5月 雑感
- 公開日
- 2009/09/04
- 更新日
- 2009/09/04
学校より
1.日々思うこと
今日から、5月。豚インフルエンザのニュースが駆け回っています。感染拡大が少なく、被害が最小限であるよう祈るばかりです。日ごろの手洗いうがい、そして人ごみにはなるべく行かない等、心がけたいと思います。
8時頃から6年生は、組体操の練習、そしてすぐに音楽鑑賞教室の会場作り、音楽担当が、「本当に気持ちよく子供も先生も働いてくれて、嬉しい!」と何回も言っておりました。
5年生も早朝から、校庭で元気に倒立の練習。先生が必死に支えている姿、笑顔でやっている子供たちの姿に朝の清々しさを感じる。高学年の子どもたちはがんばっています。
明日から連休です。子供たちが、元気に楽しい思い出を作れる日々であれば、そして、5月7日、元気に笑顔で登校してくれることを願っています。
5/1、今日は音楽鑑賞教室でもありました。ジャズ演奏でしたが、子供たちは手拍子や時には口拍子で乗り乗りでした。演奏者の方は、「小学生には難しいかな?と思っていたが、1年生から6年生まで、静かに、時に乗りまくって聞いてくれた、感心しました。」と言っておられました。低俗なテレビ番組が多い中、品格のある生演奏を聞きました。年配の7人の演奏者の方の技術の高さはもちろんのこと、笑顔で、演奏者自信が楽しんでいる様子を子供たちは感じたのだと思った。本物のすばらしさは、子供たちにも分かるのです。
そうこうしている中、PCメールで新型インフルエンザの指示が次々と入ってくる。保護者向けの配布物を作る。
帰宅途中に、新型インフルエンザ感染の心配のあった患者が、その疑いは無い、とのニュースを聞く。ほっとした。緊急時の対応を考えながら帰宅した。
2.マナーは大切(5月4日)
最近駅近辺の道路が禁煙になっている。しかし時々、タバコをすいながら前を歩いている人に出会う。いやでも煙といやなにおいを吸うことになり、気分を害することがある。
今日も、とあるレストランで、隣のAとB2つのテーブルに若者が3人ずつ座って食事をしている。そのうち、AとBのテーブルの若い女性が大きな声でしゃべり始めた。別々のテーブルでの会話のため声が大きく、更に品の無い言葉遣いで、おまけに、更に追い討ちをかけたのが、一緒の男性で、靴を脱ぎ、靴下なっている。大きな声、品の無い言葉、足の臭い・・・食事をする雰囲気にならず、怒りさえ込み上げて来た。
公共のマナー・最低限の周囲の人に迷惑をかけないしぐさを意識したい。
3.先見の明(5月11日)
体操着の胸のところに長沼小のマークがある高学年児童に聞いた。「マークがある人と無い人があるんだね。」 子供「これは、1年生のときに買ったもので、そのときにマークがあったんです。」「えー、1年生のときから着てるの?」「お母さんが、大き目のを買っていたんです。」・・・なるほど。結構パンパンになっているが、大切に着ているのだと思った。そういえば、ランドセルも6年間きれいなままで使っている子供を見かけることがある。ものを大切に扱う子供、そう教える親はすばらしい。
4.選ばれた者(5月11日)
運動会の係りの仕事をしている。赤白それぞれの帽子をかぶったリレーの選手が練習している。一方、準備係らしい子供たちが体育倉庫付近で道具の確認をしながら、リレーの選手の走る様子を時々眺めている。校舎内でも得点・放送・保健・・・様々な係り活動を行っている。窓からリレーの選手の走っている様子を、赤勝て、白勝て、と思って見ていると思われる。
リレーの選手は、誇らしさを感じるとともに、その責任を果たすために練習してほしいと思う。今日の練習は、目が輝いて、気持ちは高ぶっているようだ。その調子です。
5.豚インフルエンザ(5月11日)
国内での発病者が成田空港で4人確認された。それぞれ隔離され、治療を受けている。
八王子市の「新型インフルエンザ対応指針」を見ると、国内で新型インフルエンザの発生が確認されると、毎朝の子供の検温結果を学校に提出等の対応があります。
また、都内に関しては、「原則として、都内で第1例目の患者が確認された時点」で、教育委員会は、校長に臨時休業を指示します。・・・・。」と、あります。
今回の成田での感染者確認は、国内発生という理解ではなく、水際で食い止めているという解釈のようです。
長沼小としては、以上のことを踏まえて、
検温体制の準備、家庭学習の準備に努めています。日常の衛生面では、手洗いうがいの励行と、健康な生活を訴えています。
各ご家庭への緊急連絡として、ホームページを考えています。日ごろからアクセスできるようにお願いします。
6.卒業生とのちょっとした会話で乗り遅れたが、ラッキーだった。(5月15日)
1時20分ごろ、立川の教育会館へ出張するため、長沼駅の改札付近で、去年の卒業生3名に会った。「何でこんな時間に…」「3者面談です」「どんなことを話すの」「自宅での勉強時間とか部活とか…」
こんな会話をしていたら、27分の電車に乗り遅れてしまった。
「しまった。間に合うだろうか?」と心配しながら、ホームの時刻表を見ると、なんと32分の電車があった。1時間に6本程度なのに、この時間にこんな電車があった。ラッキーだった。
