修学旅行 その17 穴くぐり修学旅行 その16 柱の穴くぐりこの穴をくぐり抜けと、ご利益があると言うことで、この“柱くぐり”がたいへんな人気です。穴の大きさは30cm×37cmで、柱の直径は120cm。 別所中生ももちろん挑戦しました。 修学旅行 その15 奈良の大仏様修学旅行 その14 奈良公園班行動開始西日が容赦なく照りつけています。 しかし鹿を見つけるとみななでたり写真を撮ったり、鹿とのふれあいを楽しんでいます。 修学旅行 その13 柿食えば〜ガイドさんの説明を受けての見学 修学旅行 その12 法隆寺見学修学旅行 その11 法隆寺にて記念写真撮影修学旅行 その10 昼食はカレーライス会場に着くと すでに別の団体が昼食をほぼ終えているところでした。 その団体に負けないよう大きな声で「いただきまーす」 修学旅行 その9 京都到着ここからバス移動で法隆寺に向かいます。 修学旅行 その8 下車間近あわてて口に放り込む人多数・・・ 修学旅行 その7 車中の様子修学旅行 その7 車中の様子修学旅行 その6 車中の様子修学旅行 その5 車中の様子修学旅行 その4 いよいよ乗車修学旅行 その3 新幹線を待つホームにて修学旅行 その2 開校式開校式を行い、実行委員長の小澤君のあいさつ、校長先生のお話、引率者の紹介、諸注意などを行いました。 修学旅行 その1 1日目のスタート天候はすっきりしませんが、みんなは元気そのもの。 続々と新横浜に集合しています。 別中コラム217 華89 鶴3 「受験とマラソン」
今回のコラムでは、3年生が嫌というほど聞かされている受験ついてです。
中学校3年間をマラソンの42.195キロに例えながら話したいと思います。 1,2年生も自分には関係ないとは思わずに、読んでほしいと思います。 今、1年生はマラソンでいうとスタート直後の5キロくらいでしょうか。やっとレースに慣れてきた頃だと思います。だいぶ中学校生活にも慣れてきたことでしょう。2年生はもう少しで中間地点を越える18キロ地点くらいですね。集団で走っていたのが、だんだんとバラバラになります。前に出るランナーがいるわけではなく、遅れるランナーが出てくるのです。日頃まったく勉強していないと、このように集団から遅れてしまいます。 またマラソンには、ペースメーカーと呼ばれる人もいます。その人たちが中間地点までランナーを引っ張るのです。さあ、中学校では誰がペースメーカーでしょうか。先生ではありません。学級委員でもありません。私たち、全員だと思います。 2年生の2学期からは、マラソンでいうと中間地点を越え、ペースメーカーがいなくなります。ここからは自分たちで進んでいくのです。そうすると、3パターンの人が出ています。まず、1人で集団から飛び出す人、つまり猛勉強をする人。次に自分のペースを保ちながら先頭から離れないようにする人、つまり毎日少しずつでも予習・復習をしている人です。そして、最後に集団から遅れて先頭集団が見えなくなる人、つまりまったく勉強をしない人。集団から飛び出さなくとも、先頭から離れないように日頃から勉強をしましょう。 さて、3年生は30キロを過ぎたあたりでしょうか。もうここまで来たら、あと10キロは気合いと根性で乗り切るしかありません。もうそろそろ勉強を始めないとまずいです。今、始めれば、まだゴールできるはずです。ゴールとは、自分の進路を決めて、卒業をすることだと思います。 さて、ここまで話してきたことをまとめます。1年生は、受験は先の話ではないと頭の中に入れておきましょう。それだけでもだいぶ違うと思います。2年生は、今からでも少しずつ勉強を始めていきましょう。そうすると後が楽になります。3年生はこの1年が勝負です。受験を乗り越えるためにも、頑張っていきましょう。 鶴孝太郎 9月 学校朝礼今日は、9月1日。「防災の日」です。 先生は、7月下旬、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を初めて訪れる機会に恵まれました。 2011年3月11日(金)午後2時46分、千年に一度と言われるマグニチュード9の巨大地震が発生。南三陸町では、住民の大多数が「地震の後には津波」との意識が高かったそうですが、それでも多くの方々の尊い命が失われました。当時、津波の第一波の襲来まで庁舎内には約30名の職員がいました。しかし、津波に襲われ無事が確認された職員はわずか8名。20余名の職員の方が行方不明となりました。 なぜ、津波への注意力が高かったのに多くの方が亡くなられたのだろう。多くの職員も、住民に避難を呼びかけるために防災無線を使い、最後まで「高台へ避難してください」と呼びかけていたそうです。 それなのになぜ? それは、私たちの知識を、想像を超える津波だったからです。 3階建ての防災対策庁舎の屋上に避難していたところ、その屋上をさらに2メートルも上回る津波が襲ってきたのです。フェンスやアンテナにしがみついて一命を取り留めた方は、多くの仲間が消えていることに気付きました 「まさか、こんな高さまで・・」 波が襲ってくるその瞬間の心の声はどんなだったでしょうか。 7月、私は防災対策庁舎の前に立ちました。3年前にこの海で、この街で起こった出来事が実感を伴って感じ取ることができました。尊い人命を救うために最後まで防災無線のマイクを握りしめていた職員の方々に思いを馳せながら庁舎を後にしたのでした。 私はこの悲劇から大切なことを学びました。 それは、防災意識を高くもつことの大切さです。 毎月の避難訓練・・マンネリになっていませんか。あの時の地震の恐怖忘れていませんか。 「いつもの訓練だから」とか「いつもどおり」「このぐらいやっておけば・・」になっていませんか。 自然の力は、私たち人間の知識や力のはるか上をいっています。 「まさか、こんなはずでは」ということがないように、日頃から防災意識を高くもち、備えを万全にして いく、そういう心構えをもっていきましょう。 以上で終わります。 校長 福山 隆彦 |