なかよしあそび集会1
6月16日(金)
異学年交流の場として、本校では、児童集会の一つとして、『なかよしあそび集会』を行っています。1年生と6年生、2年生と5年生、3年生と4年生とがペアーになり、上の学年の児童が、遊びの内容を前もって考えながら楽しく遊びます。 校庭で遊ぶ学級、体育館や教室で遊ぶ学級など、子どもたちがのびのびと、いろいろな遊びが行えるように工夫しています。 横一小キッズ通信 第12号
『横一は、プロジェクターで授業する!』
横一小は、2年前から、プロジェクターを導入し、効率よく授業をすることにしました。 子どもたちは、わかりやすいので、発言も少し多くなったと思います。プロジェクターを入れたら、映したしたものを、拡大したり、録画したり、縮小したり、カメラで写真が撮れたり・・・と、いろいろな機能が搭載されているので、とても助かっています。これからも大切に扱っていきます!! ペンネーム〔こてっちゃん〕:120周年子ども実行委員 ※本校では、創立120周年を迎える取り組みの一つとして、120周年子ども実行委員の子どもたちが、学校や自分の住んでいる街のよさを見つけ、発信する行動を行っています。この『横一小キッズ通信』は、その活動の一つとして行っています。なお、児童の個人情報の確保の観点から、取材した児童は、ペンネームで記事を書いています。 写真は、以前のホームページで掲載したものです。 120周年マスコットキャラクター『テングットくん』
6月16日(金)
120周年記念として、全校児童・教職員で、航空写真を撮影しました。その時に校庭に描いたデザインは、本校のシンボルの一つ、『校章』でした。本校の『校章』は、昭和39年(1964年)3月に、本校の第13代の校長 笹野太郎先生が考案され、制定されました。そして、『校章』の由来について、「創立七十周年記念誌」に、次のように書かれています。 中央に力強い「横一」の文字、実り豊かな稲穂が左右からこれを抱き、楢と椚の若葉が、やさしく全体を支えている横一小の校章は地域の歴史と希望を表現している。 楢と椚の若葉は 入学の希望を 稲穂は 卒業の喜びを。 古人は「実るほど頭をたるる稲穂かな」と詠んだ。遠く万葉の昔から、横山の地は楢と椚の丘がはてしなく、幾重にも続き、その丘を越えて行くと耕地が開け、そこにそれぞれの集落を形成し、平和な生活を営む人々が見られた。横山の春は楢と椚の新緑にけむり、夢のように平和で美しかった。秋のたんぼは黄色く楽しかった。横山に生を受けた人は、楢、椚、稲の中に育った。楢と椚と稲は、人の心を人間味豊かに平和なものに育ててくれる母のようなものだと思う。横一の自然は、ブルトーザーの響きに昔ながらの美しさを変えつつある。今後も大きく変わるだろう。どんなにかわろうとも、山のシンボル、楢、椚、稲穂は忘れたくない。 そして、創立120周年活動での子どもたちのシンボルとして、マスコットキャラクターを考えました。このマスコットキャラクターは、図工専科の片山先生が描きました。また、マスコットの名前は、子どもたちから募集し、現、3年生の児童が考えてくれた『テングットくん』と、子どもたちの多数決で決まりました。 航空写真撮影(創立120周年の活動)9
6月15日(木)
“校章”の下図のラインの所に並んだ子どもたちは、航空写真のスタッフの方から、飛行機が写真と撮るときのエプロンの上げ方など説明をしてもらいました。みんな真剣にお話を聞いていました。 そして、合図に合わせて、子どもたちと先生、約600人が気持ちを一つにして、すてきな航空写真を撮ろうと頑張りました。出来上がった写真が楽しみです。 『百二十周年の校庭』 私は今、校庭という名のステージに立ち、飛行機を待っている。なぜ、ステージなのかというと、百二十周年の卒業生だからだ。この記念すべき年の卒業生ということで、少しうれしかった。 皆、黄緑色のエプロンを付けて、葉を表現している。まるで小さな葉が一つの大きな葉を表現しているようだ。 この航空写真を撮って、次に撮るのは十年後。次の百三十周年の卒業生は、どんな気持ちなんだろう。 〔6年児童の感想文より〕 航空写真撮影(創立120周年の活動)8
6月15日(木)
子どもたちは、自分たちの学級の担当した“校章”の下図のラインの所に、順番に移動して、並びました。 『百二十周年の横一小』 「私は、百二十周年の年の六年生です。」 今年の周年行事を盛り上げるのは、私達、高学年。そんな気持ちで、私は今回の周年行事に参加しました。 私達平成二十九年度の六年生の中には、 “120周年 周年実行委員” という子たちがいて、私もその一人です。横一のキャラクターや、キャッチコピーを決めた時の発表、放送等の120周年に関わることをしています。 そして、六月十五日、航空写真を撮りました。エプロンは暑かったし、日差しも強かったです。そんな日のあたたかい撮影日和に、航空写真が撮れて良かったです。 そんな私達120年目の六年生。卒業生として、私は、この学校が200年、いやもっと長く続いてほしいと思いました。これからも、先も、明るい、元気な横一であってほしいです! 〔6年児童の感想文より〕 航空写真撮影(創立120周年の活動)7
