「生徒の皆さんへ」 副校長 鈴木啓太

 残念ながら登校できない状態が続いています。今、みなさんはどのように1日1日を過ごしていますか。本校ホームページの「子どものおうえんページ」は活用していますか。慣れない生活にも慣れてきましたか。これから皆さんは慣れない生活を何回も始めなくてはなりません。生まれてから皆さんはすでに何回か経験したことでしょう。生まれて初めての保育園や幼稚園で同じ年の人と生活する時間ができたこと、小学校で勉強が始まったこと、そして、生まれて間もない頃のように家に居続けるようになったこと……。
 これからも慣れないことに慣れなくてはいけないことがあるでしょう。
 私が子供の頃はパソコンもスマホもありませんでした。結局、やらないと生きていけなかったので自分で勉強したり、人の仕事を邪魔して迷惑だと思ってもしがみつくようにして誰かに教えてもらったりして覚えました。最初はワープロで新しいワープロの機械を買うたびにその使用方法を覚えていました。パソコンになってからも初めはMS−DOSというオペレーティングシステムでした。第七中学校でもMS−DOSに一太郎JUMPというワープロソフトを使って、今のパソコン室で授業をしていました。生徒もキーボードに生まれて初めて触れて頑張っていました。今はWindows10です。パソコン室のパソコンも一太郎からワードになっています。これからもパソコンに限らずたくさん新しい物に慣れていくことでしょう。私も今、ZOOM、ワード、エクセルといったソフトやその機能と毎日格闘しています。
 さて、2・3年生の皆さんには話しましたが、私は第七中学校で25年前から10年前まで理科の教員をしていました。その頃の卒業生で今でもここに住んでいる人と会いましたが、そう多くはいません。就職や結婚などの理由でいろいろな場所に住んでいます。海外で生活している人もいます。慣れないところに慣れなければならないこともあるでしょう。私は3年間、かつての一時期アメリカだった場所に住んでいました。小笠原諸島の父島です。アメリカだった頃は、欧米系の人しか父島に住むことが許されなかった場所です。その方たちで現在60歳くらいの方々はアメリカンスクールでアメリカの教育を受けていましたが、突然日本の教育を受けるといった経験をしました。その当時の生徒達は日本の先生に「ジャパニーズティーチャー大嫌い」と言ったり、「内地にいるワイフやベイビーのこと考えているだろ」と言ったり悪態をついたそうです。それでも、生徒達は日本の学習をしました。このようにして日本という国の父島になっていったのです。そのためか、今でもそこには標準服はありません。
 私は父島に慣れるのが大変でした。世界に誇れる大自然があるものの、コンビニエンスストアがない、CMでよく見る牛丼屋やハンバーガーショップもありません。本屋もありませんし、薬局もありません。映画館も八王子オリンパスホールのような施設もありません。世界自然遺産を守るためにキャンプも禁止です。船は1週間にたった1回しか来ません。片道は24時間です。食べ物もその船に乗ってやってきます。入港したときにはお店に商品が並びますが、それから5日後にはほとんど物がなくなっています。人口は約2000人です。それでも島民の方は楽しく生活しています。皆さんそれぞれですが、私は陸でボランティア活動を行い、自然遺産の保護をしたり、小笠原にしかいない生物を観察したりしていました。水中での観察もしました。ザトウグジラも水中で見たり、イルカにからかわれたりしました。ウミウシという生物も初めて見ました。段々島民としての生活にも慣れることができ、楽しみも見つけられるようになってきました。
 今は今の生活を充実させましょう。

写真:副校長

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