修了式講話要旨
昨日、一つの中学校が閉校式を迎えました。その中学校は2年前の3月11日に8名の生徒が亡くなりました。そして昨年、皆さん方が励ましのメッセージを送ってくれた陸前高田市内の中学校です。昨年の修了式では、校長先生からのお礼のお手紙の内容を報告しました。今回は、その中学校の2年女子生徒から先日、葉書が届きましたので紹介します。
(葉書文省略) 陸前高田市内の学校は、あの大震災によって学校数が大きく減ります。葉書を下さった小友中学校も、他の2つの中学校と一緒になり高田東中学校に生まれ変わります。 このように東日本大震災は沿岸部の教育を大きく変えようとしているだけではなく、その学校が無くなることで、皆が集まる場所も無くなろうとしています。その地に留まりたくとも留まれない生活を強いられている方々も少なくありません。 しかし今、一方で地域の方々は中学生とともに新たな地域の拠点となる学校づくりを目指し、力を合わせて頑張っています。今、一度、私たちに何が出来るかを考えて行動していく必要があると私は思っています。 ところで私は、この中山中学校が今と同じように続けられるためには、防災に対するたくさんの知識や知恵だけでなく、地域の方々と一緒に今後も皆で、この学校を作り上げていく必要があると思います。こんな話しがあります。 アメリカには州によって様々な法律や規則があります。アメリカのバーバラ・スーリングさんという人が、アメリカ各地の 「あまり知られていない法律」を調べました。 ◇ゆううつな顔をしていてはならない(アイダホ州ポカテロ市) ◇ネコはイヌを電柱に追い上げてはいけない(ミネソタ州インターナショナル・フォールス市) ◇劇場にライオンを連れて入ることを禁ず(メリーランド州ボルチモア市) ◇逆立ちで道路を横断すべからず(コネチカット州ハートフォード市) 「アメリカ人ってユーモアがある」と思う人もいるでしょう。わたしは、これらの法律、規則を読みながら、どんないきさつでこれらが制定されたのかと、想像力をかきたてられました。なぜなら、わたしたちの行動によって法律・規則がつくられたり、変わることが多いからです。「道路を逆立ちで横断する」人がいたのです。だから、それを禁止しなければならなくなったのです。 こういう、珍しいというか、特殊な法律がつくられるということは、《当たり前》と思うことが、《当たり前でなくなってきた》ということを意味しています。他の人には《当たり前ではないこと〉が、ある人たち―この《たち》という複数形に注意―とっては、ごく自然なこと、《当たり前なこと》になっているからです。こうしたことは、民族間の生活習慣の違いから生じてくることも多いようです。そのために社会生活が混乱する―その混乱を整理するために、先に挙げたような法律が必要になったのです。 本校の生徒心得の中には、「遮断機が降りているとき、踏み切りを渡ってはいけない」とか、「花火を他人に向けて打ってはいけない」という項目はありません。それは、そういうことをするような人がいないからです。中山中学校の生徒なら、何が当たり前であるのかを知っているからです。 「逆立ちで…」みたいな、おかしな校則を作らなければいけないような、そんなオカシナ学校に、この中山中をしたくありません。「人間として当たり前でしょう」、「わたしたち中中生は、そういうことをしないのです」という感覚、声を大切にしながら毎日を生活していきたいものです。今4ページある生徒心得が0ページになるような、そんな学校を私は皆さんや保護者、地域の方、先生方と作っていきたいと思っています。 卒業式式辞要旨
昨日来の雨も上がり「卒業式日和」とも言える、暖かな朝を迎えることが出来ました。
本日ここに平成24年度第33回卒業式を挙行するに当たりまして、八王子市ならびに関係各位をはじめ多数のご来賓にご臨席をいただきました上に、保護者の皆様方のご参列をいただきましたことに、高い所からではございますが心より御礼申し上げます。 さて、ただいま呼名された106名の3年生の皆さん。ご卒業おめでとうございます。 皆さんが、この中山中学校に入学した3年前の4月7日(水曜日)午前10時の八王子市の気温は14.3度、曇りでした。3年前の入学当時の姿に比べると、体も大きくなり、精神的にもすっかり成長しました。保護者の皆様方も皆さん方の成長ぶりを大変頼もしく思っていらっしゃることでしょう。 先日こんな話を耳にしました。旅をしていたお坊さんが道を歩いていると、雀が蛇に捕まっている場面に出くわしました。その雀が涙を流しながらお坊さんに命乞いをするので、雀をかわいそうに思い、蛇に語りかけたそうです。「その雀はまだ若い。私の腕の肉と交換に助けてやってくれないか」と。すると蛇は天秤を持ち出し、こう言いました。「これは命の重さを量る不思議な天秤だ。