※ (写真・右)は、いつも朝礼の準備や司会をしてくれる生徒会役員です。
夏休み真っ盛りの8月5日、ちょうど日本の裏側にある南米チリのサンホセ鉱山で、大規模な落盤事故が発生しました。 当初、地底600mよりも深い場所にいた33名の作業員に、生存者はいないだろうと予想されました。
しかし、事故発生から実に11日後、事態は急展開します。
地下700mの所にある避難所まで穴を掘って引き上げたドリルの先端に、「 我々は全員生きている 」 と書かれたメモが取り付けられていたのです。
ただし、それは作業員たちが生きて地上に戻るための、そして、地上で救助活動を行う人々と、それを見守る家族たちの、長く苦しい戦いの始まりを意味するメモでもありました。
生存確認後、地下620mのところまで掘り進んだ立て坑に、円筒形の救出カプセルを下ろし、一人ずつ地上に吊り上げるという人類史上未だかつて無い救出作戦が展開されました。
その結果、事故発生から70日後の先週木曜日、33名全員が無事に救出されたことは、皆さんも知っていると思います。
現在建設中の東京スカイツリーが、10月9日現在488m、来年末の完成時には632mの高さとなります。 それとほぼ同じ深さまでマンホールよりも狭い穴を掘り進め、そこから33名の作業員を生きて連れ戻す … 。 きっと、私たちには想像もつかないほどの危険と困難を伴う作業だったに違いありません。
新聞やテレビでは、このニュースを 「 奇跡の生還 」 「 奇跡の救出劇 」 など 「 奇跡 」 という言葉を使って報じていました。
では、「 奇跡 」 とは、一体どういう意味でしょうか。
一般に 「 奇跡 」 とは、「 通常は起こりえない不思議な出来事、不思議な現象 」 といった意味で使われます。 さらに宗教的な意味合いが加わると、それは人智を超えた神様の力による超常現象として解釈されるようです。
確かに、マンションの屋上から転落した人が軽傷で助かったとか、旅客機の墜落事故で一人だけ生き残ったなどというニュースを聞くと、その解釈もうなずけます。 しかし、私はもし今回の33名の生還を 「 奇跡 」 と呼ぶのであれば、それは人間が自らの力で生み出した 「 奇跡 」 ではないかと思うのです。
必ず生きのびて、愛する家族との再会を果たそうとする強い意志 … 。
死の恐怖と闘いながら、再び地上の日の光を浴びようとする強い意志 … 。
そして、どんな困難な工事でも必ずやり遂げて、少しでも早く仲間を助け出そうとする強い意志 … 。
私には、少なくとも今回の 「 奇跡 」 は、そうした人間の強い意志が結集して生み出されたとしか思えません。
救出カプセルの名称は 「 フェニックス ( 不死鳥 )」 でした。 地上で待ち続ける家族たちのテント村は 「 エスペランサ ( 希望 )」 と名付けられました。
「 絶対に生きぬく・死なせない 」 「 最後まであきらめない 」 という強い意志は、そんな名称にも表れていたように思います。
人間にも 「 奇跡 」 を生み出すことができるのです。
学校から 「 いじめ 」 をなくす奇跡。
社会からあらゆる差別をなくす奇跡。
世界から貧困や戦争、核兵器をなくす奇跡 … 。
それらは神様ではなく、私たち人間の強い意志を結集して生み出すべき 「 奇跡 」 なのではないかと思います。