「開校記念のお話」(11月13日の朝会より)
- 公開日
- 2023/11/13
- 更新日
- 2023/11/13
校長室より
「南大沢小学校と街の歴史」
11月2日は何の日か知っていますか。私たちの学校、南大沢小学校の開校記念日ですね。今から39年前、八王子市内60番目の小学校として南大沢小学校は誕生しました。来年には、開校40周年を迎えることになります。この機会に、ここ南大沢の町、そして南大沢小学校の歴史を振り返ってみましょう。
南大沢はその昔、山がちな地形で農業が中心の村でした。学校のお隣の小山内裏公園のような自然がこの地域一帯に広がっていたのです。ですから、農業が中心とはいえ、畑は山の中、田んぼは谷合の川沿い、という環境では機械を使った耕作ができず、農作業はすべて人の力に頼るしかなかったので、人々は毎日大変苦労をしていました。そんな時、1962年と言いますから、今から60年ほど前に、この多摩地区に「多摩ニュータウン」という大きな町を作ろう、という計画が持ち上がりました。
「多摩ニュータウン」は、多摩市、稲城市、町田市、そして八王子市にまたがる、広大な山林エリアを開発して、50万人くらいが暮らせる大きな町を作ろう、という計画です。南大沢については、1977年、今から50年くらい前に、実際の計画が固まり工事が始まったそうです。この地域は里山の自然が残り、「谷戸」と呼ばれる丘が雨水などで浸食され小川が流れるような地形が多く、今でも○○谷戸の地名が残っているところもあるそうですが、とにかく、山あり谷あり水場アリの地形を人が住めるように、大きな建物が建てられるように造成していく工事は並大抵ではなかったようです。それでも工事開始から7年後、1983年になると、高層住宅、団地に第一期の入居が始まりました。人口の増加に合わせて、子供たちの学ぶ環境も整備され、「南大沢中学校」「柏木小学校」がつくられました。そしてその2年後、1985年に建てられたのが、私たちの南大沢小学校です。開校当時の児童数は395名。そこから毎年100名ずつくらいのペースで児童数は増えていきました。教室が足りなくなったので新たに増築工事を行い、だんだんと今の南大沢小学校の形ができあがっていきました。
さて、学校はできましたが、その頃は交通も不便でまだ南大沢駅もありませんでした。働く人々が都内へ向かう時には、バスで多摩センターまで行き、そこで京王線に乗り換えて移動したそうです。1988年になって、ようやく京王相模原線が南大沢まで延び、2年後の1990年には橋本駅までつながる工事が完了しました。さらに1991年には、東京都立大学が移転してきて、南大沢の町はどんどん開けてにぎやかになっていきました。平成4年、1992年には南大沢小学校の児童数も、なんと926名にまで増え、「マンモス校」と呼ばれほど大きな学校になりました。
ところが、その後児童数は徐々に減っていきます。なぜでしょうか。実は、南大沢は自然もたくさん、電車やバスも便利で、人々が暮らしていくにはとても過ごしやすい場所になったので、みんな気に入って、お引越しなどをせずに長く住むようになったのです。当然ですよね。でも、そうなると、小学生だった子供たちはやがて中学校、高等学校へと進学し、だんだんと子供の数が減っていってしまったそうです。ここ10年ほどは、各学年1クラス、児童数も100名前後の小さな学校になりました。
さて、そんな歴史と文化をもち、人々の幸せな暮らしを支えてきた南大沢の地名を学校の名前にもつ私たちの南大沢小学校も、いよいよ来年、令和6年度に40歳の誕生日を迎えます。学校では、「開校40周年記念式典」という盛大なお誕生日会を開き、昔の先生や卒業生も集まってお祝いをする予定です。特別の児童集会を開いて、子供たちによるお祝いの会も実施する予定です。今の6年生は卒業してしまいますが、何かの形で、この記念の日に関われるように先生たちも考えています。みんなで盛り上げていきましょう。