おはようございます。
先日、私は南大沢警察の生活安全課長さんとお話をする機会があり、その折に 「 最近、南大沢や別所地域で子供によるものと思われる火遊びが多発しているので、学校でも注意してほしい 」 と言われました。
具体的には、マンションの掲示板に貼ってあるポスターに火をつける、公園に雑誌や新聞紙、段ボールなどを持ち寄って火をつける、スーパーの壁にガスオイルをまいてそこに火をつける、などです。
中には、実際に消防車が出動したり、発見がもう少し遅れていたら大きな火災になっていたと思われるような事例もあったそうです。
その話を伺って、私は 「 火遊び 」 と 「 放火 」 には、どのような違いがあるのか考えました。
明快な答を出すことはできませんでしたが、少なくとも、人が住んでいる建造物に火をつける、あるいは、人の生命や財産に危険の及ぶことが予想できる場所やものに火をつけるという行為は、もはや 「 放火 」 といってよいのではないでしょうか。
少なくとも、「 遊び 」 などという可愛げのある言葉を使って表現してはいけない、きわめて危険な行為だと思います。
放火の中でも 「 現住建造物等放火罪 」 の刑罰について、日本の法律は 「 死刑か、無期懲役か、5年以上の懲役 」と定めています。
これは、「 殺人罪 」 と全く同じ刑罰の重さです。
なぜ、放火が殺人と同等の重罪であるのかというと、放火はそこで生活している人の生命を奪う危険性がきわめて高く、さらに火が燃え広がることによって、不特定多数の人の生命を危険にさらすことになるからです。
そこには、「 まさか、人が死ぬなんて思わなかった 」 「 こんな大きな火事になるとは思わなかった 」 などの言い訳は通用しないのです。
放火で捕まった犯人の多くが、犯行の動機として 「 むしゃくしゃしていたから 」 とか 「 火が燃え上がって、人が騒いでいるのを見たかったから 」 などという理由を挙げます。 つまり、放火の目的が、自分のストレス発散だったり、人々の騒ぐ様子を見て快感を得ることだったりするのです。
そんな目的で、人の生命や財産を危険にさらすことなど、絶対に許されるわけがありません。 殺人と同等の重罪であることは、むしろ当然と言えるでしょう。
人類は、地球上で火を使うことのできる唯一の生き物です。
火を使えるようになったことによって、人類は文明を手にして、あらゆる生き物の頂点に君臨できたという見方もできます。
その歴史の中で人類は、火を熱源として、時に寒さをしのぐ暖をとったり、時に動植物を加工して食べられる食材を増やしたりしてきました。
またあるときは火を光源として、時に暗闇の中でもさまざまな仕事をしたり、時に他の動物から自分たちの身を守ったりしてきました。
このように、コントロールされた火は、人類の発展と進歩に大きな役割を果たしています。 しかし、コントロール不能となった火や、人類の発展・進歩という目的以外の使われ方をした火は、多くの人々を不幸のどん底に突き落とします。
皆さんも、地震や戦争による火災の様子や、火事でホテルや旅館、工場などが火に包まれている様子を、テレビニュースで見たことはありませんか。
実際に火事やぼやを経験したり、近所の家が火事になったりして、怖い思いをした人もいるかもしれません。
皆さんが 「 ほんの遊びのつもり 」 で擦った一本のマッチ、「 面白半分でつけてみた 」 百円ライターの火が、それと同じ結果を招くことだって十分に考えられるのです。
そして、そうなったとき、人の人生はもちろん自分の人生も、取り返しのつかないことになってしまいます。
「 火遊び 」 という名の放火によって奪われるかけがえのない命や財産 …。
それらを奪ってしまったことによって自分が償わなければならない、殺人と同等の重い罪 …。
私はよく皆さんに、「 想像力を働かせてほしい 」 というお話をします。
想像力は、自分の行動を後押しするエンジンの役割もすれば、自分の行動にストップをかけるブレーキの役割も果たします。
今日のお話についても、その想像力を働かせてくれるようにお願いして、終わりにしたいと思います。
「 火遊び 」 という名の放火をする前に、どうか想像してみてください。
今手にした一本のマッチ、一個の百円ライターが招くであろう、取り返しのつかない最悪の事態を …。
今日の私のお話は、以上です。
※ このあと、全校生徒を対象に、火遊びに関するアンケート調査を行いました。