文化祭の主役って!?
先週と今週、2つの学校の文化祭に参加しました。
先週は私事で中2の息子と神奈川県立高校へ行きました。中1だった昨年も進学重視型単位制の県立高校文化祭を見ましたが、何か様子が違います。息子も「お父さん全然、違うね。」と一言。「でも、ちゃんと一通り見る。」と全会場を一緒に歩きました。何が違うか、子どもと話した結果ですが、入口のタワーはすごく立派で思わず「アー。」と声を出したくなるほどの力作でしたが、入口のテントにいた先生と生徒は私たち親子が校門を入っても声をかけるでもなく、でもお互いは顔を見合わせながらニヤニヤと笑っている。会場内も土足の人、上履きの人、裸足の人、様々で誰も注意されません。フード関係が8割の各個別ブースも仲間内には声をかけても、知らない人へは知らん振り。ホンの一筋の明るい話題は、私の質問に笑顔で道案内までしてくださった2年生ぐらいの、恐らく生徒会執行部か、実行委員長クラスの女の子が丁寧な対応をしてくださったことです。ただ昨年も今年も学校周辺の坂道がきつく、どちらの学校の保護者も私は、なりたくありません。 今週は15日(土曜日)9時15分、PTA杉の沢会文化厚生委員長と一緒に都立片倉高等学校星樹際へ行きました。正門前の信号機傍で私にちょっとしたアクシデントが…。なんと鞄のチャックの引っ張る部分とベルト通し部分が噛み合った状態で外れなくなり、まるで漁師の魚籠の如くズボンの斜め前に大きなビジネスバッグがくっ付いたまま、離れなくなってしまいました。5分ぐらい努力したのですが、汗は掻けども体から離れないバッグ。きっと周りで見ておられた片倉高校正門警備の方や受付の方々は笑いを堪えるのに必死だったと思います。幸いにして程なく文化厚生委員長とお目にかかることが出来、悪戦苦闘の上、無事、私の体と分離することに成功しました。私にとって文化厚生委員長は神様のような存在です。 前置きが長くなりました。さて本題です。片倉高校は先ず正門警備の先生から違います。「いつも、ありがとうございます。」もちろん顔見知りの方だからというのはありますが、早速、声をかけていただきました。今度は受付の先生、約束の時間と食い違ってしまったことをお話しし吹奏楽部顧問の先生に会う方法をお尋ねした所、体育館1階の控室の場所を教えていただきました。一般入場時刻前でしたので、経営企画室にもご挨拶し、校長先生にまで顧問の先生の携帯電話にかけていただきました。その後、吹奏楽部の方には控室よりも体育館の方が会える可能性が高いこと、開場前の部外者の私たちにも優しく対応していただいたこと、顧問の先生に何度も連絡を取っていただいたこと、挨拶をされるときは必ず立ち止まって、こちらを向いてから声をかけられていたこと、などなど枚挙に遑がありません。 そして今回、私は初めて片倉高校吹奏楽部の練習風景に立ち会うという貴重な体験をしました。片倉高校吹奏楽部の皆さんは、ご存知のように全日本吹奏楽コンクール(全国大会)に連続3回参加すると出場できないというルール(通称「三出制度」)のため、今年も8月にアジア・環太平洋地域19カ国の代表とともにシンガポールで国際交流活動を行ってきたばかりです。もはや八王子市にある片倉高校吹奏楽部は、東京都はもちろん「日本の」でもあり、「世界の」でもあります。そんな片倉高校の部活動は、さぞや顧問の先生が口うるさく、ご指導されているのかと思いきや、パート別に生徒同士が整然と取り組んでいました。特に直前のリハーサルは見事な時間管理の下、的確な指示、気持ちの良い相槌が打たれており、組織の力強さを実感しました。私は吹奏楽部の主役が指揮者や演奏者にあると思っていましたが、この練習風景と、これまでの本番を見てきて感じたことは、楽器を持たないパフォーマーの人たちの涙ぐましい努力と、演奏者たちのパフォーマーへの姿勢です。100人を超える部員が一糸乱れぬ活動を維持していくためには、主役と思える演奏者たちが主役を捨てることで、脇役と思っていた人たちが浮かび上がるシステムを確立しておく必要があります。