学校HP「コロナウィルス関連」に随時情報を掲載します。

2年生116名、元気に出発しました。

 今日から移動教室に参加する第2学年生徒は、登校後メインバッグをバスに入れてから体育館で出発式を行いました。
 出発式では副校長から「既に準備等でお世話になった保護者の方を始め、多くの方々のお世話になる3日間である。最終日、家に戻って大きな声で『ただいま!』と言えるように感謝の気持ちを忘れずに過ごして欲しい。」との話の後、担任団6名以外の養護教諭や第1学年担任、看護師、サポーター、添乗員、写真屋さんの紹介がありました。諸注意では学年主任の安藤主幹教諭から「長袖・長ズボンは万が一の事態に備えて、着用するように言ってきた。その他しおりに書かれている事項は、すべて楽しく安全に過ごすために必要な最低限のことである。よく確認してから行動しよう。」との話しがありました。
 その後トイレ休憩や班長による貴重品回収などがあり、9時20分には各クラスごとにバスへ移動しました。9時32分、バスは全車両が学校を出ました。私も一人ひとりに「気を付けて、行ってらっしゃい。」の声をかけて、用務主事とともに見送りました。

第2学期始業式校長講話(概要)

 「弱い者いじめ」という言葉があります。これは、いじめが通常、弱い者に対して行われるという意味に使われる言葉ですが、私は、もう一つの意味があると思っています。
 小学校4年のときに私は大阪から奈良の小学校へ転校しました。転校した次の日、生意気だということで一人の男の子が2人の友達を引き連れ、学校の帰り道の冬の田んぼの中で殴る蹴るの暴行を受けました。5年生のある日、今度は私が2人の男の子を見張りに立たせ、転校したばかりの男の子に殴る蹴るの暴行を加えました。6年生のとき、今で言う登校班の班長や子ども会の会長を選ぶとき、見張りの同級生たちは私に投票しましたが、他の4・5年生は優しい別の同級生を選びました。そのとき私は初めて気が付きました。弱い者をいじめた私は強い者ではなく、力で抑え込んでいただけで、その力には限りが在ること、そして本当に強い者がやるべきことは弱い者を守ることだということを知りました。
 中学校3年間、私がやり抜いたことは転校生へ最初に声を掛けることでした。転校生へ勉強の進み具合を教えてあげたり、一緒に帰ったり遊んだりと、まず最初に行動を共にするようにしていました。もちろん他の気の合った別の友達と親しくなる子もいましたが、小学校の自分のようになってしまう子は一人もいませんでした。
 いじめだろうが、喧嘩だろうが、ちょっかいだろうが、悪ふざけだろうが、無視だろうが、相手の心に苦痛を与える限り、それは間違いなくいじめです。かつて、いじめられたことが合っても、今いじめていたり、周りで見ている人も全て、いじめの加害者です。あえて強く言ったのは加害者になりたくなければ、いじめをしないことと大人に伝えることだということを知ってほしいからです。いじめを受けている生徒と見ている生徒は必ず私が守ります。大人には知恵があります。本校では生活指導主任の荒川先生を中心に全ての先生が立ち上がります。
 私の本音は今の3年生が1年だったときに話したことがありますが、2度と生徒を失いたくないということです。ぜひ協力してください。お願いします。