この雀と釣り合うだけの肉を差し出せば雀を助けてやろう。」お坊さんは少し怪しく不審に思いましたが、泣いている雀を見て、その交渉を受け入れました。 お坊さんは、まず腕の肉を少し削ぎ落とし、天秤の反対側に載せました。肉は雀と同じくらいの大きさでしたが、天秤はピクリとも動きません。さらに肉を削ぎ落とし載せましたが、やっぱり天秤はびくともしないのです。こうして次々と肉を削ぎ落とし、とうとう片腕を失ってしまいました。しかし、天秤は一向に動く気配を見せません。業を煮やしたお坊さんが自ら天秤に乗ると、ようやく天秤は釣り合ったのです。びっくりしているお坊さんに、蛇は不敵な笑みを浮かべて、こう言いました。「どうだ坊主。この雀の命は、腕の肉切れ一片で足りるとでも思ったか。己の命も犠牲に出来ぬ分際で命を助けるようなどと、偉そうなことをほざきおって、おこがましくも哀れで愚かな人間らしいことだ」。呆然とするお坊さんを横目に、蛇は雀とお坊さんの腕を丸呑みし、どこかへ去っていったという、お話です。 この話しは、命は雀も人間も等しく尊いという仏教の教えを説いているのかもしれません。私たちは気安く人を助けようとします。それはもちろん良いことで、優しい心の表れです。でも助けようと思っていても、ちょっと自分が不利になったり面倒なことになりそうだと、さっさと手を引いてしまう人がいます。その人の大切な人生を本当に救うためには、自分の命を投げ出す覚悟が必要です。気休めや誤魔化しで優しさを装っても本当の助けにはなりません。中途半端なことをすると、共倒れになってしまいます。柔道の石井選手の高校の時の校長先生は「連帯保証人には、なるな。」ということを、ずっと朝礼や式辞で言い続けていらっしゃるそうです。私も連帯保証人になったことがありますが、そんな時は、その人と一緒に地獄へ堕ちる覚悟で引き受けています。そんな覚悟が無い人は、やるなというのが、この校長先生のお考えだと思います。堕ちてしまえば、もう絶対に助けてやれないのだから、絶対に堕ちる訳にはいかない、それぐらいの覚悟を持てというのが、この話しの言いたいことかもしれません。 あなたを本気で助けてくれる人は、時に鬼のように見えることがあります。「うざい」とか「嫌だ」とか思うかもしれません。でも鬼にならなければ救えないことがあるから鬼になるのです。鬼は恐ろしい姿で厳しいことを言い続けます。それは、そうでなければ助けられないからです。やさしい姿や言葉で、あなたを甘い言葉でくるんで、結局は地獄に堕とす者がいることを、この蛇とお坊さんのお話で覚えておいて欲しいと思います。 あなたのお母さんは、あなたを命がけで産んでくれました。保護者の方々は命を捨てても惜しくない覚悟で育ててくれました。ありがたいことですよね。あなたもやがて、そんな家族を守ってくれる人になって欲しい。本気で人を助けるためには、しっかりとした気持ちを持ち続けていないと、周りと一緒に流されてしまいます。だから高校生、大学生、社会人となっても通用する人を、私たち教職員は保護者の方や地域の方と一緒になって鬼や蛇となり鍛えてきたつもりです。 天の恵み、国の恩、地の情け、人の慈しみ、中でも保護者の方や地域の方の、あなた方へ送り続けてきた、優しい心遣いへの感謝を忘れてはなりません。毎日のお弁当を作ってくれる方は、その人でなくて他にいますか。ご近所で君たちの成長をずっと見続けてきた人は他にいますか。願書や調査書を何回も何回も見直してくださった上に、何枚も何枚も発行してくれた先生は他にいますか。感謝の心を忘れた人は獣(ケダモノ)と同じです。 私が今年の3年生を見ていて感じたことは窮地に陥っても、けっして卑怯な振る舞いをしなかったという潔い生き方をしてきた姿です。未来のあなたを支えるのは、今の自分です。私は卒業生の皆さんが古語で言う「あはれ」だと思います。「あはれ」はもちろん、かわいそうだという意味ではありません。「ああ」という感動詞であり、しみじみと心を打ち感動を起こさせる様子を表す言葉です。そして今では、はねる音を使って意味を強めた「あっぱれ」という言葉で表現される、相手の気持ちに寄り添い、優しく、美しく、勇気を持った人たちだという意味です。天晴れ同期の君たち、卒業おめでとう。 次に保護者の皆様、お子様のご卒業まことにおめでとうございます。心からお祝いの言葉を申し上げます。思い出はつきませんが、この三年間、本校にご理解とご協力を賜りましてまことにありがとうございました。今後のお子様の、ますますのご成長をお祈り申し上げております。 最後に卒業生の皆さん、帆を大きく張って、これからも希望の大海に向かって船出をして下さい。 皆さんの前途をお祈り申し上げまして、私の式辞といたします。 平成25年3月19日 八王子市立中山中学校 校長 星野 純一郎 |