6月15日(木)
校庭に出た子どもたちは、飛行機の到着時刻までの少しの間、桜の木の下で待っていました。 『百二十周年の私たち』 今日はとても晴れて暑い日でしたが、とても笑顔で撮ることができました。 横一小の百二十周年の写真に、私たちがのれることが嬉しく思います。 私たちが写った写真が残ると考えたら、変な髪型していないか、変なかっこうしていないかと考えてしまします。 赤や黄、緑などのさまざまな色で、横一小のマークを作りました。どうなるかは全然分かりませんが、線が書かれている所に立ち、写真を撮ったので、きっときれいに形ができているのだと思います。 一生に一度だけかも知れない今日の写真は、とても貴重だったと思います。 写真を撮るのに協力してくれた皆さんにも感謝し、この残りの横一小での学校生活を大事にしたいです!! 〔6年児童の感想文より〕 19日の給食ごはん ゆかりふりかけ 焼きししゃも 肉豆腐 きゅうり南蛮 牛乳 です。 今日は、肉豆腐を食べてもらいました。豆腐は、混ぜても崩れないように、カットしてから一度ボイルしています。にんじんは、短冊切りにすることで、料理全体の彩を明るくすることができました。 航空写真撮影(創立120周年の活動)6
6月15日(木)
黄色や緑のエプロンを被った子どもたちが、次に何をするのかイメージも浮かばないまま、昇降口から次々に校庭に出てきて並びました。 『120年の歴史を撮る』 今日、私たち横一小の子どもたちと先生は、横一小の校庭で航空写真を撮りました。横一小のマークを全員で作る中で、私たち6年3組は緑色のエプロンを付けて、下の葉をやりました。 今日はちょうど晴天で、まぶしくて、上の方を見上げることが難しいくらいです。暑い中、1年生が、 「飛行機が来たー!!」 と元気にはしゃぐ様子から、私も暑さやまぶしさなんか忘れて、上を見ました。 大空をうごめく飛行機は写真を撮って行ってしまいました。ですが、写真には、きっと120周年の歴史が詰まっていると思います。 そのあとの全体写真は、これが120周年の子どもだという写真が撮れたと思います。私は、120周年の卒業生として誇りを持ってこの写真に写りました。 〔6年児童の感想文より〕 航空写真撮影(創立120周年の活動)5
6月15日(木)
横一小に残されている航空写真には、現在の館事務所の場所に校舎が建てられた時のものがあります。そして、北野街道も通っていない時の航空写真が見られます。今から61年前の昭和31年(1956年)2月15日に撮影された写真です。この航空写真が撮られた昭和30年度4月に、町村合併が行われ、横一小は、横山村立横山第一小学校から、現在の八王子市立横山第一小学校となりました。 昭和37年(1962年)9月27日に撮影された航空写真には、北野街道が形作られています。 16日の給食磯ごはん 鮭のちゃんちゃん焼き じゃがいものうま煮 ゆでそらまめ 牛乳 です。 今日は、磯ごはんを食べてもらいました。わかめ、ちりめんじゃこ、ごまがおしょうゆ味のごはんに混ざっています。給食では、「ごまの風味を強く出したい。」と思う時は、から炒りをしています。ちりめんじゃこも、臭みを飛ばすためにオーブンでカリッと焼き上げました。 鮭のちゃんちゃん焼は、一度鮭を焼き、その上から野菜を乗せ、二度焼きしました。 15日の給食セサミトースト ポークビーンズ コールスロー くだもの(バレンシアオレンジ) 牛乳 です。 今日は、セサミトーストです。ごまとバターとお砂糖のペーストをパンに塗り、カリッと焼き上げました。大きな鉄板1枚に15枚のパンを並べて焼きます。 パンは、エネルギーが学年ごとに異なるので、低・中・高学年ごとにパンの大きさが違います。大きさが分かるように、毎回マークを置いて焼きます。今回は、洗った人参の頭を目印にしています。 航空写真撮影(創立120周年の活動)4
6月15日(木)
子どもたちが並ぶデザインの横一小の校章の下図描き、彩色のためのエプロンなどの準備は、航空写真のスタッフの方にすべて準備していただきました。 『横一小百二十周年』 私は今日、百二十周年を記念して、航空写真を撮りました。私たちのクラスは、右下の葉の部分にいました。黄緑色のエプロンを身につけて、白いラインの上に立ちました。飛行機が来たとき、私は十年に一回しか撮れない航空写真を六年生で撮れることができるのは、とてもいいことなんだと実感しました。撮っているとき、どのように見えているのか気になりました。撮り終わって、私は十年後に航空写真を撮る人たち、特に今の私のような卒業生は、いろいろなことを考えながら航空写真を撮ってほしいと思いました。 〔6年児童の感想文より〕 航空写真撮影(創立120周年の活動)3