議会よりも大変そうな市長と教育長でした。

 八王子市子ども家庭部主催の「はちおうじ子どもミーティング」が26日(日曜日)午後、市役所8階の会議室で行われ、本校からも第2学年1組の男子が参加しました。
 これは八王子市子どもすこやか宣言普及啓発事業として、子どもに意見表明の機会を与え、子どもの視点から八王子市のまちづくりについて提案する会です。生徒たちはテーマである「防災」について、7月30日からオリエンテーションや体験教室、自己紹介、ワークショップ、ゲーム、起震車、防災倉庫、多機能車、給水車、濾過水の試飲、市の無線室見学などだけでなく、8月6日には防災課や建築課職員からの専門的講義による事前学習を積み重ねてきました。
 ともすれば「人との関わりを避けたい。面倒くさい。目立ちたくない。だから動くのは嫌だ。」という風潮も強い中、ファシリテーターの学生サポーター(大学生)26名の熱き心で、参加した小・中学生23名を励まし続けてきたことにより、この日、成果がはっきり現れました。大人にはないスケールの広さや斬新な視点、無謀とも思える意見を市長や教育長を前にしてたじろぐことなく述べるだけでなく、現実の問題点を指摘する市長や教育長に「でも必要だから必ずやって欲しい。」と食い下がって発言する姿には、未来の市会議員を彷彿させる頼もしさを感じました。
 市長や教育長の「実行できるものは直ぐにスタートさせたい。」とのお話しは、子どもたちにとっても大きな宝物となったことと思います。参加した子どもたちに未来の八王子市を託したくなるような、そんな気持ちになったのは同席した大人のほぼ全員の感想ではなかったでしょうか。

楽校へ行って来ました!

 25日(土曜日)午後1時30分から26日(日曜日)にかけて中山小学校運営協議会(石井征夫会長)による「第4回ふれあい楽校キャンプ(避難所体験)」が行われました。
 2時からの開村式についで、子どもたちは昔遊びとカレー作りに分かれて熱心に取り組んでいました。私も今まで数えるほどぐらいしか、やったことのない剣玉にチャレンジ。これまでも左右の大皿・小皿や手で持つ下の方の中皿、皿胴などには載せることは出来ても、尖った剣先の方へは一度も留めたことがありません。ところが奇跡とも言うべき現象なのかもしれませんが、25日は生れて初めて成功しただけではなく40分の間に2回も留めることが出来ました。私にとっては自己ベスト、水泳大会に出た生徒ほどではありませんが、チャレンジをした結果であり、正直、達成感がありました。
 突然ですが、さて、ここでクイズです。中山中学校の中庭へ行くと希望の丘周辺の草が、まるで丸坊主姿の子どものように短く綺麗にさっぱりとした状態になっています。これはナゼでしょうか。1 この夏の猛暑のせいで枯れてしまった。2 専門の業者の方が仕事として刈り取った。 3 ボランティアの方が、この炎天下の中、黙々と汗を流しながら生徒のために頑張った。正解は次の段落を読んでみてください。
 その後、私はPTAの除草作業に参加するため中抜けをさせていただきました。午後4時には希望の丘前に佐々木運営委員長を始め、前運営委員長や副校長先生など総勢25名が集合し、鎌やスコップなど思い思いの道具を手に約1時間、始業式に生徒が喜んでいる姿を想像しながら熱心に取り組んでおられました。一人ひとりの協力スタッフの方に生徒の皆さんが直接お声掛けすることは出来ませんが、これまでも保護者の皆さんの微に入り、細に亘る支援のお蔭である事に感謝する意味で、ぜひ夏休み最後の日までに家庭内の保護者の方に「いつも、ありがとう。」の言葉を掛けてみてください。ということで、先ほどのクイズの答えは皆さんの保護者の方が正解なので「3」ということになります。
 さて除草作業も終わり中山小学校へ戻った頃には体育館でキャンプファイヤーの「マイムマイム」の練習が繰り広げられていました。いよいよグラウンドでの夕食です。アルファー米の炊き出し体験によるご飯の上に載せられたカレーのルーは最高でした。私も以前、妻の誕生日に家中の全ての和・洋・中の調味料(バターや蜂蜜はもちろん、山椒や七味、豆板醤など本当に家に在る物を全て)を総動員して作ったカレールーは自画自賛するわけではありませんが最高でした。中山小のカレーも子どもたち一人ひとりの思いがブレンドされ、美味しかったので3杯もお代わりしてしまいました。
 夕食後はキャンプファイアー。消防団の方の完全なバックアップの下、私も「語り手」として参加し、中山小・坪内校長先生が扮する「火の神」から授けられた火が点火され「燃えろよ燃えろ」の生演奏と合唱、「ゲーム」や「ダンス」などが主幹教諭・花房先生の指導で進められました。最後に体育館に戻り「青春デンデケデケデケ」で直木賞を取られた芦原すなおさんのエレキギターによる生バンド演奏「音楽の夕べ」まで参加し、26日は失礼しました。
 本来、学校は勉強も含めて「楽校」であったはずでしたが、いつの時代からか「痛学」になってしまっているようにも感じます。部活動や行事だけでなく、学習こそが「楽」習となるよう、中学や高校、大学の先生たちも頑張っています。私自身、地域の方に怒られながら物の分別を学んできた人間ですが、これからはもっともっと地域の皆さんの手をお借りしながら、いろいろと幅広く学んでいく時代なのかもしれません。

