7月1日校長語録7月
校長語録7月
1 教育計画 7月は、1学期「つたえ、つたえあう」指導過程の最終月です。 教科指導上(知識、経験)の「つたえ」、生活指導上(基本的生活 習慣)の「つたえ」、学校・学級生活上(社会性・集団性)の「つ たえ」、4月から7月までの間の「つたえ、つたえあう」過程での 「指導の成果(基礎・基本のつたえー習得)」を検証する。教育目 標、教育課程、経営計画、自己申告書に立ち返り、指導の実態に成 果を重ね合わせてそのズレを把握理解し、次の段階(2学期―わか る、わかりあう段階)に進んでいただきたいと思います。 2 あゆみ(評価) 子供たち一人ひとりの「取り組みの過程」と「取り組んだ結果」 を吟味・分析し、評価する。子供の「良さと課題」を的確・明確・ 正確に評価し、教育専門家としてふさわしい表現(力)でその熱い 思いをつたえる。 しかし、教育を大方「数字と言葉」で表現できる(しよう)と考 えるのは少々過ぎたる思いが致します。経験は限りがありませんが、 言葉には限りがあります。言葉にして尽くせぬところに教育はまた 在り、指導力の発揮できる場もそこにまたあるのではと思います。 成績数値・業績数値、いずれも目安(現象―大切)ではありますが、 しかし、そこをしっかりとおさえて、その子にとって「唯一無二の 言葉」を紡ぎだす、これが教師の所見(表現)ということになるの ではないでしょうか。だからこそ、同じ文章の所見はありえません。 3 服務研修 服務事故防止への意識向上は、教育者(公務員、職業人、社会人) としての責任。 4 学校公開 学校公開(6月16日、19日)、ご苦労様でした。 学校公開は、いうならば教育の「行為的説明」です。学校はその 教育活動を常に公開する立場にあります。公開以上に雄弁なるもの はありません。曰く、「百聞は一見にしかず」、です。公開は、学 校を鍛え、私たち教員を、そして子供たちを鍛えてくれるものです。 またそれだけでなく、「見るもの」をも当然に鍛えることになりま す。真を見るには真を見るだけの力を必要とし、真を見せるには真 を見せるだけの力が必要になります。 だからこそ、公開はお互いを「きたえあう(教育目標)」ことに なるのだと思うのです。 次年度は、学校公開、授業参観、行事公開を土曜日(年間10回) に移行することになります。(学校を地域に開くこと、授業―学習 時間を確保すること) 5 その他 ・OJT(教育力・人材育成・組織力の向上) ・学校評価(外部評価と内部評価の第1回実施 ・公開、評価項目の統一・共通化) ・緑のカーテン(温暖化防止、環境教育) ・健康管理他(労働力・生命力の維持) 授業寸景 No18
授業寸景 No18
某日某月 第2校時 家庭科 玉結び、玉止め(板書) 子供たちの机の上には、裁縫用具一式(自分自身の小学校時代の 家庭科の授業を思い出して、なんだか、懐かしい)。 指導者は、テンポ良く「玉止め、玉結び」の説明(形、方法、目 的)をする。説明はよどみがなく、さすがと思わせる。指導者と子 供たちのやり取りは、低学年とは違うスピード感がある。 一通りの説明が終わると、次に教科書を開かせ、視覚での理解を 加えていく。つまり、耳で聞かせて目で見させて、手指を使わせて、 学び取らせる寸法である。感覚から認識へ、認識から実践へ。学習 過程の基本を踏まえた指導となっている。 裁縫は、細かい仕事(作業)である。手指の先の神経を働かせな ければ、なかなかうまくいかない。糸を針の穴に通すこと然り、紙 を撚り糸を撚ること然り、糸を結ぶこと然り。だから、集中しなけ ればできることもできないし、できないことは更にできないのであ る。(再び、私自身の昔の記憶がよみがえる。) 「糸が針(の穴)から抜けないようにするにはどうするか」と指導 者が問う。 「同じ長さにしておくと抜けにくい、結ぶと抜けない」と子供たち。 指導者は、それに応じて針の穴と糸を大きく板書する。針は白、 糸は赤。当然、わかりやすい。 「だれか、結んだ人はいますか?」と指導者。女の子数名の手が挙 がる。この女の子たちが、この後、この時間の先生になる。玉止め、 玉結びの先生ってわけである。たしかその時、男の子の手は挙がっ てなかったね。(私も、確かできなかった) 「二本の糸を結ぶことを二本取りといいます」。 「一本の糸を結ぶことを一本取りといいます」。 説明の後は、班毎になり玉結びの練習だ。できる女の子からやり 方を教えてもらう男の子、できそうでできない。何度もやり直し、 何度も教える女の子、なんだか微笑ましい。その間に、指導者は自 分のところへ班毎に呼び、玉結びのやり方を個別で、かつ丁寧に指 導する。 「できた人は、何回も練習してください」と指導者が指示をだすと、 子供たちは「何秒でできるか、やってみようぜ。」と早速ゲーム化 する。なるほどね、いまどきの子は、何でもゲーム化するんだ。 一通り説明を終えると全体を集中させ、玉結びのやり方を再確認 する。この当たりにも指導者の経験の豊かさが現れている。全体学 習から個別・グループ学習へ、個別・グループ学習から全体学習へ の「上がり下がり、横広がり」がきちんと学習過程化されているの である。 「何回も練習することが大切です。」とピシッと締めくくり、次に 進む。 イチゴの絵を描く指導者。(上手い) 玉結びのできている糸を使って、「玉止め・玉結び」の模様を布 絵に縫い付ける学習(作業)、ここでも「全体から個へ、個から全 体へ」の過程を崩さない。 指導者から説明を受ける、「わかる」、「やってみる」、できな い、「繰り返し」、「できる」。わかるからできるまでには、この 「繰り返し」という時「間」がある。集中力・持続力の必要なここ をどう乗り越えさせるか、指導者の腕の見せ所である。 子供たち(男の子たちも)は、この学習(作業)に少しずつ集中 し始めた。そうそう、それでよろしい。 授業寸景 No17
