53年4月1日
     第10代校長 広部亘、武蔵村山市立第三中学校へ転任。
     第11代校長として 富山庄二 着任。


広がる八王子、増え続ける子どもたち ― 昭和50年代へ

 昭和49年(1974年)、恩方中学校は創立から27年を迎えました。戦後の混乱の中で誕生した学校は、校舎、体育館、特別教室などを整え、地域の中学校として確かな歩みを重ねていました。一方、恩方中学校を取り巻く八王子のまちは、この時期、かつてないほどの勢いで大きくなっていきます。


 昭和49年4月、八王子市は栃木県日光市と姉妹都市盟約を締結。そして10月には、八王子市の人口がついに30万人を突破します。昭和40年に20万人を超えてから、わずか9年ほどで10万人以上が増えたことになります。市民体育館や教育センターもこの年に開館するなど、急増する人口に対応したまちづくりが進められました。


 恩方中学校では昭和50年4月、第9代校長秋山保男が八王子市立館中学校へ転任し、第10代校長として広部亘が着任しました。


 この頃の八王子を象徴するものの一つが、子どもたちの急増です。住宅地の開発と人口増加に合わせ、市内では新しい小・中学校が次々と誕生しました。八王子が大きく成長する中、恩方中学校でも校舎や教室などの整備が進められ、生徒たちの学習環境が充実していきました。


 同時に、この時代に重要になったのが生徒の安全です。高度経済成長とともに自動車が急速に普及し、道路を取り巻く環境も変化しました。広い通学区域をもつ恩方中学校にとって、登下校時の交通安全は学校生活に直結する課題です。そうした中で進められた自転車通学時のヘルメット着用は、現在の恩方中学校を考える上でも重要な取組でした。


 学校の沿革にヘルメットに関する記録が残されていること自体、当時の学校が「生徒の命をどう守るか」を大切な課題として考えていたことを物語っています。現在も交通安全指導や登下校時の安全確認を重視している恩方中学校。その原点の一つを、この時代に見ることができます。


 八王子では昭和51年、多摩ニュータウンの鹿島団地、松が谷住宅への入居が始まり、堀之内には東京薬科大学が開学しました。昭和46年に開学した多摩美術大学や創価大学などとともに、現在の「学園都市八王子」につながる姿も形づくられていきました。


 一方、恩方地域に目を向ければ、中心市街地やニュータウンとは異なり、山々や田畑、浅川水系の豊かな自然が身近に残っていました。急速に都市化する八王子の一部でありながら、地域に根差した暮らしが続く――。恩方中学校は、そうした地域の中で子どもたちを育て続けていました。


 日本社会も大きな転換期を迎えていました。昭和48年のオイルショックを境に高度経済成長は終わりを迎え、昭和50年代に入ると、省エネルギーや環境、安全などにも人々の関心が向けられるようになります。それまでの「より大きく、より豊かに」という社会から、暮らしの質そのものを考える時代へと移り始めていました。


 昭和51年には、八王子市の市の木「イチョウ」と市の花「ヤマユリ」が制定されました。大きくなり続ける都市の中で、八王子らしい自然や文化を大切にしていこうという意識も高まっていきます。

 そして昭和53年4月、恩方中学校では第10代校長広部亘が武蔵村山市立第三中学校へ転任し、第11代校長として富山庄二が着任しました。


 昭和49年から昭和54年3月までの5年間。八王子は人口30万人を超える都市となり、住宅地が広がり、新しい学校や大学が次々と誕生しました。その発展の中で恩方中学校も、校舎や教育環境を整えるとともに、生徒の安全を守る学校づくりを進めていきました。


 大きく変わっていく八王子と、受け継がれていく恩方の地域。そして、どれほど時代が変わっても「子どもたちが安心して学べる学校」をつくろうとする思い。その積み重ねが、現在の恩方中学校へとつながっています。


地域とともに、80年。光り続ける恩方へ。


この方向で、次の昭和54年4月~昭和63年3月も、本文の基本構成は変えず、学校沿革だけを原資料からもう少し丁寧に拾い直すのがよいと思います。