感嘆符 市中学校水泳で堂々の女子3位、男子5位!

 24日(金曜日)10時から東京工科大学水泳場で第64回八王子市中学校水泳大会が行われ、本校は総合5位に入る堂々の成績を取ることができました。この成績は日頃から心身ともに鍛え抜かれた選手本人の自分と闘い抜く姿そのものの成果であることはもちろん、応援に駆けつけてくださった保護者の皆さんや他の運動部顧問を持ちながら2足の草鞋で数度に亘る加盟登録や選手申し込み、顧問会へも足を運んでくださった川幡先生に負うところが大です。
 本校生徒も、それに負けない他の選手への声援や挨拶、言葉遣い、態度などをきちんとするなど見ていても気持ちの良いものでした。そして何よりも私の心を打ったのは「えっ、さっき出たばっかりじゃなかったっけ?」というファイトです。私も大学時代、水泳部でしたが、大会期間は通常2日で、それぞれ1種目で他にリレーが重なるときでも、せいぜい午前・午後1種目ずつで、それでも口を利きたくないほど疲れ切って家まで帰った記憶があります。昨日は僅か1日の間に最大4種目、泳いだ本校生徒もいて私自身が、すごいエネルギーをもらった大会となりました。
試合終了後のミーティングでも話しましたが、この力があれば3年生は絶対に入試を乗り越えられる、1・2年生は、この力を2学期以降クラスや学校全体のために使って欲しい、9月3日の始業式の表彰のときには選手皆で選手皆に最高の拍手を送ろうと言った私の言葉に嘘はありません。自分との闘いに勝つことが出来た生徒に、もはや怖いものはありません。君たちなら乗り越えられる、そんなオーラのようなものを感じた1日でした。

私事ですが、神奈川全私学展へ行ってきました。

 全くの私事ですが、今日、中2の息子とパシフィコ横浜で開かれていた2012神奈川全私学展へ行ってきました。
 息子と回ったのはレベルの違う4高校のブースです。最初に行ったのは、ある大学附属の高校です。一般推薦の内申点や学費、中2でも学校説明会に参加できるかなどを伺いました。次に別の系列の大学附属高校、高校生が説明していた学校のブースを訪れ、最後に一般推薦でオール5が必要な高校へ、お邪魔しました。
 4校の中で私が注目したのは「中学生やその保護者が授業を見せてもらうことが可能ですか。」という問いに対する各高校の答えです。
 1校目「在校生とその保護者には公開していますが、中学生やその保護者などの外部の方には一切、公開いたしておりません。」、2校目「2週間前までに電話で予約をいただければ中学生やその保護者にも授業を見ていただけます。」、3校目と4校目「体育祭や文化祭などの行事の日を除き、いつでも好きなときに御覧いただけます。」というものでした。もちろん受験するのは1年半後の息子ですが、私なら、この4校の内、どの学校を選ぶかというと3校目か4校目の学校です。すでに都立高校では「通年の授業公開」と呼ばれる、いつでも連絡さえすれば見られるというシステムが確立しており、私が副校長をしていた八丈・大学附属・立川では実際にいつでも御覧いただけます。それを見せないとか、2週間前とか言っているような高校は、先生の授業か生徒の受ける姿勢のどちらかに自信の無い学校だと私は考えます。中山中学校は不審者でない限り、どなたでも、いつでも御覧いただけます。それは生徒の授業を受ける姿勢にも教員の授業内容にも強い自信が有るからです。
 残念ながら4校目は息子の成績レベルに程遠いので断念せざるを得ませんが、3校目ならば父親としては行かせてあげたい学校です。3校目は生徒が堂々と説明していた学校でもあり、私は非常に気に入ってます。皆さんは、どんな学校を選びますか。

感嘆符 PTA「すぎのさわ」3年連続の優秀賞!

