今日は前々から皆さんに話したいと思ってたことがあったのですが、先週末になって別の件で話したいことができたので、予定を変更してお話しします。
先週末、校長室にいたとき、校庭である人が友達に向かってこんな言葉を言っているのが聞こえてきました。
「 お前、シンショウじゃん? 」
あいにく電話中だったので、窓を開けて誰が言ったのか確認することはできませんでしたが、私はとても悲しい気持ちになりました。 実は、私は以前にも学年に関係なく皆さんの会話から何回かその言葉を聞いていますし、実際に私から注意を受けた人もいるはずです。
そのように時折皆さんが使う 「 シンショウ 」 「 シンタイ 」 という言葉は、いったい何を意味しているのでしょうか? 使っている本人は、よくわかっていると思います。 「 身体障害者 」 の略ですよね。
その言葉を、他人へのあざけりや冷やかし、からかいの言葉として使う人がいます。 私には、そういう人の心こそ、病んでいるように思えてなりません。
私は、以前いた学校で、生徒と一緒に障害者福祉施設でボランティア活動をしていたことがあります。 そこにいらっしゃった方の中には、私たちが当たり前のようにできることでも、まさに全身全霊を傾けなければできない方がいました。
例えば、皆さんは一口のスープを口に運ぶために、どれだけの時間と労力を必要としますか?
その福祉施設には、たったそれだけのことをするのにも全力を使い、それでも途中でこぼしてしまってわずかな量しか口に入れられない方もいました。
例えば、皆さんは毎朝ワイシャツを着るために、どれだけの時間と労力を必要としていますか?
その福祉施設には、そこに全神経を集中させても、私たちがワイシャツを着てしまう間にたったひとつのボタンすらはめられない方もいました。
そのように、障害者の方が全力を使ってやっとできることを、自分はいとも簡単にできてしまうから、あるいは、人がそうやって全力を尽くしている姿が面白おかしいから、「 シンショウ 」 「 シンタイ 」 という言葉で馬鹿にするのですか?
「 障害者 」 の対義語は何だか知っていますか?
「 健常者 」 です。 「 常に健康な者 」 「 常に健やかな者 」 と書きます。
しかし、「 常に健やか 」 であるはずの私たちは、日々の暮らしの中でどれだけ全力を尽くしているでしょうか? どれだけ本気で生きているでしょうか?
むしろ 「 常に健やか 」 であるがゆえに、手を抜いたり、楽をしたりすることを考えて暮らしていることの方が多いのではないでしょうか?
生きることに手抜きをしている者、楽をすることばかり考えて生きている者が、毎日を全力で生きている人を馬鹿にすることができるのですか?
そんな自分のどこに、人を見下せる資格があるのですか?
私は、そんな人間の心が 「 常に健やか 」 であるとは、これっぽっちも思いません。 「 シンショウ 」 「 シンタイ 」 という言葉を、からかいや冷やかしの言葉として使う人は、心に問題があります。 どうかそんな自分を恥じ、そんな自分を改めてください。
別所中学校で人に対して使ってはいけない言葉として、前々から言っている 「 死ね 」 「 消えろ 」 「 うざい 」 「 きもい 」 とあわせ 「 シンショウ 」 「 シンタイ 」 という言葉も、別所中学校から永久追放してください。
★ ★ ★ ★ ★
本日の朝礼では、東京都の美術展覧会に出品した波多野夏帆さん、守屋羽純さん、江部槙理紗さん、寄崎千加さんの表彰も行われました。( 写真 )