“今につながる、横一のむかし”『横一小音頭』5

※本校の120周年活動のおもなコンセプトは、
1,子どもたちに主体的に取り組ませ、子どもたちの心に残る周年活動を組
 み立てていく。
2,横一の“レガシー”を再発見していく。
3,子どもたちに、横一の“よさ”や“強み”に気づかせ、それらを守り続けよ
 うとする気持ちを培っていく。
4,120周年の取り組みを、市制100周年の学習と関連づけて行ってい
 く。
5,持続可能性で、コストパフォーマンスも留意した、シンプルな周年活動
 を進める。
6,地域力の広がりを生み出す。                 など
です。
 そこで、百周年の際に作られ、ここ数年、行われていなかった“横一小音頭”に着目し活動を行いました。
 まず、作詞者の服部幸子元校長先生や作曲者の山岡憲三先生(元音楽専科)の両先生へご連絡をしました。服部先生には、ご来校いただき、『横一小音頭』を創られた当時の様子を教員がお聞きしました。
「踊りが少し、子どもたちには、難しかったかもしれないから、今の子どもたちが踊りやすいように変えてあげたらいいかもしれない。」
とのお話もいただきました。
 また、山岡先生には、120周年子ども実行委員の子どもたちが、取材のお手紙をお出ししたところ、すぐにお返事をいただけました。
 そして、本校の現音楽専科の教員が、残された楽譜をもとに歌を再現し、5・6年生全員に歌唱指導しました。5年生には、運動会用の音源としてCDに吹き込んでもらいました。
 さらに、踊りの振り付けは、地域にお住まいの植田さん、瀬川さんに考えていただき、“横一小音頭2017バージョン”として復活させました。
 運動会間近にこれらの作業を終えることができ、運動会当日には、植田さん、瀬川さんにも6年生の踊りの輪の中に入っていただきました。6年生の踊りを盛り上げようと、児童席にいた5年生から自然発生的に、“横一小音頭”の歌声が生まれてきていました。

 周年活動の別の取り組みとして行った『30年後に残す横一のよさ』に対して、この“横一小音頭”を取り上げた子どもたちがいました。横一小のレガシーの一つである“横一小音頭”を末永く引き継ぎ、地域の絆づくりの一つとして役立てばと願っています。

◎30年後に残す横一のよさ『横一小音頭』

 昔から受け継がれて来て、横一小の百二十周年記念の運動会で、今年度の6年生も踊ったし、これからも横一小のみんなに受け継いでいってほしいからです。
                   ペンネーム〔西 心結男〕:6年
 20年前の踊りが、今年になって再現されて、自分たちが遣って、すごく楽しいし、覚えやすいので、“横一小音頭”をずっとつづけてほしいです。
                 ペンネーム〔PK サンダー〕:6年
 120周年で復活したので、このあとも残してほしいし、横一小の卒業生にも、地域の人にも知ってもらったら、横一小がもっともっとにぎやかになると思います。
 また、“横一小音頭”を踊ったことがある人や知っている人が、“横一小音頭”が復活して、ずっと残ったら嬉しいと思います。
 私にとって、“横一小音頭”は宝物なので、30年後も、40年後も、50年後も残って欲しいです。
                ペンネーム〔ほうれいせんくん〕:6年
 “横一小音頭”は、100周年に作られて、120周年に踊っていたので、150周年にも踊って欲しいです。
                   ペンネーム〔たーちゃん〕:6年
 “横一小音頭”は、将来も忘れないように、残っていてほしいです。
                     ペンネーム〔ほづぴ〕:6年
 “横一小音頭”は、横一と成っているし、30年後、全校児童が“横一小音頭”を踊ると、とてもうれしいからです。“横一小音頭”を40年後、50年後、いつまでも続けてほしいです。
                    ペンネーム〔抹茶パン〕:6年

 写真は、以前のホームページで掲載したものです。また、児童の個人情報の確保の観点からペンネームとしています。
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“今につながる、横一のむかし”『横一小音頭』4

※創立百周年記念曲として作られた『横一小音頭』は、当時の運動会でも踊られていました。

                        『卒業アルバム』より
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“今につながる、横一のむかし”『横一小音頭』3

※百周年記念事業実行委員会の主催による『盆おどり大会』が行われました。
 
  平成9年4月30日  立て看板
            “祝 21世紀の夢育てよう 横一小百周年” 
                               設置
      5月17日  盆おどり練習 他
      6月21日    〃
      7月 7日    〃
      7月19日  盆おどり大会・第2回バザー 開催

                     『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『横一小音頭』2

“今につながる、横一のむかし”『横一小音頭』2

※『横一小音頭』に振付が付けられました。

  平成9年4月21日 『横一小音頭』振付披露
             振付   西川 扇二郎 先生  
             表現指導 西川 扇明生 先生
   
                      『創立百周年記念誌』より
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創立120周年記念 “今につながる、横一のむかし”『横一小音頭』1

