下柚木小の窓から【7月5日その2】

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[全校朝会 校長講話(オンライン)] 今日もオンライン朝会です。校長先生の顔が見えますか。朝の挨拶をしましょう。おはようございます。早いもので1学期もあと13日間となりました。2週間と3日だけです。1学期を振り返ってどうですか。あっという間でしたか。結構長かったですか。これから夏休みまでの毎日は1学期のまとめの時期となります。自分の学習や生活について振り返りながら、残りの13日間でしっかりとまとめをしていきましょう。もうあと13日間ですが、まだあと13日間あります。
さて今日はちょっと悲しいお話かもしれません。先週配った学校だよりを読んでくれた人には同じ内容になってしまいますが、聞いてください。夏休みには全国高校野球選手権、いわゆる夏の甲子園大会が行われます。みんなの中で野球が好きな人も結構いることでしょう。校長先生も野球が大好き、甲子園で野球のボールを追いかける高校生たちをテレビで見ることが大好きです。実際に夏の甲子園へ大会を見に行ったことも2回ほどあります。でも今から十年とちょっと前ですが、そんな高校野球に悲しい思い出ができてしまいました。それは一人の青年の死でした。
 その青年は校長先生の教え子でした。5・6年生の2年間担任をしました。体は少し小さくてもいつも元気で大きな声と野球少年らしい坊主頭が彼のトレードマークでした。「甲子園に出ること」が彼の一番の目標でした。まだ若かった校長先生は毎日のように子供たちと夕暮れまで校庭で遊んでいました。その日によってメンバーは多少変わるのですが、彼は必ずその中にいました。卒業させてから数年か過ぎ、先生も転勤して別の学校にいたころ、当時の教え子たちから連絡がありました。クラス会ですね。二十歳になった教え子たちは大学に行ったり、就職したり、大学受験を目指して勉強していたりと様々で、みんな今の自分のことを報告しながら盛り上がっていました。その中に彼もいました。彼が校長先生のところに来て報告してくれたことは、残念ながら高校を途中でやめてしまったことでした。
でもそのときの彼には目の輝きがありました。「でもね、先生。俺、やっとやりたいこと見つけたんだ」と言いながら教えてくれたことは、その時毎日夕方、卒業した中学校の先生のもとで野球部の後輩たちにコーチしながら、夜間の高校に入りなおしていると言うことでした。「俺、絶対に大学まで行って先生になって、高校の野球部の指導がしたい。高校がだめだったら中学の野球部でもいい」という話を聞いて、とても立派な夢だと思いました。校長先生は、彼の肩を叩いて心から「頑張れ!」と言いました。
彼が突然亡くなったというお知らせは、そのちょうど1年後でした。同じクラスだった子のお母さんからの涙まじりの電話でバイク事故だと分かりました。夜の国道を走っていたとき、何かを避けようとしてスリップして、ガードレールに直撃、3日間意識不明の後、亡くなったということでした。お通夜の晩、1年前の同窓会の仲間たちがたくさん来ていました。でも誰も校長先生に話しかけてきませんし、校長先生も黙っていました。みんな泣いていました。お葬式の祭壇に置かれてあったグローブを見て、「先生になって野球を教えたい」と言った時の目の輝きが頭に浮かびました。世の中って本当に悲しいこと、残念なこと、つらいことがあるんだなと、その時校長先生は本気で思いました。
改めてみんなには「命を大切に」と言いたいと思います。校長先生はもうすぐおじいさんになる歳ですが、できるだけ長生きしようと思っています。みんなが校長先生より先に死ぬようなことがあったらいけませんよね。順番が違いますね。生きたくたって生きることができなくなった人がいます。素敵な夢があったのに亡くなった人がいます。どんなに辛いことがあっても生きていれば必ずいいことがあると思ってください。校長先生は今でも高校野球を見ることが大好きです。でもその出来事があってから、テレビ画面に映る高校野球の監督の姿を見ると彼のことを思い出すので、少しさみしいなと思うようになりました。もう一度言います。みなさん、たった一つしかない命を大切にしてください。お話を終わります。

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