6月15日(木)
横一小には、以前に何回か、航空写真が撮られています。学校の場所も、今の場所と異なり、現在の館事務所の場所にありました。1970年に撮られた写真、そして、70周年(1967年)の際に撮られた写真があります。校庭に並んでいた当時の子どもたちも、今回の子どもたちのように、胸をときめかせて並んでいたことでしょう。 その頃の横一小の思い出を思い浮かべていただけたら幸いです。 航空写真撮影(創立120周年の活動)2
6月15日(木)
自分の立ち位置に立って、写真と撮る飛行機を、子どもたちは、今か今かと待っていました。そして、雲の間から飛行機が見えたときには、子どもたちの間から、期待感の高まったどよめきが沸き起こりました。 『百二十周年記念の航空写真』 私は、今日、初めて航空写真を撮影してもらいました。エプロンの色は赤・緑・黄緑・黄色がありましたが、私は黄色でした。航空写真を撮る飛行物体は、私はヘリコプターだと思っていましたが、実際は、飛行機でした。航空写真がどのように撮られたかは分かりませんが、私は小学校生活最後の学年で、最高の友だちと撮れたことがすごくうれしかったです。 そして、カメラで撮ってくれた方や飛行機を操縦してくれた方、航空写真を計画してくれた方々に感謝したいと思いました。 〔6年児童の感想文より〕 航空写真撮影(創立120周年の活動)1
6月15日(木)
雨で一度延期になってしまった創立120周年記念の航空写真の撮影も、天気に恵まれ、実施できました。 『初めての航空写真と撮って』 私は、百二十周年記念の航空写真と撮る時、校章を全校児童で作れる事にぶっくりしました。私は、稲の小さな部分でした。最初は正直、わき役だな・・と思ったけど、いざ写真を撮るとなると、とても大事な役目なんだなと思いました。小さな米一つが無くなっただけで、校章ではなくなってしまう事に、改めて気付きました。 そして、百二十周年の卒業生として、横一小の恥にならないよう、積極的に行動し、勇気を持ってこの学校を卒業したいと思いました。次の百三十周年、百四十周年・・と、どんどん横一小の良い伝統を次世代につなげてほしいです。 〔6年児童の感想文より〕 放課後子ども教室(高学年学習教室)
6月14日(水)
今日も4年生〜6年生対象に放課後学習教室がありました。帰りの会が終わると、高学年の子供たちが算数教室に集まってきました。すぐにランドセルから自分たちの学習道具を取り出し、黙々と学習に取り組んでいました。 読み聞かせの様子から2
6月14日(水)
ふたりの保護者の方の読まれる絵本の楽しさに、子どもたちは身を乗り出して聴き入っていました。 読み聞かせの様子から1
6月14日(水)
本校の校舎の配置の関係から、読み聞かせの会場は、低学年の教室から少し離れた北校舎の多目的室になっています。 「読み聞かせが、多目的室であるます。」 との校内放送を聞いて、子どもたちが多目的室に集まってきます。最初は、子どもたちの姿もまばらでしたが、読み聞かせが始まるころには、体操着に着替えた子どもたちなど、たくさんの子どもたちが防災頭巾片手に部屋に入ってきました。そして、列の後ろにすばやく座って、お話を聴いていました。 授業の様子から1(3年 算数)
6月14日(水)
子どもたちの確かな思考力・表現力の伸長には、自分の学びに役立つノートがしっかりと作成できることが、効果があります。そこで、本校では、算数科を中心に、全校で『ノート指導』に取り組んでいます。その一時間で、自分が何に向かって学習をするのかが子ども自身に意識できるように、“めあて”をノートに書かせ、赤枠で囲ませます。そして、学習の“まとめ”は、青枠で囲ませます。このような毎日の繰り返しが、主体的に学習する児童の育成につながる一つの方法と捉えて、進めています。 理科支援ボランティアの活動の様子から
6月13日(火)
理科支援ボランティアの保護者のみなさんが、理科室整備をしていただきました。生憎の雨で、畑やプランターなどの屋外での作業ができませんでしたが、流しの清掃や窓ガラスの掃除などしていただきました。日頃気になっていてもなかなか子どもたちの清掃では手が回らない箇所でしたが、理科室の窓もピカピカにきれいになりました。 本校は、理科専科の教員を置いていないため、担当の教員が学級経営等の合間に行うため、なかなか理科室経営・整備には手が届かないことがあります。理科支援ボランティアの方のお力が、理科準備室の整備や器具の片付け・準備、教材準備など、本当に助かっています。 |