先週行われた卒業式では、1・2年生の皆さんの丁寧な前日準備や会場設営、当日の真心こもった合唱や送る言葉などで、3年生に気持ちよく巣立っていってもらうことができました。 改めてお礼を言います。 どうもありがとう。
皆さんも、最後まで体育館に響き渡る合唱を聴かせてくれた3年生の堂々とした姿に、感動を覚えたのではないでしょうか。
卒業式後に出されたあるクラスの学級通信で、ある先生が3年生の合唱のときの様子についてこんなコメントを書かれていました。
「 ステージに並んだ3年生のたくましい姿からは、その人の送ってきた3年間がどんな3年間であったかをうかがい知ることができた。 逆に、ちゃんと歌っていない人というのは、歌っていなかったのではなくて歌えなかったのだろう。 何があったかは知らないが、その姿からはみっともなさしか感じられなかった。」
簡単に言うと、ああいう場面で、どのような態度で合唱に臨んでいるかを見れば、およそその人の日常をうかがい知ることができるということかと思いますが、その点私も全く同感です。
3年生の歌った曲の中に 「 旅立ちの日に 」という曲がありました。 この曲は全国の学校の卒業式で歌われているだけでなく、今やテレビCMでも使われたりしていますが、曲の歴史自体は決して古くありません。 この曲は、1991年、埼玉県の秩父にある影森中学校というところの先生方によって作られました。
当時の影森中学校は、いわゆる荒れた学校でした。 先生方は、何とかして荒れた学校を立て直そうとして、その手段として合唱を用いたのです。 常に生徒の歌声が響く学校にしたい、生徒が真剣に歌を歌う学校にしたいと願い、一丸となって取り組んだ結果、3年後にようやく学校は落ち着きを取り戻しました。
そのとき、卒業式を前に、学校を立て直した生徒たちに世界に一つしかない曲を贈りたいと考え、当時の校長先生が詞を作り、音楽科の先生が曲をつけたものがこの 「旅立ちの日に 」だったのです。
先に述べたように、一人ひとりの歌う姿勢からその人の日常をうかがい知ることができるのであれば、学校全体が合唱に取り組む姿勢、学校全体で合唱している様子からは、その学校の日常の姿を知ることができます。
常に生徒の明るい歌声の響く学校は良い学校です。 生徒たちが真剣に合唱に取り組んでいる学校は良い学校です。 これは、影森中学校の例をひくまでもなく、私自身、いくつかの学校を見てきた実体験からそう思います。 たぶん、他の先生方も同じだと思います。 そういう点、いつも素晴らしい合唱を聴かせてくれる生徒のいるこの別所中学校は、素晴らしい学校です。
この修了式の場を借りて、君たちに一つお願いがあります。
4月には君たちはそれぞれ、2・3年生になります。 そして、新入生を迎えます。 そのとき、君たちの素晴らしい合唱で、新入生の度肝を抜いてほしいのです。
昨日私は、小学校の卒業式に出席してきました。 そこでは、「 旅立ちの日に 」も歌われていました。 しかし、それは君たちの合唱とは比べものになりませんでした。 君たちとは声質も人数も、練習期間も違うのですから、当たり前のことです。
しかし、だから仕方がないで終わらせるのではなく、まず君たちが校歌合唱で新入生の度肝を抜き、彼らに自分もいつかああなりたい、あんなふうに歌いたいと思わせてほしいのです。 それが、伝統を継承するということだと思います。
また来年度は、合唱コンクールをパルテノン多摩で行う予定です。 君たちの素晴らしい合唱を、より素晴らしい条件の中で歌わせてあげたいという配慮からです。 ぜひ来年度は、単に伝統を引き継ぐ、継承するということにとどまらず、伝統をさらに発展させるという気持ちで取り組んでほしいと思います。
4月には、さらに立派な態度で合唱に臨む姿を見せてくれることを期待して、私の修了式の話とさせてもらいます。
校長 武田幸雄