授業寸景 No17
某月某日 第3校時 国語 シーンと静まり返った教室、漢字学習ノートで漢字の練習だ。よ く集中している。 教室環境は大変整っていて、感じがいい。掲示物は、多くなく少 なくなく、整理されていて、それらによって集中を乱されることが ない。べたべたと学習掲示物が多すぎると気が散るし、目移りして 混乱するし、少なすぎると殺風景でこれまた味気ない場の空気をつ くる。若いこの指導者の感覚は、すでに優れた経験者のそれである。 いつもながら感心させられる。 教室の環境作りは、指導者の意識のあり方で微妙に変わってくる のであって、その環境が子供の感覚を刺激し、その刺激が脳に伝わ り、像を描かせる。その像がやがて固定され、子供たちの感性とな る。このように感性は感覚を通じてつくられる、だから、環境が大 事というのである。 ここに神経の行き届かない指導者は、ことばはきついがおそらく 指導者としては一流にはなれないだろう。 「数」と書いた小黒板が第黒板に貼られている。「数」という字の 学習である。 1、読み方 2、書き順を覚えましょう 3、画数 4、ていね いにれんしゅうしましょう 5、なぞって書きましょう 6、数を つかった文をなぞって書きましょう 7、数のつくことばを書きま しょう 8 数をつかって文をつくりましょう この順番にそって丁寧にしっかりと学習していく。指導者の「こ とば」は、はっきりとしていて短く、良く通る。子供たちはしっか りと指導者のほうを見て聞いて、向いて答える。指名されると、「 〜です。」と最後の「です」まではっきり答え、「同じです。」と 他の子供たちが応える。 指導者と子供たちとのやり取りがいい。温かくて落ち着いていて、 しかもぐぐっと集中していて、そこにはダレを許さない指導者の気 迫のようなものも感じられる。子供の発言には必ず共感して評価し、 そのままにはしない。これは素晴らしく大事なことである。 言わせっぱなし、聞きっぱなしというような対応を時折、他校の 指導者で眼にすることがあるが、それではいけない。どの子も指導 者に認めてもらいたいのである。 漢字学習ノートの学習順序に従いつつ、リズムにのって学習を進 めていく。全体指導の後は個別指導、個別指導から再び全体指導へ 戻り、そして、また個別指導へ。一人ひとりの子供に声をかけ、手 をかけ、笑いかけながら、赤ペンで手際よくノートに花丸をつけて いく。 次に学習する字は、「元」。 「数」と同じようにして、子供に「書き方を問い、詠み方を答えさ せ、指で書かせ、ノートに書かせ、練習させ、発表させ、花丸をつ けていく」。 時折、「姿勢は!」と鋭く指摘し、ぴんと背中を伸ばさせる。子 供たちから「現実」なんてことばも「元素」なんてことばも出てく る。なんと難しいことばを知っているのだろうか。この子供たちの 学習振りに1年間の成長の後がはっきりと見えた、指導者もまた。 時間が少し余ったので、残り時間は「漢字ビンゴ」。子供たちは これが大好きみたいだ。「前、弟、思う、西、東京、書く、黄色、 電気、教しつ、火曜日」、ここからそれぞれ9つ選んでビンゴ紙に 書く。 指導者が選んだ漢字を読み上げると、イエーイ、イエーイ、イエ ーイ、リーチ、リーチ、ビンゴ! 5分延長の授業だったが楽しく ていいね。 授業寸景 No16
授業寸景 No16
某月某日 第3校時 家庭科 1、2校時での家庭科授業が延びたため、本学級の3校時は時程 通りに家庭科室を使えず、教室での授業導入となった。(1,2校 時の授業者は、大いに反省すべきだ。) 指導者は、配布した教材を袋から取り出させ、中身を確認させ、 これから何を学習するのかを説明。「使用する布だけ出して、その 他はしまってください」。指示は丁寧だし、声はどっしりとしてい るし、ことばもはっきりとしてわかりやすい。子供たちは、だから、 しっかりと聞いている様子だ。学級の雰囲気も悪くない、落ち着い ている。 さて、取り出した布、縦横どちらが長いのか。どちらが縦か横か、 わからないで戸惑っている子供がいる。広げてみたぐらいではわか らない。それを見て指導者が言う、「飛行機を折るようにして三角 形に折ってみればわかる。はみ出している方が長い」。 この後、家庭科室に移動するのだが、指導者としては時間の関係 で先に説明をすませておきたいところだろう。で、布の形を板書、 手順を説明する。1 ぬいしろを(はしから)1センチ。2 ぬい しろ四隅からそれぞれ13センチ、ぬいしろに沿って線を引く。 ここまで説明を終えて、家庭科室に移動する。教室後ろに整列さ せて、静かになったところで出発指示、消灯。 学級における基本的な生活習慣の定着に十分留意していることが 良くわかる。新採用3年目とはいえ、立派なものである。 家庭科室。 板書(拡大摸造紙を貼る)「おべんとうつつみ、ランチョンマッ ト」 あらためて授業開始。雰囲気は変わらず、移動後のダレたところ などまったくない。 