今日11月15日は、私にとってちょっと特別な日なので、この日に関係するお話しをさせてください。
といっても、今日は祝日でもなければ、二十四節季の日でもありません。
もちろん、七五三についてお話ししようというのでもありません。
実は、今日は私が30年以上にわたって目標とし続けている人物の誕生日であり、命日でもあるのです。
1836年(天保6年)11月15日にその人は生まれ、1867年(慶応3年)の同じ日に、暗殺によってこの世を去りました。
名前を、坂本龍馬といいます。
なぜ、私が30年以上も坂本龍馬を目標にし続けているのか、ここではとてもすべてをお話しすることはできないので、一つだけ理由をお話しします。
写真は、私の自宅にある 「 坂本龍馬コーナー 」(?)です。
龍馬に関する展示品が飾ってあります。
写真・左下の拳銃は、スミス・アンド・ウエッソン・レボルバーといって、龍馬が愛用していた拳銃です。
龍馬 生誕150年の記念の年に販売されたレプリカです。
坂本龍馬は、北辰一刀流という剣術の免許皆伝、つまり、剣の達人でした。 にもかかわらず、龍馬はあっさり刀を捨てて、拳銃を持ち歩いていました。
幕末とはいえ、まだサムライの時代です。 「 刀は武士の命 」 「 飛び道具は卑怯 ( ひきょう )」 という考え方が一般的だった時代にあって、なぜ龍馬は刀を差さず、懐 ( ふところ ) に拳銃をしのばせていたのでしょうか。
答えは、いたって単純明快です。
「 刀に比べて、拳銃のほうが持ち歩くのに便利で、武器としても強力である 」 と考えたからなのです。
こうした合理性、慣例慣行にとらわれない柔軟性、周囲の評価や評判にとらわれない独自性が、龍馬をして、明治維新という動乱期の主役の一人にならしめたのでしょう。
( ちなみに、龍馬は 『 その方が歩きやすいから 』 という理由で、草履や下駄ではなく靴を履いていました。 着物に靴という姿からも、龍馬の合理性や柔軟性が感じられます )
そして、それこそ、私が30年以上も龍馬を目標とし続けている理由の一つでもあるのです。
だから、私は時折、日常生活の中で柔軟性を失っている自分、他人の評価を気にしている自分を自覚したとき、部屋に飾ってある龍馬の拳銃を見て、反省するようにしています。
皆さんも、「 流行だから 」 「 みんなが、そうしているから 」 を、自分のファッションや行動の基準にしていることはありませんか?
あるいは、他人の評価を気にするあまり、「 自分らしい自分 」 である前に、「 人の目に映る自分 」 を演じていることはありませんか?
おしゃれやファッションだけでなく、生き方そのものも、「 自分は、どうありたいのか、どうあるべきなのか 」 を最優先したいものですね。
さて、「 天地人 」 に続く来年のNHK大河ドラマは 「 龍馬伝 」 だとか。
俳優の福山雅治さんが、坂本龍馬を演じるようです。 龍馬にしてはイケメンすぎる気もしますが、この 「 校長雑感 」 を読んで坂本龍馬に興味を持った人は、見てみる価値があるかもしれません。
校長 武田幸雄