 16日(土曜日)京王プラザホテル八王子5階「翔王」で行われた八王子市立中学校PTA連合会の席上で広報誌「すぎのさわ」が3年連続で「優秀賞」の栄誉に輝き、代表して特別理事の千葉さん(前運営委員長)が賞状と楯を受け取りました。おめでとうございます。

都立片倉高校の体育祭へ行ってきました。

 まず学校に入って、びっくり!グラウンド東側の校舎側壁には赤・青・黄団のシンボルとも言うべき大型ポスターが目に飛び込んできました。それぞれの団の色をベースにした壮大・幽玄な絵は、造形美術コースのある学校に相応しい技巧と迫力満点にして、いつまでも印象に残る「作品」でした。
 最初に拝見したのが1年男子いかだ流しリレー、中学校のように補助が無いため、タイミングがずれる度に大きなドスンという音が校庭に響き渡ります。思わず、あっちでもこっちでも「あっ」「おっ」という心配そうな声が漏れ聞こえましたが、そんな雑音とは無関係に高校生たちはすぐにいかだへ復帰します。とにかくスピード感がまったく違います。
 3年走り綱引きでは青:赤の戦いが見事でした。片倉高校の栗原校長先生も私も、いや観客全員、恐らく当人たちも全員が「赤の勝ち」と言い合っていたら、「アーッ」と言う間にジリジリと綱が反対方向に動き始め、何と「青」が大逆転劇を演じたのです。良く野球の試合で「9回裏2アウト3ボール2ストライクまで勝負は分からない。」と言いますが、片倉高校の綱引きは審判が笛を吹く、ギリギリの所で勝利の女神が「青」に降りてきたようでした。すぐに本校の体育祭スローガン「皆がいるから強くなれる 友情で掴め真の勝利」を思い出しました。仲間がいる、その仲間を信じて、最後まで決して勝負を諦めない、粘り強く闘い続けた「青」に、大きな拍手が送られていました。
 最後に2年男子騎馬戦、裸同士のぶつかり合い、横から後ろから押したり引いたりの技が炸裂していました。体の大きい生徒がバランスを崩して倒れていくのを尻目に、小さな生徒がくぐり抜け大金星を射止める姿に私も大きな声援を送りました。
 5月以来、4つの小学校と本校、都立片倉高校と6校の運動会や体育祭を見てきました。どの学校の児童・生徒も光っていたのは最後まで諦めずに粘り強く挑み続ける姿でした。
 私も児童・生徒の姿に学びながら、最後まで諦めずに粘り強く挑み続けたいと思います。

26日(土曜日)片倉台小・由木中央小へ行ってきました。

 まず最初9時過ぎに片倉台小学校へ、お邪魔しました。21日(月曜日)には12台の望遠鏡や13人の講師と62名のボランティアで金環日食観望会が行われ、学校全体が盛り上がっている中、来賓席に掛けると、児童の声が、これまでに無く元気で明るく、キビキビとして行動されていました。特にPTA会長の「頑張ろう!」の一声に「オーッ」と応えていた児童たちの姿、「運動会の歌」の3番として行われた「競争」曲、団旗の交換をしてまで徹底した「エールの交換」は、素晴らしいものでした。
 次に10時15分頃、由木中央小学校へ伺いました。5年生の100m走、片倉台もそうでしたが、ぶっちぎりでトップで駆け抜けた児童の姿を見ていると未来の陸上部の卵たちのようで、思わず赤も白も頑張れと大声を上げてしまいました。2年生の団体演技「荒馬」では「ラッセー、ラッセイ、ラッセーラ」の掛け声よろしく、東北を彷彿させるような力強さを感じました。6年生の得点種目「純情バトン〜わたしとみんなの学年リレー〜」は今日、最も見応えのあるプログラムでした。なんと2/3のチームがベストタイムを出すという快挙を成し遂げました。
 4つの小学校の運動会と過去2年の中山中学校の体育祭を見て来て強く感じたのは、やはり最高学年は違うなということです。陰での練習量と、その種目への気合の入れ方が全く他の学年と違って、絶対に諦めない、鬼気迫るものを感じました。
 いよいよ6月2日(土曜日)は私たちの体育祭の順番です。3年生だけではなく、1・2年生も小学校6年生のときに保護者や地域の方に見せた気迫を示して欲しいものです。

