励ましメッセージ(その19)
- 公開日
- 2020/04/23
- 更新日
- 2020/04/23
今日のできごと
2,3年生のみなさんの前で言葉を発するのは4月6日の着任式に続いて二回目ですね。
1年生の皆さんとは、入学式と教科書・課題配布の時に少しお会いしたぐらいですね。
美術科の清水信博(しみず のぶひろ)です。
再び、このようなメッセージを書く機会があると思っていなかったので、「第一学年の学年便り」に皆さんに伝えたい内容を書かせて頂きました。学校HPのトップページから「配布文書」→「学校からのお知らせ」→「第1学年だより」の順でリンクを開いてもらうと読んでもらえます。
4月にこの学校へ来て慌しい中でしたが、各学年の課題としてデッサンを出させて頂きました。「実物を見ながら、陰影や形や色や質感に注意を払いながら描こうと観察する」ことは全ての造形活動の基礎になるものなので、一生懸命やって絶対に損は無いです。
私もみなさんへ提出した課題と同じくちょうど30分間で、自画像を描いてみました。描きながら感じたことを想い出すと…「美術室のほこりっぽい感覚」「懐かしい八王子の山の中に居る感覚」「コロナなんかに負けないぞ!という強い気持ち」「まだまだ老け込む積もりは全然無いという想い」などの事を感じながら、自分の中の良いもの(輝きのようなもの)を探そうとしながら筆を動かしました。みなさんの顔も良かったら描かせて下さいね!
YouTube星野源さんの動画「うちで踊ろう」は、『Dancing On The Inside』と訳します。(星野さん自身の英語訳)
『芸術』とは制作も鑑賞も、本質的に自己の内面『INSIDE』と向き合うものです。作品の発表は自己の内面を世界に発信する行為です。美術の授業でも、「技巧的なうまい・へた」が大事なのではなく、大事なのは「自分と深く向き合って、(そこに宝を見出します。誰にでも自分の『生命』という宝があるので!)誤解も恐れずに自分を人に向かって放つ」ということです。勇気が要ります。心が鍛えられます。真剣にそれをすれば、例え受け入れられなかったとして、その悲しみも、受け入れられた喜びも、全部みなさんの心の滋養になるはずです。
また、この外出自粛期間中、勉強し、運動し、読書し、家族や友人と対話し、絵を描き、それらを通して、深く自己と向き合う時間が沢山持ち「様々な自分の中の宝」に気付けたら。
学校が再開した時、クラスメイトはあなたを別人のように感じるかも知れない。
人知れずとも、人は革命的に成長できるものです。(家の中だろうが、どこだろうが)「男子(女子も)三日会わざれば刮目して見よ」(古代中国の名作古典『三国志』の呂蒙という武将の故事。勉強して立派な人になった痛快な例です。是非とも調べてみてください。)
『芸術の社会的な役割』について、今の世相に合わせた大変分かりやすい例があるので紹介しておきます。映画「コンテイジョン」が話題です。ウィルス感染の世界的パンデミックに人類が対抗する映画です。これは、2011年、東日本大震災後、半年経った9月にアメリカで公開され、その後、11月に日本でも公開されました。日本はその頃、それどころではなかったですが…この映画を見ると、今の世界の状況を予言するような内容になっていて驚きます。ここに注目して映画にした製作陣の先を見通す力に驚きました。「ソーシャル・ディスタンス」「クラスター」という言葉が映画の中で普通に遣われています。(人は一日に2,000回手で顔を触るそうです…また、感染する瞬間を防犯カメラの映像から検証するシーンがあるのですが、ほんのささいな事で感染するという怖さがよく分かります。映画を見て勉強になることが沢山あります。)
「皆が気付かないようなささやかな予兆に気づいて、その事を皆に知らせる」ということが芸術の重要な社会的役割でもあります。
芸術家や芸術作品を「炭鉱のカナリア」に例えることがあります。石炭を採掘する洞窟の中でたまに、天然のガスを掘り当ててしまうことがあります。(温泉のように、地面から湧いて出るところがある。)狙っていればこれを有効活用できますが、石炭が採りたいのに、ガスが出てしまうと不都合があります。採掘中にツルハシが岩に当たった時の火花でガス爆発が起きたり、人がガスを吸い込んで中毒になったりするので、とても危険です。ガスの計器の無かった時代には、洞窟の道の中でどこまでが危険で、どこまでが安全かを確かめるためにどうしたと思いますか?
鳥の「カナリア」を遣っていたそうです。カナリアは空気の変化に大変に敏感で、少量のガスを吸い込んだだけで死んでしまったそうです。なので、「人がカナリアの入った鳥かごを持って、炭鉱の中を奥に向かって歩く」という調査を行いました。かごの中のカナリアが死んでしまった地点を記録し、そこから先を立ち入り禁止にし、それ以前の場所で採掘作業を継続したそうです。芸術家も時代の空気を吸い込んで、その変化に強い反応を示すといいます。「炭鉱のカナリア」のように死んでしまうのではなく、必然的に作品を作って周囲にアピールするのだ、と。みんなが、芸術作品を鑑賞する事で「みらいよち」を受け取ったり、そこからそれに備えたり出来ると…古代社会の巫女(卑弥呼)もこの原型だとも言われています。これが社会にとって「芸術家」や「芸術作品」が『絶対に必要な理由』だと、私は美術大学で学びました。
話を戻しまして
2,3年生の皆さんには伝えましたが、今年の間に是非とも授業内で「美術館への鑑賞」や、「浅川の写生会」や、「陶芸制作」を行いたいです。(学校の再開時期にもよるのですが)
美術部の皆さんとも多くをしたいです。(よく話し合いましょうね!大いに力を付けてもらい、活躍してもらいたいです!)
四中は3月の学習発表会として美術作品の展示会が無いので、今私は「学校美術館」というものを考えています。美術室前の倉庫をみなさんが授業で制作した作品などを展示するスペースとして開放したいと考えています。
とりあえず、軽トラックいっぱいの物を美術室・準備室から捨てながら準備をすすめています。(持って来た物もたくさんあるのですが)