人権尊重教育の研修でハンセン病患者だった方の講演を聞いた。人の生き方は、心のもちよう、大切なことは、身近な人々に温かい心で接すること。「人に対する温かい関心」だと改めて思う。
7.え!ひょっとして、休校?(5月20日)
午後10時、緊急連絡が入った。「市内で、新型インフルエンザの感染者が確認された、明日の8時前に対応を連絡する」という内容だった。急いで、ニュース番組を見て、学校の様々な状況への対応を考えた。特に、3日後の運動会ができなくなったらどうしよう、今日、5.6年生の集中した組体操の練習を見て、激励したばかりだったのに。寝不足気味で起き、早めの出勤で対応策をメールでチェックする。「平常どおり」の教育委員会の指示に安心する。
1時間目の全校練習での話の中で、「・・・学校がお休みになると思った人は・・・」の問いに、高学年のほとんど、全体でも7.8割の児童が休校だと思ったようだ。また、保護者から、学校はどうなるのか、という問い合わせが連絡帳にあった、との連絡を受ける。「平常どおり」「運動会も予定通り実施」の保護者向けにお便りを発行する。警戒を更に強めるが、まずは良かった。
8.忙しい社会なのか?(5月21日)
電車の中で、向かいの女性が、化粧品を取り出して、熱心に目の周りを塗っている。こういう光景は、めずらしくも無くなった。先日、講演会の講師の先生が「化粧をしている女性に、外国の方が、『常識が無いのでは?』いう意味の言葉をかけたら、その女性は、ポカンとしていた。」こういう話をされた。
常識が分からない、教育されてこなかった。あるいは、忙しい生活で、この時間しかそういうことをする時間が無いのだろうか?そういえば、電車の座席で、並びながら電車を待つ駅のホームで、朝ご飯のおにぎりを食べ、お茶を飲んでいた若い女性を見かけたことも何回かある。駅近辺の赤信号の横断歩道を渡る人も多くなった。マナーやルールについて、社会の規範意識について、課題は多い。
せめて学校で、子供たちに「人に迷惑をかけない・人に不愉快な思いをさせない、こういう心配りのようなものを考えさせる学習指導を通して、心の育成を図りたい。
9.できるようになった子供たち(5月22日)
各学年の運動会の取り組みが、学年学級等から次々と保護者に発信されている。私も全部に目を通してしているが、今朝出勤すると各学年学級の運動会に向けての便りがどっさりとある。それらを読むと、子供たちのがんばり・明日への希望が細かく書かれ、子供たちの成長を強く感じた。是非、保護者の方々には、当日までの取り組みを理解していただき、本番を見ていただきたいと思った。
10.成果の多い運動会だった(5月24日)
個人競技・団体競技・団体演技・かかりの仕事・保護者地域の人々のマナー、どれもすばらしかった。特に子供たちのこれまでの取り組みについて、一人一人の様子が学級や学年での頼りで詳しく把握することができた。このことは保護者の方や、学級や学年の子供たちにも言えることで、特に子供たちは、自分や友達の頑張りを客観的に捕らえ、めあてを確認し、意識し、自分や集団を高めて来たよう思える。その意味で、全学年の子供たちの取り組みはすばらしかった。
5.6年生の組体操や騎馬戦で、はじめの頃は、支持倒立ができない、騎馬が組めないと担任は嘆いていた。しかし、運動会当日は完成度の高い倒立・騎馬を組むことなどはなんら問題は無い。このような成長、結果をどの様に解釈すればいいのか?私は、友達同士の信頼関係にあると考える。
離れたものを取るときに、友達に片方の手をもってもらい、体を預けて伸びる、そして対象物に手を伸ばす。このように自分を相手に預けるという活動体験がないために、落ちたらどうしよう、相手が崩れたらどうしようと心配が先に立ち、要らぬ力が入り、うまくできないのがはじめの頃だったのではと思う。仲間とのかかわりの中、少しずつの成長や達成感の中で、互いの信頼感が強くなり、相手の立場だけでなく相手の全部を信じ、受け入れ、技が出来上がって行ったように思う。そういう意味で、体力がついただけでなく、友達との心の交流、信頼関係の樹立という意味で大きな成果の一つがあった。5.6年生の特に6年生の指導的な取り組みとすばらしい結果は、下級生の大きな憧れ、見本となったと思う。長沼の伝統が引き継がれ、益々強固なものになっていく。
11.え!学生に朝食を用意する大学が?(5月30日)
今朝の新聞に掲載されていた。朝ごはんを食べるように指導していては手遅れで、食堂で、朝ごはんが安く食べられるように取組んでいる大学が結構あるという記事だった。
数年前から、「早寝・早起き・朝ごはん」という合言葉が盛んに言われ出した。朝ごはんの大切さは学生には充分過ぎるほどの理解はあるはずだ、しかしそれができない。どうしてだろうか?
新聞によると、アルバイトで忙しく、朝食を食べている暇が無いということがあった。一人暮らしの学生だろうか。アルバイトだけでなく、携帯電話・インターネット等、深夜まで起きていて、朝が起きられない状態があるのではないかとも想像する。いろいろなことで忙しい時代になっているのだと思う。そういえば、テレビの見過ぎやゲームのやり過ぎ等で小学生が朝起きられなくて不登校的な傾向になっている場面をこれまで多く見てきた。情報化時代や低賃金・非正規社員制度等の時代への対応を考える必要があるように思う。豊かさとは何か?そんなことも考えたい。