「布と説明書をだしなさい。それ以外はしまいなさい」。短く「ず ばり」と指示をだす。その後、机間巡視で子供たちに準備が出来て いるかどうかを確認する。 「チャコペン、出しなさい」。「持っていない人は先生のところに きなさい」。 用意ができた。指導者がいう、「今から話します」。ぴたっと静 かになる。「全部の説明が終わってからはじめます」。この指示は、 きわめて重要。なぜ重要かわからないようでは指導者としてマダマ ダである。しかし、この指導者はすでにそれを知っている。 手順の1は? 指名して答えさせ、それを板書する。 「端から1センチのぬいしろを取る。」 手順の2は? 指名して答えさせ、それを板書。 「ぬいしろに沿って端から14センチの線を引く。」 簡単に繰り返して説明をし、指導者は黒板の布図に朱で線を書き 入れる。 「どうしていいかわからない人は挙手、先生が説明に行きます」。 「質問は?」、なし。「では、はじめてください」。 作業に入っても学習の雰囲気は変わらず、落ち着いている。いい 感じである。 指導者の簡潔な説明、短い指示、順序よく丁寧な物言い、わかり やすいことば、立派なものだ。見ていて大いに感心した。指導者と 子供たちの間、いい関係が出来つつあるようだ。これからが楽しみ である。 授業(作業)では、必ず課題解決(出来上がり)に早い・遅いの 差が出る。だから、それを見越し、次なる指示をはじめに出して( 示して)おくことが必要なのである。これは学習指導上の定石。こ こまで説明できる指導者はそれほど多くない。 巣箱に・・
今日の放課後のこと。体育館前のびわの木に誰か登っているのが見えました。びわの木は折れやすいので、「すぐにおりなさい」と注意。上ってた子は、すぐに降りてくれたので一安心。
しばらくして職員室前に5年生の女の子たちが集結しています。聞いてみると、そのびわの木に、自分たちが4年生のときにつけた巣箱があって、その巣箱に鳥が住みついているらしいので見たいのだ、とのこと。ああ、そうか。だからびわの木に登っていたのか。それではと、前担任の服部先生に聞いてみようとすぐに質問。その結果、では見に行こうということになり、この写真となりました。 服部先生の許可を得て、特別写真も撮らせていただきました。 写真をご覧ください。確かにいましたよ。すぐに再生して子どもたちに見せると、「へぇ〜」「かわいい」と思い思いの感想。自分たちの作った巣箱に、鳥たちが住みついてくれたことが驚きでもあり、本当に嬉しかったのでしょう。 理科が得意な服部先生によると、「四十雀」ではないかということでした。他の巣箱にも、入っていたようでした。全校児童にも教えてあげたいですね。 副校長 授業寸景 No15
授業寸景 No15
某月某日 第5校時 算数 前の時間では何をしましたか? シーン。体育のような算数でし たね。ハーイ。で、授業は始まった。 50メートル歩いて(走ったりして)、タイムを計り、その測定 タイムをそれぞれ記録し表にまとめてある。その表を見て、気がつ いたこと、わかったことなど、子供たちが発言する。本時間の学習 は、どうやら、「速さを比べるにはどうするか」という内容のよう である。 「かかったタイムの速いのが、ほんとに速いといえるのか」。 「時間で比べるのか、距離で比べるのか」。子供たちは、「かかっ た時間の短いほうが、速い」。「時間のかかったほうが遅い」。と 経験的にわかったことを根拠にして次々に発言する。 指導者は、その経験知に揺さぶりをかける。黒板に一枚カード( 表)を貼る。 A君 50メートル 30秒、B君 40メートル 30秒、C君 50メートル 40秒。さて、このABCでは一体、誰が速いのかと指 導者は問う。子供たちはじっと見て、答える。「A」です。指導者は 問い返す、 「A? どうしてAなの? 説明して」。わかっているのだが、説明と なると、どう説明したらいのか、子供たちには少しためらいがある。 じゃあ、今からグループで話し合って、と指導者。子供たちは、グ ループになって活発に話し合う。「距離が一緒だったら、または時間 が一緒だったら、見た目でわかる」、「1メートル当たりでわかる」、 「計算しよう」、「どう説明するかがポイントだ」、「説明は短いほ うがわかりやすい、いや、長いほうがわかりやすい」、「BとCは計算 するしかない」、子供たちがいっていることは間違いない。 これをどう説明するか、どう説明すればいいか。 指導者は、頃合を見て、班で発表してと指名。「A君とC君を比べる。 C君はA君と同じ距離だから、タイムを比べるとC君のほうがかかってい る。だから、この場合はA君のほうが速い」。じゃあ、ここから先は、 次の班に説明してもらいましょう。 「次に、A君とB君を比べると、B君は距離が短いのにかかった時間は同 じです。だから、A君の方が速い」。見事なものだ。 しかし、指導者はそのままでは引き下がらない。「それでいいの? それでわかるの? B君とC君は?比べなくていいの? 距離と時間が違 うけど」、と揺さぶりをかける。 「ならすといい」と、ある子。「ならすって?」と指導者。説明に窮し て「バトンタッチ、コウタロウ、よろしく」と助けを求む。コウタロウ 君、指名されたので説明に挑戦する。「1秒当たりの距離、1メートル 当たり時間を計算して比べればいい。単位量当たりの大きさがわかる。 計算は、時間÷距離、距離÷時間で求められる。」