金環日食が見えました!

 心配された曇り空が幸いして肉眼でも7時30分ごろから外側のリングが、きれいに見え始めました。生徒も在籍者の8割、約240人が参加し、大歓声が校庭を覆いました。一人ひとりの目に、心に深く植えつけられたと思います。

高嶺小学校と中山小学校の運動会に行ってきました。

 高嶺小学校へは8時15分に着きました。先生方や世話人会の皆様方はもとより、すでに児童も入場行進曲の練習や青組のように応援の練習・打ち合わせに取り組んでいる姿が素敵でした。また校庭だけではなく、校舎の方からも「エイ!エイ!オー!」の勇ましい声が響いていました。開始10分前には児童の皆さんも着席し、今か今かと待ちわびているような顔が本部・来賓席からも良く見えました。開会式では1年児童代表の言葉が印象的でした。精一杯、本音で語られる子どもの声は、清々しさ以外の何ものでもありません。昨年まで高嶺小学校は、お天気に悩まされ続けていましたが、1週間早めたことで今年は、むしろ熱中症を心配されていた校長先生のお姿を気にしながら、中山小学校へ移動しました。
 中山小学校では、いつもは小屋の中にいる山羊のフブキが今日はグラウンドでみんなを応援していました。辛うじて開会式に間に合いましたが、そのお蔭で校歌を聴くことができました。と言うのも小学校では一般的に校歌は閉会式で歌われることが多いため、最後のプログラムまでいたことのない私は、この3年間、近隣4校の運動会に参加させていただきながら、実は1回も聴いたことがありませんでした。しかも、その声が半端なく大きく元気なもので、71名の学校とは思えない力強さを感じました。「アラジンのじゅうたん」では「練習」とは異なり白組が圧勝しましたが、「100m400m」では赤組の特に女子が健闘していました。さすが高学年は体格の良い女子の力走が光っていました。先生方のお話によると「じゅうたん」は高くしてはいけないのだそうで、その差が結果となったようです。
 高嶺小学校の渡辺校長先生、中山小学校の坪内校長先生、ご招待をいただき、ありがとうございました。両校ともアンケートを提出してまいりましたが、児童から明るさ・元気さをもらった1日でした。今度は中学校で、お待ちいたしております。

「希望の丘」の芝桜

地域の皆様のご協力により整備されている立体花壇「希望の丘」は、いま芝桜の花が見頃を迎えています。学校においでの時は是非ご覧になっていってください。写真はトップページに掲載しています。

あいさつ運動

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4月10日(火)から、学区域の小学校とともに、青少対の皆様方の協力を得て、あいさつ運動を始めました。昨日入学したばかりの1年生も、上級生の元気なあいさつに迎えられました。いつもあいさつのできる学校・地域を目指して、続けていきたいと思います。

入学式校長式辞(概要)

