第2学期始業式校長講話(概要)
「弱い者いじめ」という言葉があります。これは、いじめが通常、弱い者に対して行われるという意味に使われる言葉ですが、私は、もう一つの意味があると思っています。
小学校4年のときに私は大阪から奈良の小学校へ転校しました。転校した次の日、生意気だということで一人の男の子が2人の友達を引き連れ、学校の帰り道の冬の田んぼの中で殴る蹴るの暴行を受けました。5年生のある日、今度は私が2人の男の子を見張りに立たせ、転校したばかりの男の子に殴る蹴るの暴行を加えました。6年生のとき、今で言う登校班の班長や子ども会の会長を選ぶとき、見張りの同級生たちは私に投票しましたが、他の4・5年生は優しい別の同級生を選びました。そのとき私は初めて気が付きました。弱い者をいじめた私は強い者ではなく、力で抑え込んでいただけで、その力には限りが在ること、そして本当に強い者がやるべきことは弱い者を守ることだということを知りました。 中学校3年間、私がやり抜いたことは転校生へ最初に声を掛けることでした。転校生へ勉強の進み具合を教えてあげたり、一緒に帰ったり遊んだりと、まず最初に行動を共にするようにしていました。もちろん他の気の合った別の友達と親しくなる子もいましたが、小学校の自分のようになってしまう子は一人もいませんでした。 いじめだろうが、喧嘩だろうが、ちょっかいだろうが、悪ふざけだろうが、無視だろうが、相手の心に苦痛を与える限り、それは間違いなくいじめです。かつて、いじめられたことが合っても、今いじめていたり、周りで見ている人も全て、いじめの加害者です。あえて強く言ったのは加害者になりたくなければ、いじめをしないことと大人に伝えることだということを知ってほしいからです。いじめを受けている生徒と見ている生徒は必ず私が守ります。大人には知恵があります。本校では生活指導主任の荒川先生を中心に全ての先生が立ち上がります。 私の本音は今の3年生が1年だったときに話したことがありますが、2度と生徒を失いたくないということです。ぜひ協力してください。お願いします。 |
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