“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』6

6,現在(旧稲荷山小学校ができたあとの横一小学区)
 昭和57年、稲荷山小学校の開校に伴い、寺田町の児童が通学するようになった。
 その後、平成14年に上館小学校と殿入小学校が統合し館小学校となり、また、平成16年に寺田小学校と稲荷山小学校が統合し、緑が丘小学校となっている。

※明治の頃からの横一小の学区域の変遷の地図は、ホームページ『横一小の歴史』に掲載してあります。見比べやすくなっていますので、ご活用ください。
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』5

5,昭和56年(旧寺田小学校ができたあとの横一小学区)
 南側の地域は、以前は山や田畑の緑が多いところでした。グルーンヒル寺田団地が建設され、それに伴い、広い道路が町田街道までつながりました。法政大学の開校に伴い、バスが頻繁に通るようになりました。それにより町の様子も変わり、田畑はなくなり、住宅が建ち並ぶようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』4

4,昭和53年(椚田小学校ができたあとの横一小の学区)
 昭和40年代中頃を過ぎると、椚田地区の区画整理が始まりました。広々とした農地が次々と様子が変わり、あちらこちらに道路ができました。もう以前の面影がだんだんなくなってきました。その頃まわりには大きなマンションも建ち始めました。そして区画整理の工事も終わりに近づくころには、家もでき始めました。
ここで、椚田小学校の開校になり、椚田町の一部の児童が通学するようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』3

3,昭和50年(旧上館小学校、旧殿入小学校ができたあとの横一小学区)
 昭和30年代後半になると、戦後のベビーブームで児童も増え始めました。そして、昭和40年代にはめじろ台の開発と京王帝都電鉄高尾線が開通により、大きく変わってきました。
 宅地化が進み、山は造成されて団地ができました。先ず、館が丘団地ができて、上館小学校と殿入小学校が開校しました。それに伴い、館町の一部の児童が通学するようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より
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“今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』2

2,昭和34年(浅川小学校に通えるようになったあとの横一小学区)
 昭和20年代の後半になると戦災で焼けた八王子の町も整備が進みました。そして、昭和30年には6か村(横山村、由井村、元八王子村、加住村、川口村、恩方村)が八王子市に合併しました。それから4年後に浅川町が合併をしました。それにともない、狭間町の児童が浅川小学校に通学するようになりました。
                      『創立百周年記念誌』より

※八王子の街が大きく変わった頃です。昭和30年の6か村合併により、横一小の校名も変わりました。昭和22年の学制で、横山村立横山第一小学校となった横一小は、八王子市立横山第一小学校となりました。
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思い出の日光移動教室 総集編97

 最終の見学地『富弘美術館』の見学も終え、日光移動教室のおもなプログラムをすべて無事に終え、バスは一路、学校へと向かっています。
 バスの中では、バスレクの係の子どもたちを中心に、ワイワイガヤガヤと楽しくバスレクに興じていました。また、サービスエリアでのトイレを済ましたあとは、おやつタイムになりました。お腹いっぱい食べた子どもたちでしたが、おやつは別腹でしょうか、楽しそうにおやつを食べていました。もちろん、食物アレルギー対策から“おやつ交換なし”などのルールは、しっかり守られていました。

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思い出の日光移動教室 総集編96

 富弘美術館では、行動班ごとに、退館時刻に気を付けて作品の鑑賞・見学をしていました。自分のお気に入りの絵や言葉を見つけた子も多くいたようでした。また作品のすばらしさとともに、その作品を創り上げるときの富弘さんの作品の創る姿を思い浮かべ、その努力の尊さにも感銘を受けていました。
 鑑賞や見学ともに、
「トイレを済ませておくように。」
との先生の指示も、しっかり行われていたので、集合してすぐにバスに乗車し、富弘美術館をあとにすることができていました。
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思い出の日光移動教室 総集編95

 お店の方が用意をしてくれたご飯は、子どもたちのお腹の中にすっぽりと収まってしまいました。そして、広間には、子どもたちの満腹感が漂っていました。
 日光移動教室の3日目を、子どもたちが元気に過ごしている現れでした。
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思い出の日光移動教室 総集編94

 富弘美術館近くの草木ドライブインの広間で、子どもたちは昼食を取りました。メニューは、子どもたちの大好きなカレーライスです。
 食事係の子の最後の仕事の「ごちそうさま。」で、子どもたちは、後片づけする方の気持ちを考えて、自分たちで上手に片づけを済ませていました。
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創立120周年記念 “今につながる、横一のむかし”『移り変わる横一小の学区』1

 平成29年度は、八王子市の市制100周年の記念すべき年です。そして、本校にとって、120周年の節目の年でもあります。
 120周年の節目をよい契機に、子どもたちに横一小のよさや子どもたちの住んでいる館・椚田・大巻・大船などの周辺の街々、八王子市に目を向けさせたいと思います。
学校に残る資料“横一の宝物”をもとに、“今につながる、横一のむかし”を連載します。また、ホームページに他のページに掲載していきます。

1、最初の横一小学区
 横一小の学区は、旧横山村の南部を中心に成っていました。明治30年の創立から昭和20年代中頃までは、だいたい1学年1クラスでした。
 当時、この地域も自然のままで山あり、畑あり、田ありでした。そして、でこぼこの砂利道を通学しました。水ぬるむ春になるとれんげが咲き、蛙がなき始め、初夏にはひばりやカッコウ鳥の鳴く下で麦を刈り、牛馬による田の代かき、雨の中でござを着ての田植え、冬には麦をふむ農家の人。こんなのどかな絵のような田舎の光景が見られました。また、椚田の原から館の上、そして狭間町にかけて桑の木や農作物で緑がいっぱいでした。
                    『創立百周年記念誌』より

