学問のすすめ vol2
さて続きです。
成績を上げるには今の自分ではだめだ。だから、新しい自分になる。 希望している志望校と皆さん自身の成績はどのくらいの差がありますか。1〜2ポイントの人はこのまま頑張れば受かるでしょう。しかし、5ポイント以上の人はただ頑張るだけではだめです。 今の自分のレベルでは、1ポイントを上げるのがせいぜいです。それ以上アップさせるには変身して、よりレベルの高い人間にならなければなりません。 ほとんどの人は成績を5ポイント以上、上げるなんて無理だと思うでしょう。しかし、そう考える人は自分が逃げるための言い訳をしているだけです。無理だと思った人はきっと無理でしょう。 自分を変えることから逃げたのですから。あきらめること、夢を持てないことは、ごまかして結局は楽をする弱者の ずるさ だと私は考えます。 勇気をもって今直ちに自分を変える 気分は二流、一流は実行する ここで自分を変えようと思った人は躊躇することなく、恥ずかしがることなく、今直ちに変身しましょう。 人間は一瞬にして変われる ものです。変わるときは、一気に、驚くほど変わらなければダメです。では、何を変えたらよいのか。それは 行動 です。 気持ちだけは二流、一流は実行する。三流は口だけ。 気持ちは変わろうと思っても行動に移せない人はいつまでも変わりません。 しかし、変わりたいと思っているのになぜ変われないのでしょうか。行動に移す 勇気 と辛いことを続ける 忍耐力 がないからです。自分を変える 覚悟 を持ちましょう。 頭のよさ には8つの側面がある。だから、学力は人間力。 1広さ 2深さ 3遠さ 4力強さ 5きめ細かさ 6素早さ 7美しさ 8善さ 頭のよさ には8つの側面があると私は考えます。頭のよさはテストの点数のような単純なものではありません。ずっと奥深いものです。生徒諸君にはこの8つの 頭のよさ を兼ね備えた、本当に“頭のよい人間”になってほしいと思います。 1 広さ とは、多くのことを知っていることです。もっと知ろうとする好奇心です。 2 深さ とは、深く考えることができることです。思慮深さでもあります。 3 遠さ とは、遠く先まで考えることができることです。目先で考えない賢さです。 4 力強さ とは、ざっくりと骨太に本質を捉える考え方です。そして、考えたことを実行に移す力強さです。 5 きめ細かさ とは、緻密さです。細部まで考え尽くす粘り強さです。 6 素早さ とは、即座に反応し、テキパキと処理できることです。頭の切り替えの早さ、思考のスピードも社会では必要です。身体の反応のよさも含まれます。 7 美しさ とは、小さい子どもに 賢そうな子 と表現するときの 凛々しさ です。 正しい学力は顔や姿に表れるものです。美しくなりましょう。 8 善さ とは、倫理性です。 賢人 というとき、その倫理性が評価されています。現代人に失われた 頭のよさ です。 この8側面は思考の観点でもあります。 広く考える、深く考える、遠くまで考える、力強く考える、きめ細かく考える、素早く考える、美しく考える、善く考える。暗誦しましょう! 続く 学問のすすめ vol1
今、中学三年生は面談を行っています。いよいよ自分の進路に向かって真剣に向き合っていかなければなりません。そこで今日は高校で校長先生をしていらっしゃる方のコメントを載せます。
**************************** 学力とは人間力である 今直ちに自分を変えよう。気持ちだけはは二流、一流は実行する。三流は口だけ。その気持ちになったとき、間髪を入れずにいっきに変わることである。面談を終えてすぐに自分自身を変えてみよう。 人間の質やレベルが上がって本物にならないと学力はあがらない。 世間では 頭はいいけど冷たい という言い方が良くなされます。そして、この言い方がより定説化されると、 頭のいい人は冷たい。頭の良さと心の温かさは反比例する。 という極論になる。 頭がいい という定義はここでは論じないが、このような世間で言われ言説は人々の経験に基づいた常識的な因果関係のように言われている。この 頭がいい人はつめたい という経験則は 頭の良くない人 のやっかみ、つまり、 ニーチェの言うサンチマン(一般人のやっかみ)の産物なのです。 ここでは差別的な考えを述べているわけではない。 頭がいい人はつめたい という人は、頭の良さと人間の良さを別物として捉えており、その考え方が誤りだといいたいのです。さらに、人間が良くならなければ本当に頭が良くならない、また、たとえ頭が良くても人間が劣悪ならば、その人を頭がいいと言ってはならない、といえる。 これから受験勉強が本格化するにつれて、多くの人はその顔つきや姿勢がすっきりしたものになってきます。そういう変化をした人は、経験上かなりの確立で合格します。学びは人間を陶冶するものであるといえる。 近頃、 本物 という言葉を好んで使っており、 本物 の定義をすると以下のようになる。 (1)本物とは、その姿に表れるものである。姿勢、顔つき、そしてまなざしの確かさである。 (2)本物とは、自分よりも、人のために、そして社会のために生きようとする心ざしをもっているも のである。 (3)本物とは、言葉よりもその行動で、自らの存在を示すものである。 生徒には「本物」になってほしいと考える。口先だけの、自分のためにしか考えられない・行動できない偽物にはなってほしくないと考える。そして、偽物を駆逐してほしいものだ。学びというものの意義が日本から見失われて久しくなる。勉強を一生懸命することを恥ずかしいこととする風潮、さらには、からかいの対象にする風潮さえある。学びを軽んじる風潮など有史以来、どの国にもなかったことである。福沢諭吉の有名な 学問のすすめ の一節を掲げる。 今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし。智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに出で来るものなり。 福沢諭吉 学問のすすめ 確かに現在においては、福沢諭吉がこの 学問のすすめ 初編 を書いた明治5年のように貴人や愚人はいませんが、その品性や品格において、人々の間に雲泥の相違があることを理解してもらわなくてはならない。もし、品性や品格が見えなくなったとしたら、この日本社会自体が、学びを忘れた社会なのかもしれない。生徒には是非この日本を本来のよき日本にしてほしい。 **************************** 続く 11月4日八王子市中学校駅伝競争大会本日(11月4日(日))、駅伝競走大会が晴天の中、無事開催されました。 男子36校、女子34校が参加し、六中は男女とも入賞しました。 男子は惜しくも4位、女子は3位で入賞杯をいただきました。 どの選手も、控えの選手も含め子供たち全員が持っている力を 出し切ってくれたようで、見ている私達は感動を覚えました。 校長会の先生方はじめ、中体連の先生方、部活顧問の先生方には 日頃のご指導、本当に感謝申し上げます。 子供たちが、この大会で力を出せるのも、日頃の先生方のご指導のおかげだと思っています。 子供たちの一生懸命な姿を見ていると、日本の将来もまだまだ大丈夫!と思えます。 中P連からも、約200名の保護者の方々が監察員等でお手伝いに参加しています。 この伝統ある大会を、来年も再来年もずっと続けていけることを祈っています。 六中も、来年が楽しみですね。 という記事をいただきました。ありがとうございました。 いよいよ明日
いよいよ明日は音楽祭です。
本日もクラスやくわの実ホール、体育館、音楽室を使って 練習をしています。 明日が楽しみです。 |