下柚木小の窓から【7月7日その6】校長 下柚木小の窓から【7月7日その5】校長 下柚木小の窓から【7/7その4】副校長 下柚木小の窓から【その3】副校長 下柚木小の窓から【7/7その2】副校長 下柚木小の窓から【7/7その1】合格した人たちは嬉しそうに受け取っています。周りの友達も、一緒に喜んでくれています。 副校長 下柚木小の窓から【7月6日その5】校長 令和3年7月6日の献立※ 夏野菜のカレーライス ※ たまごスープ ※ 茹でとうもろこし ※ 牛乳 主な食材の産地 米・・・・・・・・・茨城 玉ねぎ・・・・・・・愛知 人参・・・・・・・・埼玉 にんにく・・・・・・青森 生姜・・・・・・・・熊本 たまご・・・・・・・青森 豚肉・・・・・・・・宮崎 じゃが芋・・・・・・八王子 なす・・・・・・・・八王子 いんげん・・・・・・八王子 小松菜・・・・・・・八王子 とうもろこし・・・・八王子 今日は地元八王子の地場野菜をたくさん使用した、夏野菜カレーを作りました。 夏野菜カレーは校長先生の元気応援メニューでもあり食の大切さについてのメッセージもいただきました。 また、とうもろこしも八王子で収穫されたもので観察用に原木もいただき展示してありますので観察してみてください。 下柚木小の窓から【7/6その4】今日は校長先生が出張で朝ごはんがもらえなかったので、すねていたのかもしれませんね。 よく観察してくれている2年生のおかげでご飯にありつけたカブトムシは、ゼリーから離れません。 副校長 下柚木小の窓から【7/6その3】録画した動画を見合って確認しています。 自分の発表の様子を、すぐに目で見て確認できるので、とてもよい学びになっています。 副校長 下柚木小の窓から【7/6その2】廊下も使いながら、上手くやりとりができるまで何度も練習しています。 副校長 下柚木小の窓から【7/6その1】Do you have a〜.の表現を使ったやりとりをしています。 タブレットのみらいシードを使って、お互いに録画した動画を見合っています。 副校長 令和3年7月5日の献立※ ごはん ※ ししゃもの七味焼き ※ 肉じゃが ※ ごま和え ※ 牛乳 主な食材の産地 米・・・・・・・・・茨城 生姜・・・・・・・・熊本 にんにく・・・・・・青森 万能ねぎ・・・・・・高知 人参・・・・・・・・埼玉 もやし・・・・・・・栃木 じゃが芋・・・・・・八王子 玉ねぎ・・・・・・・八王子 小松菜・・・・・・・八王子 豚肉・・・・・・・・宮崎 今日は今が旬の八王子産玉ねぎを使用した肉じゃがを作りました。 5月から9月が旬の玉ねぎは八王子では244トンほど収穫されます。 下柚木小の窓から【7月5日その8】校長 下柚木小の窓から【7月5日その7】校長 下柚木小の窓から【7月5日その6】校長 下柚木小の窓から【7月5日その5】校長 下柚木小の窓から【7月5日その4】校長 下柚木小の窓から【7月5日その3】校長 下柚木小の窓から【7月5日その2】さて今日はちょっと悲しいお話かもしれません。先週配った学校だよりを読んでくれた人には同じ内容になってしまいますが、聞いてください。夏休みには全国高校野球選手権、いわゆる夏の甲子園大会が行われます。みんなの中で野球が好きな人も結構いることでしょう。校長先生も野球が大好き、甲子園で野球のボールを追いかける高校生たちをテレビで見ることが大好きです。実際に夏の甲子園へ大会を見に行ったことも2回ほどあります。でも今から十年とちょっと前ですが、そんな高校野球に悲しい思い出ができてしまいました。それは一人の青年の死でした。 その青年は校長先生の教え子でした。5・6年生の2年間担任をしました。体は少し小さくてもいつも元気で大きな声と野球少年らしい坊主頭が彼のトレードマークでした。「甲子園に出ること」が彼の一番の目標でした。まだ若かった校長先生は毎日のように子供たちと夕暮れまで校庭で遊んでいました。その日によってメンバーは多少変わるのですが、彼は必ずその中にいました。卒業させてから数年か過ぎ、先生も転勤して別の学校にいたころ、当時の教え子たちから連絡がありました。クラス会ですね。二十歳になった教え子たちは大学に行ったり、就職したり、大学受験を目指して勉強していたりと様々で、みんな今の自分のことを報告しながら盛り上がっていました。その中に彼もいました。彼が校長先生のところに来て報告してくれたことは、残念ながら高校を途中でやめてしまったことでした。 でもそのときの彼には目の輝きがありました。「でもね、先生。俺、やっとやりたいこと見つけたんだ」と言いながら教えてくれたことは、その時毎日夕方、卒業した中学校の先生のもとで野球部の後輩たちにコーチしながら、夜間の高校に入りなおしていると言うことでした。「俺、絶対に大学まで行って先生になって、高校の野球部の指導がしたい。高校がだめだったら中学の野球部でもいい」という話を聞いて、とても立派な夢だと思いました。校長先生は、彼の肩を叩いて心から「頑張れ!」と言いました。 彼が突然亡くなったというお知らせは、そのちょうど1年後でした。同じクラスだった子のお母さんからの涙まじりの電話でバイク事故だと分かりました。夜の国道を走っていたとき、何かを避けようとしてスリップして、ガードレールに直撃、3日間意識不明の後、亡くなったということでした。お通夜の晩、1年前の同窓会の仲間たちがたくさん来ていました。でも誰も校長先生に話しかけてきませんし、校長先生も黙っていました。みんな泣いていました。お葬式の祭壇に置かれてあったグローブを見て、「先生になって野球を教えたい」と言った時の目の輝きが頭に浮かびました。世の中って本当に悲しいこと、残念なこと、つらいことがあるんだなと、その時校長先生は本気で思いました。 改めてみんなには「命を大切に」と言いたいと思います。校長先生はもうすぐおじいさんになる歳ですが、できるだけ長生きしようと思っています。みんなが校長先生より先に死ぬようなことがあったらいけませんよね。順番が違いますね。生きたくたって生きることができなくなった人がいます。素敵な夢があったのに亡くなった人がいます。どんなに辛いことがあっても生きていれば必ずいいことがあると思ってください。校長先生は今でも高校野球を見ることが大好きです。でもその出来事があってから、テレビ画面に映る高校野球の監督の姿を見ると彼のことを思い出すので、少しさみしいなと思うようになりました。もう一度言います。みなさん、たった一つしかない命を大切にしてください。お話を終わります。 |