と、見事な答え。 みなシーンとなった。さあて、みんながついていけてないのか、説明 があまりにも見事すぎて子供たちのレベルにあっていなかったからか。 それとも、みんな納得!だったからなのか。 指導者は、ここで「ならすは平均点を出して比べること、でこぼこを ならす、距離や時間をならす、この問題では1秒当たりの平均を出して、 あるいは、1メートル当たりの平均点を出してということになるから、 同じ考えであるといえます。」とまとめた。 では、「この問題を1メートル当たりにかかった時間を求めて、比較 しましょう」と指導者が促す。子供たちはさっと計算し、「ファイナル アンサー」を「A君」と決定した。 指導者が「次は、1秒当たりで進む距離を求めて比べてみよう」と予 告して授業終了。 一対多の、対話応答型の見事な授業。 授業寸景 No14
授業寸景 No14
某月某日 第4校時 理科 「こん虫の体のつくりをしらべよう」 プリント(とんぼの全体図)配布。「こん虫の体」(板書)。 黒板には、トンボ、モンシロチョウ、ショウリョウバッタの全体 図。指導者の手描きにしてはうまい。 「頭−ピンク、胸−黄、はらー青」と板書指示。 それぞれの部位を指定された色で塗る作業をさせて、こん虫の体 のつくりについての意識と理解を深めさせる。 一通り出来たところで、指導者は「こん虫の体をしらべよう」と いうプリントを配布、ノートに貼り付けさせた。 「トンボのアタマ」「モンシロチョウ」「シオカラトンボ」「ショ ウリョウバッタ」のそれぞれの絵が描かれている。子供たちのノー トー観察記録など―は、色鉛筆を使ってきれいに仕上げられている。 ノート指導が行き届いているということである。 さて、学習内容を整理したところで、これから「こん虫の食べ物 とすみかを考える」。作業に適した体(作業体)をここでまた学習 (思考)体に整える指導者。作業体から学習(思考)体、学習(思 考)体から作業体、この切り替えに指導者というものはよほど気を 遣うものである。 優れた指導者は、意識の転換を「形から入っていく」ものである。 「形が意識を作り、また、意識が形を作る」ということを熟知して いるからである。形から入る所以である。 さて、指導者は問う、「トンボのすみかは?」。子供たちが応え る、「公園の池、大平公園、原っぱ、森」。指導者はそれらを板書 する。 次にまた問う、「モンシロチョウは?」。子供たちが応える、「 キャベツ畑、公園の草むら、花畑、花の名前は? 菜の花、ひまわ り、タンポポ、シロツメクサ」。 さらに、指導者は問う、「バッタは?」。子供たちが応える、「 公園、草むら、原っぱ、野原、柏木の森、芝生」。 ここで、指導者は「バッタは、何を食べているの?」と訊いた。 子供たちは応える、「葉っぱ、包丁葉っぱ、草(花)の茎」。「じ ゃあ、モンシロチョウは?」。「花の蜜、葉」。 「チョウの口はどんな形?」。「蝶はストロー、バッタはギザギザ」。 指導者は、子供たちに思いつくまま応えさせて、「口の形は食べ物 に関係あるんだよね」とさり気なく「体とすみかと食べ物と口の関 係」に「気づかせ」、経験・知識を関連のうちに再整理させる。 この「気づかせ」はこの指導者の真骨頂である。子供たちとやり 取りしながら、要所で問い直し、切り返し、大事なことを「気づか せていく」のである。 このようにして一通り、学習内容についてのやり取りが終わった ところで教科書に戻り、教科書についているシール(アブラゼミ、 花アブ、バッタ)を教科書の絵図の中に貼り付けて、本時間の授業 は終了した。 この指導者と子供たちのやり取りが素晴らしいだけに、子供たち 同士による討論(やりりとり)型授業が是非、見たいものである。 さぞかし見事な討論の授業になると思われる。 授業寸景 No13
授業寸景 No13
某月某日 第2校時 国語 教室後ろのロッカーの上には、子供たちの作品が並んでいる。 紙コップとストローによる回るブランコ(?)、廊下には粘土と 笹の葉でつくった七夕飾り(?)。低学年の子供たちの作るものに は、子供たちのあどけない心が感じられて、なんだかいい気持ちに なる。 日直さんが二人前に立ち、みんなに「いいですか」と聞くと、み んなは「いいですよ」と応える。歌の文句みたいで楽しい。 「これから2時間目の授業を始めます」。 「ハイっ」。 挨拶・返事、声が揃っていて、大変素晴らしい。思わずこちらも 襟を正す。 何人といえども「挨拶、返事」は生きる上での基本の技である、み んなでする挨拶、そして自分でする挨拶、いずれも初等義務教育の段 階でしっかりと身につけさせたい。 教卓には子供たちのノートが積まれている。説明文の感想を書かせ たのである。指導者は、その感想の書かれたノートを前にして、良く 書けていると子供たちを褒める。 次々と子供たちのノート(感想文)の良いところを褒めながら紹介 していく。子供たちは「鳥のちえ」(ひぐち ひろよし)を読んだ感 想を書いたのである。低学年では、毎日、どれだけ褒めたかが勝負の 分かれ目みたいなところがあるが、褒める技の豊富なこと、この指導 者の右に出る人は少ない。 指導者が厳かにいう。「これから、この感想文の発表会をします。 自分のノートを読んでみたい人は?」。「ハーイ!」と子供たち。た ちどころに6,7名、手が挙がる。低学年は、指導者の問いかけに黙 っているということが少ない。