 ※当時の学区域の地図からも分かるように、当時の横一小の学区は広く、今の横一小、館小学校、緑が丘小学校、椚田小学校、浅川小学校の学区にまたがっていたと思われます。そして、この辺りに住まわれているご年配の方々は、横一小の卒業生として、今も横一小のことを気に掛けられているとお聞きしています。
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思い出の日光移動教室 総集編93

 狭く、薄暗い坑道での足尾銅山での見学も終え、やはり明るく、広々とした所での歩行で、ほっとした様子の子どもたちでした。最後の見学地の富弘美術館と昼食に向けて移動のために、駐車場に向かいました。
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思い出の日光移動教室 総集編92

 足尾銅山の坑道内の見学路は、時代ごとに掘削作業などの仕方が順番に展示されています。そして、所々に、その当時の働く人の様子が分かりやすいように、模型の電動仕掛けの人形が展示されています。急に見た子が、ギョっと驚いた様子が見られました。
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思い出の日光移動教室 総集編91

 銅山の坑道内の見学になった子どもたちは、坑道内の薄暗さから、“お化け屋敷”的感覚で前の人に続いて歩いていました。
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思い出の日光移動教室 総集編90

 子どもたちは、初めて乗る(?)トロッコ列車に、どんな風に走るのか興味津々でした。乗っている時間は、ちょっと短いのですが、子どもたちは楽しんでいました。
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思い出の日光移動教室 総集編89

<その18>『周りの人にも、気品を感じさせる行動を』
 足尾銅山の見学は、坑道内の見学のために、トロッコ列車に乗って坑道の中に入らなくてはなりません。そのため、乗車の駅で乗車の順番を待ちます。見学の学校が数校重なると多くの時間を待つことになります。
“狭い空間の中で、子どもたちがどのような状態で待つことができるか、また、教員が子どもたちをどのように待たせる指導ができるか。”の学校の差が、歴然と出る場面です。 横一の6年生は、5年生の時から、校外学習の折々に、
『目的意識、相手意識、そして、気品を感じさせる行動』
を、先生から指導を受けています。そして、5年生の連合音楽会などで、しっかりできるようになっています。
 この身に付いた“行動する力”を活かして、足尾銅山のトロッコ列車の構内でも、すてきな行動を、子どもたちは実践してくれていました。
 前に並んでいた学校の子どもたちの様子を見て、6年生自身、行動の仕方の善し悪しを感じ取れていました。
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思い出の日光移動教室 総集編88

 足尾銅山の見学をする学校が、近年多くなり、場合によっては20校近くの学校が重なることもありました。この日は、少なかったのですが、それでも6〜7校の学校のバスが専用駐車場に見られました。
 また、3日間の日光移動教室の行程の中で、小雨に遭ったのは、出発した直後で、バスが圏央道の高尾山周辺を走行している時と、この足尾銅山に到着した時だけでした。
 最後のクラスが並んだ頃に、ポツポツと雨粒が落ちてきました。
「雨粒が落ちてきたので、最後の人が入れるように、詰めてくれませんか。」
と一声かけると、子どもたちの列が、すうっと詰めてくれていました。
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思い出の日光移動教室 総集編87

 子どもたちは、一時間ほどバスの中で過ごすと、足尾銅山に到着しました。事前の調べ学習で調べたことを、実際に目で確かめます。
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思い出の日光移動教室 総集編86

 華厳の滝の見学を終え、子どもたちを乗せたバスは、一路、足尾銅山に向かって走りました。途中、『いろは坂』を通りました。曲がりくねった道でしたが、子どもたちは、バスガイドさんの上手な案内に元気に応えていました。
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思い出の日光移動教室 総集編85

<その17>『場所に即した行動ができる人に!』
 朝の澄み切った中、子どもたちは、華厳の滝の美しさに触れることができました。滝を背景にしたクラスごとの集合写真を撮っていただいたあとに、子どもたちは一つ上の展望デッキに上がり、滝を眺めたり、思い思いに写真を撮ったりしていました。一般の観光の方も多く居ましたし、他の学校も次々に見学に降りてきていましたが、本当に上手に見学ができていました。
 展望デッキからエレベーターの乗り口に向かうために、集合するときも、“察する気持ち・察する力”を発揮して、周りの方々に不快な気持ちを抱かせることなく、人数確認をしていました。
 たくさんの人の乗る大きなエレベーターでの昇り降り、そして、声がとてもとても響く長いトンネル。ちょっとした声が何倍にもなってこだましてしまう環境でしたが、横一の子が確かな行動ができていました。
 すれ違った他の学校の先頭を歩く担任の先生が、横一小の子の様子を見て、おしゃべりに興じている自分の学校に注意をしている姿が印象に残っているほど、頑張っていました。
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思い出の日光移動教室 総集編84

 二荒レストセンターも到着した子どもたちは、楽しみにしていた買い物を始めました。
「お財布の中には、○○円残っているから、何が買えるかな。」
と、友だちと話をしながらお土産選びをしていました。
 よくこんな場面を目にすることがあります。
「バスの下のトランクに入れた大きなバックの中に、お財布を入れてしまったので、開けてもらえませんか?」と。
 6年生は、朝の荷物作りの中で、今日は何をするのかの意識がはっきりさせられていまので、買い物もスムーズに済ませることができました。
 そして、2日目、霧で見えない状態で見学できず、当初の日程に差し込んだ『華厳の滝』の見学もできるようにしていました。
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