「何度倒れても、立ち上がる」 〜佐々木尽選手の生き方〜
- 公開日
- 2025/07/07
- 更新日
- 2025/07/07
校長室より
(7月7日の全校朝会で紹介した佐々木尽選手についてのお話です)
「過去の自分とスパーリングします…。」佐々木尽選手は、自分自身の等身大パネル2体をリング上に運び込むと、今から何が起こるのかと困惑する報道陣の目の前で、いきなり「これは3年前(の自分)」とパネルに思い切りパンチを打ち込み、自分の顔面を破壊しました。カメラを構える報道陣があっけにとられる中、続けてもう一体のパネルに向き合うと、「これは1年前(の自分)」とパンチを放ち、自分自身の写真パネルをたたきのめしたのです。そして、「過去の自分はあまり強くなかった。あれでは世界に通用しないが、今は違う」と満足げにうなずいたのです。
佐々木尽さんは、東京都八王子市出身のプロボクサーです。運動が大好きだった尽さんは、小学校5年生の時から、多摩市の警察署内にある柔道教室に通うようになりました。当時の様子について、「警察官の先生がすごく厳しかった。当時は怖かったし、それで心技体が整えられた」。と話しています。柔道でオリンピックに出ることを夢見ていた尽さんは、柔道の試合になると、負けん気が強く出すぎてしまって、組み手争いでは相手の顔に手が当たり、それで反則負けになってしまうこともありました。そんな様子を見ていたお父さんは、「ボクシングの方が向いているんじゃないか」とアドバイスし、尽さんは柔道を続けながら、中学生になるとボクシングのジムにも通うようになったのです。
柔道では東京都で2位になるほどの実力を見せていた尽さんですが、ボクシングの練習が本格的になるにつれて、この競技が自分の性格にぴったり合っていることに気付きました。そこでもっともっと練習に専念できる環境に身を置きたいと考え、昼間は練習やアルバイトをしながら夜に授業を受けることができる八王子拓真高校に入学し、柔道をやめてボクシングに専念するようになりました。ジムの元会長で現在はトレーナーの中屋広隆さんは当時の尽さんについて、「強烈に覚えているのは、高校受験に合格した日に『ボクシング一本でやります、世界チャンピオンを目指します』と真剣な顔で言ったこと。練習に向き合う姿勢、気持ちの強さはプロ向きだと感じた。」と語ります。
17歳でプロに転向すると、その才能を発揮して勢いよく勝ち進み、「天才」と呼ばれることもありました。しかし、そのボクシング人生は、いつもいいことばかり、というわけではありませんでした。むしろ、何度も何度も大きな壁にぶつかり、挫折を繰り返しているのです。試合で決められた体重まで落とすことができず、大切な試合のチャンスを失うこともありました。またせっかく調子が上がってきた時には、左肩を支える靭帯を断裂し、入院、手術のために試合はおろか練習もできない日々が続くこともありました。そんな時、尽さんの心の中は、家族、お世話になったジムの仲間や、いつも応援してくれていた周りの人にも申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。心が折れそうになり、「生きていても仕方がない」とまで思いつめたこともありました。それでも、尽さんはあきらめませんでした。自分を見つめ直し、「自分は何のために闘っているのか」を考えました。そして、「今度こそ、強くなってみせる」と決め、地道な努力を始めたのです。リハビリをしながら、まだ日本人で成し遂げた人はおらず、ボクシングの中でとても人気が高いウェルター級という階級での世界チャンピオンを目指し、技術も体も一から鍛え直しました。痛みや不安の中で、彼は前に進み続けました。後には引けない覚悟を決めるため、自己紹介の時には「日本初のウェルター級チャンピオンになる佐々木尽です。」と語るようになりました。そして、2025年、6月。佐々木尽選手は、ついにウェルター級の世界王座決定戦に挑むことになりました。過去の自分を越えるため、記者会見では自分の写真パネルを叩き割るパフォーマンスを行い、自分の気持ちを高めました。「過去の自分に勝つ」―それが、彼の生き方でした。そこには、何度も転んで、何度も立ち上がった一人の青年の姿がありました。