訊かれたら誰かが直ぐに応える。 指名された子は、自分の書いた感想を元気良く、楽しく読む。素晴 らしい。2年生ながらしっかり自分の言葉で感想文を書いている。指 導者はその良いところを取り上げて、繰り返し褒めた。 次に指導者は、「いきもの いっぱい」と書かれた八つ切り画用紙 を黒板に貼る。 本の読み聞かせタイムである。「たくさんの本がある中で『友だち シリーズ』を読んでみます。その中で『ごめんね、友だち』を読みま す。」と指導者。 この指導者の読み聞かせは必見(必聴?)に値する。子供たちに対 して優しく話すように読み、歌うように読んで聞かせることのできる 人である。 いつの間にか教室はシーンとして、子供たちは指導者の読むお話の 世界に没入している。ピクリとも動かず固まってしまったような子も いる。読み終わると子供たちから大きな拍手。見事な読み聞かせであ る。これなら子供たちはますますお話が好きになるだろう。 次は漢字の勉強である。 「くにがまえ、ひへん、ごんべん、ゆみへん、おんなへん、おうへん」 の漢字を探してそれを書く。列ごとに前に出て、漢字を書いていく。 子供たちは結構難しい字を知っているのだね。大いに感心した。 回、図、明、曜、日、晴、時、語、話、計、強、弥、妹、理、玲、 数。 書き終わったところで、チャイム。再び元気良く終わりの挨拶をし て、授業終了。 お見事。 授業寸景 NO12
授業寸景 NO12
某月某日 第3校時 算数 はじめの挨拶、指導者は黙って子供たちの前に立ち、何もいわず。 1学期も最終月である、指導者の思いや考えはこれまで既に伝えら れ、子供たちの身についているはず。指導者は、したがって、黙っ て子供の前に立つ。子供たちが自ら動くのをじっと待つのである。 子供たちは直ぐに気づいて静かになり、授業開始の挨拶をする。 前時間の復習から入る、これは導入の定石。 ひし形とは何か、これを指導者は問う。子供たちがそれぞれ記憶 をたどってそれぞれ発言する。そのうち、点での言葉がつながり始 めて一本の線になった。「ひし形とは、四つの辺の長さが等しく、 対角線が垂直に交わる四角形である」。完璧な定義である。 ここに至るまで、指導者は何も書かない、ヒントも与えない。そ の様は、ただ子供の頭の中に残っている言葉を全体の場に引きずり 出そうとしているかのようであった。この指導者独特の指導法とい える。点(ことば)が線(文)になり、意味をもつ形(定義)にな ったところで指導者は納得し、全員に唱和させ、子供たちの記憶を 整理する。 次に、平行四辺形とは何か。同じようにして子供たちに記憶の糸 を手繰らせ、点から線、定義へと導く。見事なものである。「平行 四辺形とは、二つの向かい合った辺が平行な四角形である」。 さらに、台形とは何か。「台形とは、向かい合った1組の辺が平 行な四角形である」。以上、子供たちに定義させたところで、指導 者は改めて問うた。「特別な四角形が二つある、それは何か」。子 供たちは、再び頭の中に残っている記憶を辿る。その記憶を言葉に 還元し、それぞれ発言する。これら片々の言葉を再び繋いで、子供 たちは「特別な四角形1、正方形」に到着した。 「もうひとつある。」と指導者は、子供たちを再び突き放すように いい、こうして、子供たちは、またしても亡羊とした記憶の中に放 り込まれそうになったが、しかし直ぐに、「特別な四角形2、長方 形」に至った。指導者は、「このように、条件に合わせてそれぞれ の名前がついているのである。しっかり覚えておくように。」と静 かに伝えたのだった。 次は練習テスト。 プリント「いろいろな四角形」を配布。子供たちは、定規、コン パスを使って線を引き、図形を描き、角度を測って問題に答える。 モノを操作するこのことによって、指先、手、腕はしっかりと鍛え られ、学習(に相応しい)体に作り上げられていくのである。モノ (道具)を操作することによって指先感覚、運動感覚と筋肉を刺激 し、その刺激を脳に伝えて脳を活性化させ、その活性化した脳によ って身体の動きや感覚がまた作り直されて(相互浸透)いく。単純 にいえば、そのようにしてモノゴトの認識力は高められていくとい うことである。 さて、プリントの問題を解き終えた子供には、当然個別指導が待 っている。 ここで指導者は、自ら定規とコンパス、分度器を操作して、子供 たちの描いた図形を徹底的にチェックするのであった。1ミリ、1 度のズレも認めない。ズレているやつは全部やり直しだ、四の五の いわせない。この厳しさがいい。 この時の指導者と子供たちの1対1のやり取りは、さながら武道 の試合のようであった。「間合いを計り、相手の隙(弱点)を鋭く 突く」指導者、「これでどうだ」と子供たち。ここに学びの真剣勝 負があった。 授業寸景 NO11
授業寸景 NO11
