令和8年度2学期始業式講話 「生身」への共感
- 公開日
- 2026/08/28
- 更新日
- 2026/08/28
校長室から
令和8年度2学期始業式講話
「生身」への共感
・いっしょにあいさつしましょう。
おはようございます。
さて、どうですか?今のも含め自分から、のつもりで挨拶できましたか?自分から先にあいさつをする気持ちよさを多くの人に感じてほしいです。2年生は職場体験がありますよね。何度でも言いますよ。あいさつは自分から!
2学期が始まりました。「よし、始まったぞ!」という人と、「ああ、始まっちゃった…」という人と両方いると思います。今日も相変わらず30度をこえるような暑さですが、学期の終わりはクリスマスの寒さの中でしょう。長丁場ですから、ぼちぼち、学校生活のリズムに体を慣らしていきましょう。
2学期は合唱コンクールをはじめ、沢山の行事があります。どれも、一人ではできない、他の人がいてこそできるものです。だから、授業でも行事でも部活でも、他の人のことをどれだけ考えられるかは大切です。
Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」という歌があります。その歌詞に何度か登場する「生身」ということばは、魔法に頼らない「自分自身の身体やスキル」を指し、自身の生き様を表す熱い言葉です。このフレーズは、飾らない生のままで頂点を目指す強い信念を伝えています。
生身の人間の姿を思い描けなければ、どんな策を考えても空論に終わってしまいます。
人は様々な状況下で生活しています。世界を見渡してみれば、大勢の前で大演説をぶっている人や、爆撃を受けた町でがれきと砂ぼこりの中何とか生きようとしている人もいます。同じ日本の中でも、こうして無事に始業式が行われている学校にいる人や、熊本や千葉の人のように自然災害で壊れた家や街を見て絶望的な気持ちで立ちすくんでいる人もいます。今朝あの能登の豪雨も心配です。どんな気持ちでその中にいるのでしょうか。その生身の人の状況をどれだけ想像できるのか、そこで感じたり考えたりしている気持ちにどれだけ共感を持てるか。まず共感がなければ的確な策などは作れません。人に何かをしてほしかったり何かをしてあげようとするときに、よく考えなければいけないことです。
これは全てに共通することだと思います。
ちなみに一歩踏み込んで「思いやり」という言葉についてもいっしょに考えてみましょう。「思いやり」という時、人に〜してあげる、ということをイメージすることが多いと思います。気づいて想像して共感した上で行動できるなら素晴らしいです。でもそのどこかに、上から目線が潜んでいないか、これは問い直す必要があると考えます。
「やる」は、その文脈や対象によって大きく異なる意味に変化するため、状況に応じた使い分けが必要です。
「思いやり」とは「思い」を「やる」と分解するなら、「やる」とは子供にお小遣いをやる、犬にエサをやる、などのように目上の者が目下の者に何かを与える意味で使うことが多いですね。つまり、「思いやり」も上から目線で相手のことを思ってやる、助けてやる、といった間違った意味に捉えられかねません。
あくまでも対等な考え方と行為として、「やる」は行動する、という意味で捉えたいですね。近頃の福祉施策などに最初に言ったのような意味での「思いやり」意識が反映しているのではないかと気になることがあります。みなさんはどうですか?
そのためにはどうしたら良いでしょうか。それを話して今日のお話を締めくくりたいと思います。以前の朝礼講話で話したことがありますが、私は生身の人の思いを知る一つのやり方として、自分の視界の中にいるある一人を決めて、その人の目から今何が見えてるかな、と観察して想像してみるといいよ、とお伝えしました。
今、私の目から見えている景色を想像してください。では、藤本先生の目からは?私は車を運転している時にもやってみています。あそこの歩行者からは私の車が見えているかな?向かい側の車の人からはライトがまぶしくないかな?
さらに一歩踏み込んで、どうしてその人の目からはそう見えるのだろう、と考えてみるとさらに深まります。これは思いやりの前提としてもとても有効かと思っています。ぜひやってみてほしいなと思っています。