一斉下校訓練8
12月17日(月)
この日の『一斉下校訓練』でも、写真撮影などの記録に、学校コーディネーターの森田さんにお仕事をしていただきました。訓練の前に、担当の先生と、訓練の流れを確認され、会議室での地区委員の係の方が会議をされている様子のスナップ写真なども撮影されていました。 一斉下校訓練7
12月17日(月)
今回の想定が、『大雪』に対応するものなので、事前の準備が行えることから、スムーズに一斉下校ができるように、子どもたちは、前もって、下靴や雨具を教室前の廊下に準備しておきました。 一斉下校訓練6
12月17日(月)
一斉下校訓練では、子どもたちは、地区ごとに決められた教室に集まります。班長さんなど高学年の子どもたちが、1年生を迎えに行って、地区の教室まで連れて来てくれています。 教室では、担当の先生や地区委員の係の保護者の方からのお話を聞いたり、校長先生の校内放送でのお話を聞いたりします。 一斉下校訓練5
12月17日(月)
子どもたちの下校の様子だけでなく、通学路など地域の状況も、担当する教員は見取ってきています。 一斉下校訓練4
12月17日(月)
各方面の地区への誘導を終えた先生方が、職員室に戻ると、副校長先生に報告をしていました。 一斉下校訓練3
12月17日(月)
この日の『一斉下校訓練』は、大雪による緊急対応としての下校の訓練を想定して行われました。 八王子では、平成24年に、数日、公共交通機関が大きな影響が出てしまうほどの大雪がありました。このような状況での児童の安全確保として、訓練が行われました。 子どもたちは、集まった教室から並んで門まで歩いて行っていました。また、敷地内の学童保育所に行く子どもたちは、学童の先生に誘導されて下校していました。 一斉下校訓練2
12月17日(月)
地区担当の先生や地区委員の保護者の方と一緒に学校を出た子どもたちは、一列に並んでしっかりと歩いて行きます。交差点には、毎日の登下校で見守りをしていただいている地域の方も、スムーズに訓練ができるように助けてくれていました。 一斉下校訓練1
12月17日(月)
この日の6時間目に、『一斉下校訓練』が行われました。子どもたちは、毎日の登校の時の『登校班』になって、下校していきました。 活躍する学校コーディネーター
12月19日(水)
本校では、教職員以外にも、たくさんの方々に支えていただいて、子どもたちの教育活動を進めています。 地域の方や大学の方による学校支援のつなぎ役として、学校コーディネーターの森田さんには、本当にお世話になっています。 地域めぐり(3年 社会科)21
12月19日(水)
3年生が、この日見学した、『浄泉寺』や『龍見寺』は、武士の時代の歴史だけでなく、昭和の時代の歴史もあります。 横一小の子どもたちが、地域学習のときに使っている『3年生の副教材 学校のうつりかわり 横一小 今と昔』には、“学童疎開”について、次のように書かれています。 「館町でも、瀧見寺や浄泉寺には、品川区の浜川小学校の子どもたちが1944年(昭和19年)の8月、疎開してきました。 龍見寺には、3・4年生の男女合わせて30人ほどが、若い女の先生と炊事の女性に付き添われて来ました。 そして、お父さんやお母さんのもとを離れ、お寺の本堂で、寝起き、食事、勉強などをみんなと一緒にする生活を始めました。その頃は、米も野菜も魚もすべて配給制でした。お米は決められた量少しだけ。米のかわりに麦やいもが配給されることもありました。 子どもたちは、配給だけでは足りず、近くのお百姓さんが分けてくれるいもや野菜、時折配給される魚や乾燥卵を食べ、やっと命をつないでいました。」 本校の110周年の際に創られた副教材を、活用して、横一小のこと、地域のことをしっかりと子どもたちに学ばしていきたいと考えています。 地域めぐり(3年 社会科)20
12月19日(水)
野上先生に、大日堂の中でお話を聞いてる間、もう一つのクラスの子どもたちは、栗原先生から、いろいろな説明をしていただいていました。 地域めぐり(3年 社会科)19
12月19日(水)
大日堂の中に納められいる、木造の大日如来(金剛界)坐像を、子どもたちは見せていただきました。この大日如来坐像は、昭和37年に東京都の文化財に指定されているほどに、とても貴重な仏像です。 地域めぐり(3年 社会科)18
12月19日(水)
子どもたちは、3つ目の見学先の瀧見寺に着きました。 瀧見寺では、(1849年)に再建された大日堂の所で、住職の野上先生から、たくさんのお話をいただきました。瀧見寺さんは、浄泉寺さんと同じように、本校が、『館の賀学校』として村の子どもたちが学んでいた頃に、教場として使われていたところでした。 また、野上先生は、本校と保幼小連携のパートナーとなっていいただいている『八王子ひまわり保育園』の園長先生もされておられるので、3年生の子どもたちの中には、 「園長先生!!!」 と懐かしくお話を聞き入っている子もいました。 地域めぐり(3年 社会科)17
12月19日(水)
浄泉寺さんの見学を終わった子どもたちは、3つ目の見学先に向かって、館町の様子を見ながら移動していきました。 地域めぐり(3年 社会科)16
12月19日(水)
子どもたちは、浄泉寺で書かれている鎌倉権五郎景政の戦のお話から、戦勝を東北の湯殿山のご祈願したことを、栗原先生から教えてもらいました。 「湯殿川の“湯殿”は、お湯ではなくて、東北の“湯殿山”からついたのですね。」 湯殿川の名前の由来の答えを教えてもらいました。 地域めぐり(3年 社会科)15
12月19日(水)
お近くにいていただいた浄泉寺のご住職さまに、突然でしたが、お話をお願いしました。快く子どもたちにお話をしていただけました。本当にありがとうございました。 地域めぐり(3年 社会科)14
12月19日(水)
子どもたちは、お寺の西側に移動して、そこから眺められる八王子の山々を見学しました。 「浄泉寺から、ちょうど八王子城がはっきりと見ることができます。」 八王子城主の北条氏照の家臣だった近藤出羽守助実公の砦としての関係などを教えてもらいました。 地域めぐり(3年 社会科)13
12月19日(水)
浄泉寺さんの本堂を通り、子どもたちは、このお寺の開基である『近藤出羽守実公』のお墓の前で、栗原先生からお話をしてもらいました。 この浄泉寺は、本校が、明治の初期に『館の学校』として地域の子どもたちが学んでいたときに、教場として使われていました。その当時の子どもたちも、村の歴史を学ぶ一つとして、この日の横一小の子どもたちのように学習をしていたと思いました。 地域めぐり(3年 社会科)12
12月19日(水)
3年生の子どもたちは、二番目の見学地の『浄泉寺』に到着しました。 この『浄泉寺』は、平安時代の後期、応徳3年(1086年)、鎌倉権五郎景政がこの地に本拠を構えました。そして、戦国時代に入ると『近藤砦』と呼ばれ、『御霊山浄泉寺城』と称されていたいわゆる武将の館でした。 「みんなの住んでいる街の名前が、“館町”とい言われるのは、この“館”からですね。」 と、栗原先生から教えていただきました。 お寺の本堂に向かう坂道の両脇には、切通になっており、“土塁”のように今も感じられました。 地域めぐり(3年 社会科)11
12月19日(水)
御霊神社には、鎌倉権五郎景政を祭神として祭られています。この鎌倉権五郎景政について、境内に設けれれている記念碑をもとに、3年生の子どもたちが分かりやすいように栗原先生がお話をしてくださいました。 |