 遅かった春も桜の満開とともに、ようやく本校を訪れてくれました。
 本日ここに八王子市立中山中学校、平成24年度 第33回入学式を行いましたところ、多数のご来賓のご出席を賜りましたことを、高い所からではございますが、厚く御礼申し上げます。
 ただ今、担任から呼名のありました者は112名でございます。112名の生徒に対し、私ども教職員は全力を傾けて指導していく所存でございます。どうかご来賓の皆様におかれましても、この新入生に対し、限りないご声援とご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
 また本日は新入生の保護者の皆様にも多数ご出席を賜り、ありがとうございました。本校に入学されるまでの保護者としての様々なご苦労をお察し申し上げます。小学校同様、この中山中学校へのご支援・ご協力を賜りますよう、お願いいたします。
 さて最後になってしまいましたが、新入生の皆さん、本当におめでとうございます。
 今から70年近く前、日本は戦争に負け、一面、焼け野が原になり、住む家も食べる物も着る物も無いと言う時代がありました。そんな大変だった、この国が世界第2位の経済大国と呼ばれるようになったのは私が13歳、皆さんと同じ中学1年のときでした。
 日本がわずか20年程度の間に、あっと言う間に世界第2位へ登り詰めたのは日本人が働き蜂のように勤勉だったからだと言われていますが、もう一つ大事な理由として、政府の保護がありました。外国商品の輸入制限や高い関税、国内産業への補助金など、国が外国の様々な攻撃から守るために、いろんな手立てを打ってきたからだと言われています。それと同時に、品質向上のための規格という細かい規制により、アメリカやヨーロッパの国々と戦える力が身についてきたとも言えます。
 ところで私が皆さんと同じ歳の頃、「もう子どもじゃないのだから、もっと好きなようにさせて欲しい。」と思っていた時期がありました。でも周りの大人たちは私に「まだ大人じゃないのだから。」と言うばかりでした。さらに「〜をしてはいけない。」「〜しなさい。」というのが必ず付け加わっていました。「何で大人は、こんなにうるさいのだろう。」と何回も思ったことがあります。でも、そんなとき中学校の社会科の授業で「自由貿易と保護貿易」の話しを聞いて始めて、その理由が分かりました。本当に自由な生き方が出来るようになるまでは、勤勉な、この国のように外からの力に負けないよう中身を濃くしていく必要があること、そして外の人と自分ひとりでも戦えるように、スポーツと同様、いろいろな規則を利用して保護してもらいながら自分の力を高めていく必要があることを知りました。
 皆さんの周りには、この国が大きくなったときのように、皆さんを保護し大きく育ててくれている方々がいます。名前のとおり保護者の方、地域の方、そして本校の教職員です。今日から本校の教職員は保護者の方や地域の方と一緒に、皆さん方へ理解してほしいことや乗り越えてほしいことを、はっきり示します。学校生活だけでなく、世の中の当たり前のことは当然のこととして、しっかり要求します。温かさの中にも厳しさのある愛情をもって指導や支援をします。
 新入生の皆さんは、この学校で保護者の方や地域の方、教職員から言われなくても、自分の判断で行動し、その結果について責任のとれる「自立」を目指してください。わがままで身勝手な「自由」ではなく、大人にも真似の出来ない大きな「自立」する力を身に付けるのが中学校の3年間です。ぜひ一緒に頑張りましょう。
 以上をもちまして、私の式辞に代えさせていただきます。
平成24年4月9日
                             八王子市立中山中学校
                              校長  星野 純一郎

第1学期始業式校長講話(概要)

 修了式の日、私は被災地の中学校から届いたお手紙の内容と東京駅伝での本校生徒の力走、高嶺小学校の児童の夢や希望の話をした中で、皆さん方が2年生・3年生になっても、被災地へのメッセージで見せた「心のエネルギー」を、これからもずっと見せ続けて欲しいというお願いをしました。
 今日は皆さん方に「心のエネルギー」が、どれだけ一杯になったかを調べたいので、まずは本の朗読からスタートします。作者は望月ノワさんで「おばあちゃんからのおくりもの」という題です。