試合や発表前に誰もが「自分が一番。」と暗示をかけることは重要ですが、そのことで「天狗」にならずに一歩引く姿勢、それが片倉高校吹奏楽部ではないかなと思いました。そのことは、本来はもっと脇役である「客」に対し、きちんと立ち止まって挨拶をする姿勢や体育館階段の上り下りの際の部員への指示からも、明確に伺えます。程なく来られた顧問の先生や「やまももの会」代表の方の一言からも、誰が「主役か」が読み取れます。 常に「自分が一番。」と自信持つことは大事ですが、それをひけらかすのは、いかがなものでしょうか。片倉高校吹奏楽部が教えてくれた「主役」を私も大切にしていきたいと思います。 2年生116名、元気に出発しました。
今日から移動教室に参加する第2学年生徒は、登校後メインバッグをバスに入れてから体育館で出発式を行いました。
出発式では副校長から「既に準備等でお世話になった保護者の方を始め、多くの方々のお世話になる3日間である。最終日、家に戻って大きな声で『ただいま!』と言えるように感謝の気持ちを忘れずに過ごして欲しい。」との話の後、担任団6名以外の養護教諭や第1学年担任、看護師、サポーター、添乗員、写真屋さんの紹介がありました。諸注意では学年主任の安藤主幹教諭から「長袖・長ズボンは万が一の事態に備えて、着用するように言ってきた。その他しおりに書かれている事項は、すべて楽しく安全に過ごすために必要な最低限のことである。よく確認してから行動しよう。」との話しがありました。 その後トイレ休憩や班長による貴重品回収などがあり、9時20分には各クラスごとにバスへ移動しました。9時32分、バスは全車両が学校を出ました。私も一人ひとりに「気を付けて、行ってらっしゃい。」の声をかけて、用務主事とともに見送りました。 第2学期始業式校長講話(概要)
「弱い者いじめ」という言葉があります。これは、いじめが通常、弱い者に対して行われるという意味に使われる言葉ですが、私は、もう一つの意味があると思っています。
小学校4年のときに私は大阪から奈良の小学校へ転校しました。転校した次の日、生意気だということで一人の男の子が2人の友達を引き連れ、学校の帰り道の冬の田んぼの中で殴る蹴るの暴行を受けました。5年生のある日、今度は私が2人の男の子を見張りに立たせ、転校したばかりの男の子に殴る蹴るの暴行を加えました。6年生のとき、今で言う登校班の班長や子ども会の会長を選ぶとき、見張りの同級生たちは私に投票しましたが、他の4・5年生は優しい別の同級生を選びました。そのとき私は初めて気が付きました。弱い者をいじめた私は強い者ではなく、力で抑え込んでいただけで、その力には限りが在ること、そして本当に強い者がやるべきことは弱い者を守ることだということを知りました。 中学校3年間、私がやり抜いたことは転校生へ最初に声を掛けることでした。転校生へ勉強の進み具合を教えてあげたり、一緒に帰ったり遊んだりと、まず最初に行動を共にするようにしていました。もちろん他の気の合った別の友達と親しくなる子もいましたが、小学校の自分のようになってしまう子は一人もいませんでした。 いじめだろうが、喧嘩だろうが、ちょっかいだろうが、悪ふざけだろうが、無視だろうが、相手の心に苦痛を与える限り、それは間違いなくいじめです。かつて、いじめられたことが合っても、今いじめていたり、周りで見ている人も全て、いじめの加害者です。あえて強く言ったのは加害者になりたくなければ、いじめをしないことと大人に伝えることだということを知ってほしいからです。いじめを受けている生徒と見ている生徒は必ず私が守ります。大人には知恵があります。本校では生活指導主任の荒川先生を中心に全ての先生が立ち上がります。 私の本音は今の3年生が1年だったときに話したことがありますが、2度と生徒を失いたくないということです。ぜひ協力してください。お願いします。 |
|