学校日記

6月朝礼講話

公開日
2011/06/20
更新日
2011/06/20

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「された」ことより「したこと」の苦しさ

 体育大会も終わって大分月日は経ちましたが、みなさんの前で体育大会について話すのは初めてですね。今回の体育大会は、昨年度に比しても数段すばらしかったと私も思いましたし、見学された保護者のみなさまや地域の方々も話しておられました。生徒一人ひとりの目標に向かう姿勢やクラスの団結心の強さが見ている方々に伝わったのでしょう。今、部活に入部している3年生のスポーツ系は、選手権予選の真最中です。負けたら引退の試合を繰り返しているわけです。そして、最後まで戦って勝てるのは、日本ではたった一校の全中優勝チームだけです。いつかは敗戦の時が来るのです。その時、力一杯の悔し涙を流せるように日々全力で練習し、大会では全力を出し切って下さい。それが、次の飛躍に繋がるからです。2年生も、1年生もしっかりと先輩の姿を目に焼き付けておいて下さい。
 さて、先日、学校で起きた心痛める嫌がらせに関してのアンケートを全員に応えてもらいました。今、アンケートの結果を参考に先生方が対応しています。二度と無いようにしてもらいたいと思います。ところで、この件が発覚した時、私はあることを思いだしました。それは、60年程前あったベトナム戦争から戻ってきたアメリカの帰還兵の番組のことでした。それは「怒りを覚えたら殺せ」と教えられて戦ってきたために、帰還後も自分の内部に潜む凶暴性を抑制できず、社会復帰ができずに山の中に隠れ住んでいる千人近くもの帰還兵たちの話でした。「されたことよりも、したことの恐怖がとれない」と言ったある兵士の言葉が私の記憶の中にしつかりと残っています。
 私は、いじめられもしたし、人に言ってはいけないことを言ってしまったこともあります。だれに、いつ頃、どんなことを、については記憶しているのですが、その時のことを思い出して心が締め付けられるような感覚にはなりません。しかし、人に言ってはいけないことを言ってしまったことについては、いじめられた時以上に鮮明に覚えていますし、その時のことを考えると心が締め付けられる感覚があります。今から、40年も前のことなのに未だにそうです。正に、「されたことよりも、したことの恐怖がとれない」ということなのでしょう。
 人間、過ちや失敗はあります。しかし、そのことのしっかり受け止め、しっかりとした対応処理をしなければ心の傷として生涯にわたって残ってしまいます。たった一言の謝罪の言葉が大切なのです。この件について、「私がやってしまいました」と勇気をもって申し出てくれることを期待します。