某月某日 第2校時 算数 21人の少人数。このクラスの教室環境は極めて良質で、掲示物 の質、量ともにバランスが取れてい、ロッカー、棚なども良く整理 されている。さすがにと思わせる。 掲示・展示物が多すぎると圧迫感を受けるし、視覚的にも疲れる ものであるし、少なすぎると空疎に感じられ、これまた、妙に落ち 着かぬものである。この教室には、何かほっとする温かさと落ち着 きがある。 板書には、三角形の組み合わせ図が2題描かれている。その右端 には、本時の学習を進める上での、思考の基本となる「三角形の内 角の和が180度になる」ことを示す四つの数字(角度)が書かれ ている(45−45−90−180、30−60−90−180)。 これを使って、組み合わせ図で出来た角度を求めるのである。 指導者は、その立ち居振る舞いがゆったりとしており、声は優し く、はっきりとわかりやすく、終始言葉を選んで話している。さすが に、この指導者の授業を見た保護者や外部専門家から高い評価を受け るだけのことがある。 さて、指導者は子供たちに組み合わせ図からア、イ、ウ、エの四つ の角度(図示省略)を求めさせて、説明させる。 黒板の前に出てきて見事に説明する子もいれば、説明途中で「忘れ ちゃった」という子もいて、あるいは二人で協力してアーダ、コーダ と説明に挑戦する子もいれば、定規をあれこれ目まぐるしく動かして、 何とか説明しようとする子などもいて、それはなかなか面白かった。 その子供たちに対する指導者の目とことばの温かいことといったらな い。 この4つの問題解決には「合わせて求める」、「引いて求める」、 この二つの思考(方法)が必要である。指導者は、子供たちにこの思 考・方法を理解させ、身につけさせようと、いろいろと問いかけ、気 づかせんとする。その様子、やり取りがまたいい。 この四つの問題を解いた後、スキルに入った。はじめに分度器の使 い方を注意して、子供たちを問題に取り組ませる。わかったこと(理 解)を今度は使う(きたえる)のである。 課題のスキルが終わった子からいよいよ個別の指導である。この時 の指導者と子供たち一人ひとりとの、この間合いが秀逸。額をつき合 わせてやり取りをする。「子供に光を当て、力を光らせる絶妙なる間 合い」、そんな風である。 子供たちが書いた図形を指導者が子供たちの目の前で分度器を使っ て精確精密に測り直し、「分度器の使い方」、「目盛」への意識を高 めていく。ここがルーズだと駄目なのだ、このあたりの押さえは見事 というほかない。いつの間にか、指導者の周りに子供たちが増えてい く。 指導者からオーケーをもらった子は、自席に戻って次の課題に取り 組み始める。指導者の周りから一人減り二人減りして、とうとう誰も いなくなった。同時にその時、子供たちは全員が自席で新たな課題に わき目も振らずに取り組んでいた。学習の形が見事に出来上がってい る。指導者からの指示語がほとんどなくてこれである。 少人数指導の良さとこの指導者の見事な指導力の融合一体、充実し た時間を私もまた過ごさせてもらった。 6月30日6月29日英語に挑戦
来年の平成23年度から、外国語活動(英語)が本格的に始まるのは以前話した通り。5年生でも6年生でも年間35時間、ということは一週間に必ず1時間は外国語の時間が入るということだね。
これからは、益々国際社会の時代となっていくのは間違いない。英語も絶対必要でしょう。でも、どうして日本人は、英語をうまく話せないのだろう。先進国といわれるこの国で、中学、高校、そして大学まで入れれば10年間も英語を勉強してて、なかなか話せない。理由はいくつもあるのでしょうが、話せないと思っているのは私に限らず、きっと多いはず。 でも、目の前で元気に先生の後を繰り返して発音しているこの子達は、きっとかわっていくのでしょうね。写真は2年生と3年生です。 副校長 6月28日授業寸景 NO10
授業寸景
某月某日 第1校時 社会 黒板に向かってUの字の座席配置。起立して「おはようございます」。 何事も挨拶から始まり、挨拶で終わるのが習い。日直が前に出て、 朝の会の司会をする。 「今日の生活のめあて」を確認し、「先生の話」へと進める。指導者 は、子供たちの健康観察の後、今日の予定を連絡する。 このとき、ある子が「校長先生がなぜおらっしゃるのですか?」と 指導者に聞いた。「おらっしゃるというよりも、いらっしゃる、です ね。みんなの勉強の様子を見に来たのです。」と笑いながら応えてく れた。(おらっしゃる、これは私への敬老精神から出た言葉かな。) 本時は社会。はじめに学習(係)長がノート(学習済みのプリント が貼り付けられている)を配る。学習準備がすばやく行われ、学習習 慣の身についていることが良くわかる。 「カツオの一本釣り」(資料)から本時のめあて「遠洋漁業について 知ろう」を板書し、指導者が問う。「遠洋」の「遠」はどういう意味 か。子供たちが応じる。「遠い」。では、「遠洋」の「洋」とはどん なときに使うか。子供たちが応える。「太平洋」「大西洋」「インド 洋」。 そう、「洋」には「広い」という意味があると指導者が補足する。 これで、説明しなくても遠洋漁業とは「遠くて広い(洋)海で漁業を することであるということがわかった。 では、なぜ遠くに行って魚を獲るのか。それについて指導者は子供 たちに考えさせる。 「・遠い海には栄養があり、魚が集まってくる。・日本の海にはいな い魚がいる。・大きいカツオとか。なぜ? いつも獲ってると大きく なる時間がない。・珍しい魚がいる。・近い海ばかりで漁をしている と魚がいなくなる。・広いと大きな船で漁ができる。・広い海だと漁 がしやすい。・近い海はごつごつ岩が多いが、広い海だとそれがない」 などと、子供たちが次々に答える。 指導者は、それらを手際よく板書に整理していく。 指導者の作った学習プリントを活用しながら、さらに遠洋漁業につ いて考える。「回遊魚を追っていく」という呟きが子供たちから出た。 カツオ以外にはどんな魚を?と、指導者。「マグロ。」と子供たち。 