コロナ対策(6/4)なし(変更・お知らせ)
- 公開日
- 2020/06/04
- 更新日
- 2020/06/04
学校日記
6月4日(木)コロナ対策で変更や新たなお知らせはありません。
【今日も昨日と同じく Aグループが午前中、Bグループが午後に登校します。】
明日、5日(金)はBグループが午前中、Aグループが午後に登校します。
来週、8日(月)からは、全員が8:00〜8:15に毎日登校します。
「ソーシャルディスタンス」を巡り、トラブルになっている話を新聞やニュースで耳にします。
「気持ちは分かるけど・・・。ギスギスした世の中にならないで欲しいなあ」と心配しています。
そんな中、他校の学校便りに「ソーシャルディスタンス」について書いてある記事を見付けました。
「そうなんだよな。こういうことなんだ!」と思いました。
浅川小の学校便りです。
一部分を掲載させていただきます。
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「心はどんなに近づいてもコロナウィルスに感染しない」 校長 清水 弘美
(前略)今朝「ソーシャルディスタンスだから、離れてよ!」と言いながら歩いている子供がいました。
その言い方が少し気になりました。
普通「人と離れる」のは、相手の人を嫌いな時、相手の人が汚いから寄りたくない時、相手の人が怖い時など大抵は嫌な気持ちの時です。
離れられた人も「あ、わたしのこと避けた、きっと嫌われているんだ」とか「どうして、私から離れたのかな、臭いのかな」などと心配になったりするものです。
でも、ソーシャルディスタンスは日本語では「社会的距離」ですから、社会のみんなと集団で気持ちよく生きていくために保つ距離ということです。
ソーシャルディスタンスという言葉は、相手に対する思いやりと一緒に使う言葉です。
「あなたのことが大事だから離れています」とやさしい気持ちで使う言葉なのです。
相手が好きだから、相手が大事だから離れるのです。
だから「ソーシャルディスタンスだね」と言って友達が離れたら、「ありがとう」と答えてほしいと思います。
自分のことだけでなく、相手のことを思いやる人があふれている社会はとても素敵です。
そう考えると、ただ離れろとか、町に来るなとか、相手の都合や考えを想像しないで攻める、いわゆる自粛警察と揶揄される行動はただの自己満足であって、社会を守っているとは言えません。
社会のためではなく、自分の考えを相手に押し付けるわがままでみっともない行動です。
人と距離をとるという同じ行動でも、心の持ち方や伝え方で、いい社会になったりひどい社会になったりすることを覚えて、やさしい行動をとれる人になってほしいと考えています。(後略)
八王子市立浅川小学校 学校便り6月号 HPより
http://hachioji-school.ed.jp/weblog/files/askwe/doc/83381/1225880.pdf
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「自分や、自分の大切な人を守るために、ソーシャルディスタンスをとるのだ」と、言うことを忘れずに生活していきたいなあ。
浅川小の学校便りを読んで改めてそう思いました。
(校長:平田 英一郎)
写真:カメさんも、もう少し離れた方が良いよね!