※創立百周年記念曲として、『横一小音頭』が作られました。

 
 平成9年4月5日 『横一小音頭』 完成・披露
       作詞  服部 幸子 校長  
       作曲  山岡 憲三 先生(注:当時の音楽専科の先生)

 
 『横一小 音頭』
                     作詩  服部 幸子
                     作曲  山岡 憲三
1、ああ 校庭に咲く たんぽぽは
  たくましく かがやく力
  みんな みんなで 花咲かそう
   みんな みんなで 花咲かそう
  今日も楽しい 学び舎
   横山第一小学校 横山第一小学校
   明日にむかって 夢咲かそう

2、ああ 校庭に咲く コスモスは
  やさしく 広い心
  みんな みんなで 花咲かそう
   みんな みんなで 花咲かそう
  いつも笑顔の 学び舎
   横山第一小学校 横山第一小学校
   明日にむかって 夢咲かそう

3、ああ 校庭に立つ 日時計は
  未来へ 翔ばたく 証
  みんな みんなで 花咲かそう
   みんな みんなで 花咲かそう
  強いきずなの 学び舎
   横山第一小学校 横山第一小学校
   明日にむかって 夢咲かそう      
                     『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』6

6,現在(旧稲荷山小学校ができたあとの横一小学区)
 昭和57年、稲荷山小学校の開校に伴い、寺田町の児童が通学するようになった。
 その後、平成14年に上館小学校と殿入小学校が統合し館小学校となり、また、平成16年に寺田小学校と稲荷山小学校が統合し、緑が丘小学校となっている。

※明治の頃からの横一小の学区域の変遷の地図は、ホームページ『横一小の歴史』に掲載してあります。見比べやすくなっていますので、ご活用ください。
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』5

5,昭和56年(旧寺田小学校ができたあとの横一小学区)
 南側の地域は、以前は山や田畑の緑が多いところでした。グルーンヒル寺田団地が建設され、それに伴い、広い道路が町田街道までつながりました。法政大学の開校に伴い、バスが頻繁に通るようになりました。それにより町の様子も変わり、田畑はなくなり、住宅が建ち並ぶようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』4

4,昭和53年(椚田小学校ができたあとの横一小の学区)
 昭和40年代中頃を過ぎると、椚田地区の区画整理が始まりました。広々とした農地が次々と様子が変わり、あちらこちらに道路ができました。もう以前の面影がだんだんなくなってきました。その頃まわりには大きなマンションも建ち始めました。そして区画整理の工事も終わりに近づくころには、家もでき始めました。
ここで、椚田小学校の開校になり、椚田町の一部の児童が通学するようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』3

3,昭和50年(旧上館小学校、旧殿入小学校ができたあとの横一小学区)
 昭和30年代後半になると、戦後のベビーブームで児童も増え始めました。そして、昭和40年代にはめじろ台の開発と京王帝都電鉄高尾線が開通により、大きく変わってきました。
 宅地化が進み、山は造成されて団地ができました。先ず、館が丘団地ができて、上館小学校と殿入小学校が開校しました。それに伴い、館町の一部の児童が通学するようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』2

2,昭和34年(浅川小学校に通えるようになったあとの横一小学区)
 昭和20年代の後半になると戦災で焼けた八王子の町も整備が進みました。そして、昭和30年には6か村(横山村、由井村、元八王子村、加住村、川口村、恩方村)が八王子市に合併しました。それから4年後に浅川町が合併をしました。それにともない、狭間町の児童が浅川小学校に通学するようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より

※八王子の街が大きく変わった頃です。昭和30年の6か村合併により、横一小の校名も変わりました。昭和22年の学制で、横山村立横山第一小学校となった横一小は、八王子市立横山第一小学校となりました。
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思い出の日光移動教室 総集編97

 最終の見学地『富弘美術館』の見学も終え、日光移動教室のおもなプログラムをすべて無事に終え、バスは一路、学校へと向かっています。
 バスの中では、バスレクの係の子どもたちを中心に、ワイワイガヤガヤと楽しくバスレクに興じていました。また、サービスエリアでのトイレを済ましたあとは、おやつタイムになりました。お腹いっぱい食べた子どもたちでしたが、おやつは別腹でしょうか、楽しそうにおやつを食べていました。もちろん、食物アレルギー対策から“おやつ交換なし”などのルールは、しっかり守られていました。