この指導者の作るプリントは内容が充実していて、それをまた授業 で十分に活用している。子供たちのノートも色鉛筆などをうまく使い、 きれいにまとめられている。ノート指導が行き届いているのである。 また、このクラスの子供たちは良く呟く。この呟きを指導者はうまく 拾い、授業に繋げていく。呟きあいがいつの間にか討論になっている、 そんな感じである。6年の某教諭(授業の名手)の授業をふっと思い 出したものである。 感心していたら、指導者はここで模造紙を幾重にも畳んだマグロの 絵を取り出して(頭の先を少し見せて全体は隠して)、はい、では、 実際のマグロはどれくらいの大きさかな?と子供たちに問うた。 350メートル、(それはないだろ)。3メートル、2メートル、 1,5メートル、など口々に子供たちは答える。そこで、指導者は 折りたたんだ模造紙をゆっくりと開いていく。でかい! 先生と同 じくらい? いやもっと大きいと子供たち。このマグロはほぼ全長 2,5メートル、実物大です。 子供たちをぎょ(魚)っとさせた後、新しいプリントを配布、記 入作業を指示。世界の海でのマグロの漁場を青で塗る、気づいたこ とを書く、発表する。「遠い、大きい、多い、広い」と、指導者の 狙い通りの言葉が出た。お見事。 そうして、次時の予告をして、授業終了。 授業寸景 NO9
授業寸景
某月某日 第4校時 学級会 「日光」に向けての班作りである。生活班と行動班を作る学級会、 さぞかし楽しかろうな。 班長、ハイキング、バスレク(行き)(帰り)、資料・保健のそ れぞれを希望と話し合いによって決定するのである。指導者がそれ ぞれの担当の仕事内容を説明する。この説明の仕方がいい。簡潔、 明瞭、明確、怜悧。高学年6年生に適応した説明であった。 このクラスもまた、学習環境が良く整っている。学習物・掲示物 が良く整理整頓されていて心地よく、子供たちの活動の様子がとて も良くわかるのだ。 このような学習環境が5感覚を通じて子供たちのココロとアタマ とカラダに反映されて積み重ねられ、生活者としての意識・認識と いうものがつくられていくのであって、だからこそ、子供を育てる のには、環境が大事だと昔からいわれてきたのである。迷信でも妄 言でもなく、科学的根拠がちゃんとそこにある。 さて、学級会は、司会進行役の男の子と女の子によって、淡々と 進められていく。希望者は?さっと手が挙がる。子供たちがいかに この学級会に期待しているか、見ていてよく伝わってくる。指導者 は時折、司会進行役の耳元でアドバイスをし、進行が滞らないよう に気を配っている。 学級会の司会進行などにおいても身につけるべき基礎・基本の形 はある。指導者は、それを身につけさせる過程(伝える過程、1学 期)をしっかりと踏んで、次に、徐々にその身につけた形(力、技) を自覚的に発揮させ(わかる過程、2学期)、そして、やがては、 子供たちだけで学級会が出来る(きたえあう過程、3学期)ように させていかなければならない。 「指導は常に過程的でなければならない」、改めていうまでもない ことだろう。 学級会の仕方(司会進行、意見発表、討議、採決)を身につけさ せることは、子供たちのコミュニケーション能力を高めるために極 めて重要な学習活動でもある。 さて、希望を優先すると定員をオーバーする「係り」が当然に出 てくる。そのとき、どうするか。ここである、大事なところは。子 供たちの心(やる気、意欲、希望)を受け止めながら、その妥協点 を探るのは、思うほど易しいことではない。 場の雰囲気を見ながら、指導者は司会進行役に的確なアドバイス をしていく。子供たちの動く様子から、学級のまとまっていること が良くわかる。紛糾するでもなく、司会進行役に従いながら話し合 い、話し合いがつかないときは伝家の宝刀「ジャンケン」で決めて いく。負けても勝っても、「シャンケン」は公正・公平だね。だか らして、最後まで子供たちは楽しそうであった。 さて、話し合いとジャンケンで決着がついたようである。司会進 行役が集合整列を指示する。子供たちはその指示に従って静かに整 列する。ともすれば大騒ぎになる楽しみな日光移動教室に向けての 「係り決め」であるが、楽しそうでありながら十分に落ち着いた雰 囲気の中で班決め係り決めが進んでいく。要所要所で指導者が司会 進行役にアドバイス、時折全体に注意や指導を行う、これが、適切 でよかったということである。 司会進行役が、全体の意見を挙手によって確認するとき、手を挙 げて意思表示しなかった子供がいた。司会進行役がその子に対して、 直接指名し再度意見を求めたのは、学級会では傍観者を認めないと いう姿勢がありありと感じられて、実に素晴らしい。 授業寸景 NO8
授業寸景
