学校日記

授業寸景 NO12

公開日
2010/06/30
更新日
2010/06/30

校長より

授業寸景 NO12

                  某月某日 第3校時 算数

 はじめの挨拶、指導者は黙って子供たちの前に立ち、何もいわず。
1学期も最終月である、指導者の思いや考えはこれまで既に伝えら
れ、子供たちの身についているはず。指導者は、したがって、黙っ
て子供の前に立つ。子供たちが自ら動くのをじっと待つのである。 
 子供たちは直ぐに気づいて静かになり、授業開始の挨拶をする。
前時間の復習から入る、これは導入の定石。
 ひし形とは何か、これを指導者は問う。子供たちがそれぞれ記憶
をたどってそれぞれ発言する。そのうち、点での言葉がつながり始
めて一本の線になった。「ひし形とは、四つの辺の長さが等しく、
対角線が垂直に交わる四角形である」。完璧な定義である。
 ここに至るまで、指導者は何も書かない、ヒントも与えない。そ
の様は、ただ子供の頭の中に残っている言葉を全体の場に引きずり
出そうとしているかのようであった。この指導者独特の指導法とい
える。点(ことば)が線(文)になり、意味をもつ形(定義)にな
ったところで指導者は納得し、全員に唱和させ、子供たちの記憶を
整理する。
 次に、平行四辺形とは何か。同じようにして子供たちに記憶の糸
を手繰らせ、点から線、定義へと導く。見事なものである。「平行
四辺形とは、二つの向かい合った辺が平行な四角形である」。
 さらに、台形とは何か。「台形とは、向かい合った1組の辺が平
行な四角形である」。以上、子供たちに定義させたところで、指導
者は改めて問うた。「特別な四角形が二つある、それは何か」。子
供たちは、再び頭の中に残っている記憶を辿る。その記憶を言葉に
還元し、それぞれ発言する。これら片々の言葉を再び繋いで、子供
たちは「特別な四角形1、正方形」に到着した。
「もうひとつある。」と指導者は、子供たちを再び突き放すように
いい、こうして、子供たちは、またしても亡羊とした記憶の中に放
り込まれそうになったが、しかし直ぐに、「特別な四角形2、長方
形」に至った。指導者は、「このように、条件に合わせてそれぞれ
の名前がついているのである。しっかり覚えておくように。」と静
かに伝えたのだった。
 次は練習テスト。
 プリント「いろいろな四角形」を配布。子供たちは、定規、コン
パスを使って線を引き、図形を描き、角度を測って問題に答える。
モノを操作するこのことによって、指先、手、腕はしっかりと鍛え
られ、学習(に相応しい)体に作り上げられていくのである。モノ
(道具)を操作することによって指先感覚、運動感覚と筋肉を刺激
し、その刺激を脳に伝えて脳を活性化させ、その活性化した脳によ
って身体の動きや感覚がまた作り直されて(相互浸透)いく。単純
にいえば、そのようにしてモノゴトの認識力は高められていくとい
うことである。
 さて、プリントの問題を解き終えた子供には、当然個別指導が待
っている。
 ここで指導者は、自ら定規とコンパス、分度器を操作して、子供
たちの描いた図形を徹底的にチェックするのであった。1ミリ、1
度のズレも認めない。ズレているやつは全部やり直しだ、四の五の
いわせない。この厳しさがいい。
 この時の指導者と子供たちの1対1のやり取りは、さながら武道
の試合のようであった。「間合いを計り、相手の隙(弱点)を鋭く
突く」指導者、「これでどうだ」と子供たち。ここに学びの真剣勝
負があった。