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思い出の日光移動教室 総集編96

 富弘美術館では、行動班ごとに、退館時刻に気を付けて作品の鑑賞・見学をしていました。自分のお気に入りの絵や言葉を見つけた子も多くいたようでした。また作品のすばらしさとともに、その作品を創り上げるときの富弘さんの作品の創る姿を思い浮かべ、その努力の尊さにも感銘を受けていました。
 鑑賞や見学ともに、
「トイレを済ませておくように。」
との先生の指示も、しっかり行われていたので、集合してすぐにバスに乗車し、富弘美術館をあとにすることができていました。
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思い出の日光移動教室 総集編95

 お店の方が用意をしてくれたご飯は、子どもたちのお腹の中にすっぽりと収まってしまいました。そして、広間には、子どもたちの満腹感が漂っていました。
 日光移動教室の3日目を、子どもたちが元気に過ごしている現れでした。
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思い出の日光移動教室 総集編94

 富弘美術館近くの草木ドライブインの広間で、子どもたちは昼食を取りました。メニューは、子どもたちの大好きなカレーライスです。
 食事係の子の最後の仕事の「ごちそうさま。」で、子どもたちは、後片づけする方の気持ちを考えて、自分たちで上手に片づけを済ませていました。
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創立120周年記念 “今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』1

 平成29年度は、八王子市の市制100周年の記念すべき年です。そして、本校にとって、120周年の節目の年でもあります。
 120周年の節目をよい契機に、子どもたちに横一小のよさや子どもたちの住んでいる館・椚田・大巻・大船などの周辺の街々、八王子市に目を向けさせたいと思います。
学校に残る資料“横一の宝物”をもとに、“今につながる、横一のむかし”を連載します。また、ホームページに他のページに掲載していきます。

1、最初の横一小学区
 横一小の学区は、旧横山村の南部を中心に成っていました。明治30年の創立から昭和20年代中頃までは、だいたい1学年1クラスでした。
 当時、この地域も自然のままで山あり、畑あり、田ありでした。そして、でこぼこの砂利道を通学しました。水ぬるむ春になるとれんげが咲き、蛙がなき始め、初夏にはひばりやカッコウ鳥の鳴く下で麦を刈り、牛馬による田の代かき、雨の中でござを着ての田植え、冬には麦をふむ農家の人。こんなのどかな絵のような田舎の光景が見られました。また、椚田の原から館の上、そして狭間町にかけて桑の木や農作物で緑がいっぱいでした。
                    『創立百周年記念誌』より

 ※当時の学区域の地図からも分かるように、当時の横一小の学区は広く、今の横一小、館小学校、緑が丘小学校、椚田小学校、浅川小学校の学区にまたがっていたと思われます。そして、この辺りに住まわれているご年配の方々は、横一小の卒業生として、今も横一小のことを気に掛けられているとお聞きしています。
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思い出の日光移動教室 総集編93

 狭く、薄暗い坑道での足尾銅山での見学も終え、やはり明るく、広々とした所での歩行で、ほっとした様子の子どもたちでした。最後の見学地の富弘美術館と昼食に向けて移動のために、駐車場に向かいました。
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思い出の日光移動教室 総集編92

 足尾銅山の坑道内の見学路は、時代ごとに掘削作業などの仕方が順番に展示されています。そして、所々に、その当時の働く人の様子が分かりやすいように、模型の電動仕掛けの人形が展示されています。急に見た子が、ギョっと驚いた様子が見られました。
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思い出の日光移動教室 総集編91

 銅山の坑道内の見学になった子どもたちは、坑道内の薄暗さから、“お化け屋敷”的感覚で前の人に続いて歩いていました。
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思い出の日光移動教室 総集編90

 子どもたちは、初めて乗る(?)トロッコ列車に、どんな風に走るのか興味津々でした。乗っている時間は、ちょっと短いのですが、子どもたちは楽しんでいました。
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思い出の日光移動教室 総集編89

<その18>『周りの人にも、気品を感じさせる行動を』
 足尾銅山の見学は、坑道内の見学のために、トロッコ列車に乗って坑道の中に入らなくてはなりません。そのため、乗車の駅で乗車の順番を待ちます。見学の学校が数校重なると多くの時間を待つことになります。
“狭い空間の中で、子どもたちがどのような状態で待つことができるか、また、教員が子どもたちをどのように待たせる指導ができるか。”の学校の差が、歴然と出る場面です。 横一の6年生は、5年生の時から、校外学習の折々に、
『目的意識、相手意識、そして、気品を感じさせる行動』
を、先生から指導を受けています。そして、5年生の連合音楽会などで、しっかりできるようになっています。
 この身に付いた“行動する力”を活かして、足尾銅山のトロッコ列車の構内でも、すてきな行動を、子どもたちは実践してくれていました。
 前に並んでいた学校の子どもたちの様子を見て、6年生自身、行動の仕方の善し悪しを感じ取れていました。
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1年 学年だより

2年 学年だより

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