某月某日 第3校時 社会 「源頼朝と鎌倉幕府」 平家の政治を復習した後、源氏の政治について学習する。 「源氏は、どんな政治をしたのか」。 指導者はまず、「自分で考えてみよう」と促す。「頼朝になった つもりで、どんな政治をしたら鎌倉幕府は長く続けることができる か、長く続けるためにはどんな政治が必要か、一体何が必要かを考 えてみよう」と、問いを重ねて子供たちへの意識を鼓舞せんとする。 「頼朝はどのようにして武士を従えていたのだろうか。」と板書。 まずは、「予想」ということである。子供たちは静かにノートに 向かって何かを書いている。覗き込むと、「いいことをして」とか、 「お金をやって」とか、書いている。なるほどね、指導者の問いに 沈黙で答えていた子供たちであるが、実はそれなりに考えているの だ。思わず感心した。 このように「問う」場合、思考の無原則な広がりを防ぐために「 限定的に問う」ことも必要であろう。 たとえば、「三つ書きなさい」とか、先に選択肢を用意しておき、 「三つ選びなさい」とか、「違うと思うものを三つ選びなさい」と か。 そして、次にそれを発表させて賛否を問うべく討論に導くとかす ると、子供たちのアタマとココロは自然と動き出すものである。 授業には、つたえあう段階(はじめ)、わかりあう段階(なか)、 きたえあう段階(おわり)のいずれかにおいて、必ず一度は討論す る場面を設定しておくことが大事なことである。討論は子供の思考 を刺激し、行為を主体的にする。忘れないようにしたい。 ノートに書けた頃合いを見計らって、指導者は子供たちに班にな ることを指示、子供たちはすばやく班になり、発表の順番を相談す る。 そうして、子供たちが次々と発表する。 「褒美をやる」「みんなでパーティ」「できることをやった」「税 を減らす」「土地を分けた」「家を作った」「お金をやる」「モノ でつる」「領地をあげる」などが出てきた。 的をはずさず子供たちは考えるものである。6年生ともなるとさ すがにさすが。 これらの発表から、指導者は将軍と家来(御家人)の関係「ご恩 と奉公」に導いていく。 指導者の発問は、幾分、誘導的発問のきらいがないでもないが、 とりあえず、そこに子供たちを到達させたのであった。細腕ながら その手腕、凄腕、豪腕、敏腕というべきか。 まとめは教科書の42ページを班毎に読み、学習内容を整理して、 次時を予告。そして授業終了とした。 ところで、教室環境は整然としており、気持ちのいいものであっ た。掲示物(学習物、大仏の絵、新聞の切り抜き、星野富広さんの 詩文、パワーアップ計画など)も整理されていて、細やかな神経が よく行き届いている。 子供たちのノート・歴史ノートもまた、丁寧に書かれていた。ノ ート指導にも指導者の感性感覚が反映しているのだろう。 6月25日授業寸景 NO7
授業寸景
某月某日 第4校時 国語 黒板に「あいうえお50音」の大きな張り紙。 体育の授業が終わったばかりのようで、まだ、教室は騒然として いる。傍の子供に聞くと、三校時は「着替えの練習、体育館での体 操」ということであった。 「さあ、座りましょう。」と指導者の声。この一声で子供たちは自 然と机に戻り、座り、口を閉じ始める。不思議なもので、幼稚園の 延長(年長)組児童みたいな(失礼)感じがこの指導者のたった一 声で鎮まるのだ。 日直さんが二人、前に立ち、「気をつけ、これから四時間目の授 業を始めます。」と声を揃えて授業の始まり。 「机の上には何もいりません」、「座り方はいいですか」と授業開 始の「ことわり」を知らしめて、本時の学習に入る。これは、指導 の定石、いうまでもない。 「あいうえお」と声を揃えて、まずはみんなで読む。 次に、カ行の「か」を読む。「かーっとのばして」と指導者。 「かあー」、「あ」で終わりましたね。(指導者) サ行を読む。 「さあー」、「あ」で終わりましたね。(指導者) タ行を読む、ナ行を読む、ハ行を読む、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行 と同じようにして読んでいく。そうして指導者は、「のばすとみん な『あ』になっちゃったね。だから『あ』がおかあさんで、他は子 どもです」と説明、このあたりのいい方、うまいものである。 「あいうえお・ひらがな50音」、お母さんと子ども、つまり母音 と子音の50音ってことですね。納得、納得。 このようにして、「い」、「う」、「え」、「お」についてもお 母さんと子どもたちに分ける。 次に、「のばすことば」をさがしてみましょう。この指導者の問 いには、意味がわからなかったのか、すぐには答えが返ってこなか った。指導者は、すかさず、「ご飯を作ってくれる人は?」と問い 直す。「おかあさん」、「あ、そうか。」と子供たち、もう指導者 の問う意味がわかった。そうなると、後はどんどん次から次へと出 てくる。 「おかあさん」「さあかす」「はあもにか」「おばあさん」「まあ ち」「らあめん」。指導者の手拍子でリズムを体感しながら、これ らの「のばす音」をしっかり覚えていく。 そして、指導者はノートを開かせて、ノートの升目にそれぞれの 言葉を書かせていくのである。 子供たちのノートを覗いてみると、大きな字でしっかりと書いて ある。次いで指導者は、赤鉛筆を持たせて、「のばしたところ(か あ、さあ、はあ、ばあ、まあ、らあ)」に線を引かせた。そして、 「だれか、線を引いたところを発表してくれる人は?」と問うと、 「はあーい」と、ほぼ全員の子が元気に手を上げる。なんと元気な 子供たちであるか。元気ありすぎって感じがしないでもないけれど。 まとめは、教科書音読。「がぎぐげごのうた」を指で押さえなが ら一斉に読む。この「指で押さえながら読む」という方法は、低学 年で非常に有効適切な音読方法である。 視覚、聴覚、触覚、口覚(?)を同時的に働かせる。指導者は、 「指で押さえながら読む人がいます。そんな人は上手に読めるよう になるんだね。」とそれを褒める。 この指導者は子供たちを良く褒める。褒める間に授業を進めてい るそんな感じである。 |