5月27日(月)全校朝会を校庭で行いました。
校長講話では「たった一つの命だから」という言葉を紹介し、その後に続く言葉を考えてもらいました。
(校長講話は ★ 追記 ★ を クリック)
生活指導の先生からもお話がありました。
自転車の安全な乗り方、「団地鬼ごっこ」をしない、夕焼けチャイムがなったら家に帰る、出かけるときはどこに出かけ何時ごろ帰るか伝えてから出かける等です。
令和元年5月28日(火)7:20 写真を 7:45記事を追加しました。
追記
全校朝会 校長講話 「たった一つの命だから」
5月27日
船田祭り 素敵でした。準備大変だったと思います。でも、お客さんが喜んでいる姿を見て、その大変さが「人の役に立てた」という笑顔につながっていて校長先生は「素敵だな」と感じました。
(拡大した字を見せて)さて、「たった一つの命だから」ですが、この言葉は、西尾誉佳(にしおえいか)さんという人が書いた字です。
誉佳さんは14歳(中学校2年生)の時、骨のガンとも言われる骨肉種というこわい病気にかかってしまい、このまま死んでしまうか、右腕を切ってしまうか といわれ、生きるために右手を切ることを選び、切ってしまったそうです。
手術の前の日、お母さんと一緒にテニスをしたのが右手を使った最後になったそうです。
その年の年賀状に「腕がなくても、頑張って生きるよ。たった一つの命だから」と、左手で書いたそうです。右利きだったんだけど練習して、左手でこの力強い文字を書きました。
この文字を見た人が「誉佳さんは、この言葉の後に何を言いたかったのだろうか」と考えたそうです。
皆さんも考えてみてください(児童に聞いて回る)
誉佳さんは「たった一つの命だから」の言葉の後に「誰かのために役に立ちたい」という思いを込めていたそうです。
まだ病気が見つかる前、中学校1年生の時に、「電池が切れるまで」というテレビドラマで小児ガンと闘う子供たちの姿に衝撃を受けたそうです。
それから一ヶ月後に、同じく小児ガンと闘う子供たちのエッセイ集である、「種まく子供たち」という本を購入し、その内容を読んで誉佳さんは号泣したそうです。
その涙は、単にその本に描かれている子供たちへの同情からのものではなかったそうです。彼女自身は健康で元気に生きているにもかかわらず、何も人のために生きていないということに対する強い反省の涙だったそうです。
そのときの感想は、当時通っていた横浜市の中学校で、作文コンクールに出品され、学校の校誌に掲載されました。
そして、「世の中が良くなるために、私にできることは何だろうか」と考えた誉佳さんは学校帰りのゴミ拾いを始め、入院する前日まで続けていたんだそうです。
誉佳さんは、生きるために右腕を切ったのですが、ガンが、肺に転移していて残念ながら16歳で亡くなってしまいました。16歳でその短い生涯を閉じるまで、約2年半の闘病生活で困難に立ち向かい、周りの人たちに対する愛情を忘れず、いつも前向きに真心を尽くして最期まで一生懸命生き抜いたそうです。
誉佳さんは、「たった一つの命だから 誰かの役に立ちたい」と考えました。
今、何人かの人たちに聞いてきました。いろいろな答えがありました。
校長先生は「たった一つの命だから その命を大切して欲しい」と思います。
人の命はゲームみたいに「リセットボタン」はありません。「失敗したからやり直し」はできません。
ですから、注意すれば防げる交通事故にあってしまうとか、友だちとけんかしたりそれがいじめに発展したりして自ら命を絶ってしまうとか、そんなことにはならないで欲しいです、
今日は「たった一つの命だから」と言う言葉についてお話ししました。