 おばあちゃんが老人ホームへ入った。最近、色々なことを忘れちゃうからだ。
家族のことや、時間や、自分の家も 分からなくなって、時々ふらっと出かけては、道に迷っちゃう。
 台所の火を点けたまま、消すのを忘れてしまって、火事になりそうなこともあった。
でも、僕はおばあちゃんが好きだ。おばあちゃんは、とても物知りで優しくて、毎年ぼくにマフラーを編んでくれた。学校へ持って行く雑巾も僕の名前を入れて縫ってくれた。お父さんも小さいころ、おばあちゃんに縫ってもらったんだって。
 そして、僕を叱った後には、なぜだかいつも、僕より先に涙を流すんだ。
 だから僕は、おばあちゃんが老人ホームに入るのは反対で、ずっと一緒に住みたかったけれど僕の家は、お父さんもお母さんも仕事をしているし、お母さんはおなかに赤ちゃんもいて、僕も学校があるから、話し合ってそう 決めたんだ。
 おばあちゃんが入った老人ホームは、ぼくの学校の近くにあったから、僕はなるべく学校が終わると、老人ホームへ寄って帰った。
 おばあちゃんは僕に会うたびに、まるで初めて会うお客さんを迎えるように「初めまして」って言った。だけど、おばあちゃんに会いに行けば行くほど、だんだん僕が来るのを楽しみにしてくれるようになった。
 おばあちゃんの老人ホームでの生活はとても楽しそうで、僕も一緒に歌を歌ったり、おやつを食べたりした。
 でも、おばあちゃんはいつまで経っても、僕がおばあちゃんの孫だってことを思い出せなかった。
「お母さん。お母さんも年をとったら、僕やお父さんのこと、分からなくなっちゃうの?」ぼくが 聞くと、
「おばあちゃんは病気だからねぇ・・・。」と、お母さんは言った。
「お父さん、お父さん。今度一緒におばあちゃんの所へ行こうよ。」僕が言っても、
「行っても父さんのこと、わからないだろうしなぁ・・・。」と、お父さんは おばあちゃんに会いに行かなかった。
 ある日、いつものように僕が老人ホームへ行くと、おばあちゃんは風邪をひいてベッドで寝ていた。
 僕はおばあちゃんのしわしわの手を握った。すると、おばあちゃんは突然ぱっと大きく目を開いて「良かった、お帰り。」と言い安心したように、また目を閉じた。そして次の日の朝、おばあちゃんは病院へ移り、一週間後にそっと息を引き取った。
 おばあちゃんのお葬式の日、老人ホームのお姉さんが来て、僕に紙袋をくれた。「これ、あなたにだと思うの」何だろう?紙袋の中を見て僕は思わず、「あっ」と、声を上げた。そして、「お父さん!お父さん!これ見て!」僕は慌てて紙袋をお父さんに渡した。
「何だい?」紙袋を開けたお父さんの顔が急にしわくちゃになり、目から涙が どんどん溢れ出した。中に入っていたのは、お父さんの名前が刺繍された、ジグザグな縫い目の雑巾だった。おばあちゃんは、お父さんの小さい頃にそっくりな僕を、お父さんだと思って雑巾を縫っていたんだ。
 お父さんは僕を、ぎゅっと抱き締めて泣いた。「お父さんの代わりに親孝行してくれてありがとう」
 後でお母さんが話してくれた。お父さんは大好きなおばあちゃんの病気の姿を見るのが辛くて、会いに行けなかったんだって。
 おばあちゃん。お父さんもお母さんも僕も皆おばあちゃんが大好きだよ!一杯一杯思い出をありがとう。ずっと 忘れないからね。

 さて、この作品を読んで皆さんは、どういう風に思いましたか。私から一つ質問があります。この作品を聞いて、一番心の優しい人は誰だと思いますか、というのが質問の内容です。
 おばあちゃんでしょうか、僕でしょうか、お父さんでしょうか、お母さんでしょうか、それとも老人ホームのお姉さんでしょうか。
 私は、この作品を読んで一番心の優しい人は、この話をしっかり聞いてくれた皆さん方だと思います。
 修了式にも言いましたが、今年度は「心のエネルギー」で一杯になる日本であり、東京都であり、八王子市であり、中山中でありたいと思います。一緒に作っていきましょう。
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祝休日
9/17 敬老の日
2年
9/13 2年移動教室
9/14 2年移動教室
3年
9/19 3年修学旅行