学校HP「コロナウィルス関連」に随時情報を掲載します。

あいさつ運動

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4月10日(火)から、学区域の小学校とともに、青少対の皆様方の協力を得て、あいさつ運動を始めました。昨日入学したばかりの1年生も、上級生の元気なあいさつに迎えられました。いつもあいさつのできる学校・地域を目指して、続けていきたいと思います。

入学式校長式辞(概要)

 遅かった春も桜の満開とともに、ようやく本校を訪れてくれました。
 本日ここに八王子市立中山中学校、平成24年度 第33回入学式を行いましたところ、多数のご来賓のご出席を賜りましたことを、高い所からではございますが、厚く御礼申し上げます。
 ただ今、担任から呼名のありました者は112名でございます。112名の生徒に対し、私ども教職員は全力を傾けて指導していく所存でございます。どうかご来賓の皆様におかれましても、この新入生に対し、限りないご声援とご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
 また本日は新入生の保護者の皆様にも多数ご出席を賜り、ありがとうございました。本校に入学されるまでの保護者としての様々なご苦労をお察し申し上げます。小学校同様、この中山中学校へのご支援・ご協力を賜りますよう、お願いいたします。
 さて最後になってしまいましたが、新入生の皆さん、本当におめでとうございます。
 今から70年近く前、日本は戦争に負け、一面、焼け野が原になり、住む家も食べる物も着る物も無いと言う時代がありました。そんな大変だった、この国が世界第2位の経済大国と呼ばれるようになったのは私が13歳、皆さんと同じ中学1年のときでした。
 日本がわずか20年程度の間に、あっと言う間に世界第2位へ登り詰めたのは日本人が働き蜂のように勤勉だったからだと言われていますが、もう一つ大事な理由として、政府の保護がありました。外国商品の輸入制限や高い関税、国内産業への補助金など、国が外国の様々な攻撃から守るために、いろんな手立てを打ってきたからだと言われています。それと同時に、品質向上のための規格という細かい規制により、アメリカやヨーロッパの国々と戦える力が身についてきたとも言えます。
 ところで私が皆さんと同じ歳の頃、「もう子どもじゃないのだから、もっと好きなようにさせて欲しい。」と思っていた時期がありました。でも周りの大人たちは私に「まだ大人じゃないのだから。」と言うばかりでした。さらに「〜をしてはいけない。」「〜しなさい。」というのが必ず付け加わっていました。「何で大人は、こんなにうるさいのだろう。」と何回も思ったことがあります。でも、そんなとき中学校の社会科の授業で「自由貿易と保護貿易」の話しを聞いて始めて、その理由が分かりました。本当に自由な生き方が出来るようになるまでは、勤勉な、この国のように外からの力に負けないよう中身を濃くしていく必要があること、そして外の人と自分ひとりでも戦えるように、スポーツと同様、いろいろな規則を利用して保護してもらいながら自分の力を高めていく必要があることを知りました。
 皆さんの周りには、この国が大きくなったときのように、皆さんを保護し大きく育ててくれている方々がいます。名前のとおり保護者の方、地域の方、そして本校の教職員です。今日から本校の教職員は保護者の方や地域の方と一緒に、皆さん方へ理解してほしいことや乗り越えてほしいことを、はっきり示します。学校生活だけでなく、世の中の当たり前のことは当然のこととして、しっかり要求します。温かさの中にも厳しさのある愛情をもって指導や支援をします。
 新入生の皆さんは、この学校で保護者の方や地域の方、教職員から言われなくても、自分の判断で行動し、その結果について責任のとれる「自立」を目指してください。わがままで身勝手な「自由」ではなく、大人にも真似の出来ない大きな「自立」する力を身に付けるのが中学校の3年間です。ぜひ一緒に頑張りましょう。
 以上をもちまして、私の式辞に代えさせていただきます。
平成24年4月9日
                             八王子市立中山中学校
                              校長  星野 純一郎

第1学期始業式校長講話(概要)

 修了式の日、私は被災地の中学校から届いたお手紙の内容と東京駅伝での本校生徒の力走、高嶺小学校の児童の夢や希望の話をした中で、皆さん方が2年生・3年生になっても、被災地へのメッセージで見せた「心のエネルギー」を、これからもずっと見せ続けて欲しいというお願いをしました。
 今日は皆さん方に「心のエネルギー」が、どれだけ一杯になったかを調べたいので、まずは本の朗読からスタートします。作者は望月ノワさんで「おばあちゃんからのおくりもの」という題です。

 おばあちゃんが老人ホームへ入った。最近、色々なことを忘れちゃうからだ。
家族のことや、時間や、自分の家も 分からなくなって、時々ふらっと出かけては、道に迷っちゃう。
 台所の火を点けたまま、消すのを忘れてしまって、火事になりそうなこともあった。
でも、僕はおばあちゃんが好きだ。おばあちゃんは、とても物知りで優しくて、毎年ぼくにマフラーを編んでくれた。学校へ持って行く雑巾も僕の名前を入れて縫ってくれた。お父さんも小さいころ、おばあちゃんに縫ってもらったんだって。
 そして、僕を叱った後には、なぜだかいつも、僕より先に涙を流すんだ。
 だから僕は、おばあちゃんが老人ホームに入るのは反対で、ずっと一緒に住みたかったけれど僕の家は、お父さんもお母さんも仕事をしているし、お母さんはおなかに赤ちゃんもいて、僕も学校があるから、話し合ってそう 決めたんだ。
 おばあちゃんが入った老人ホームは、ぼくの学校の近くにあったから、僕はなるべく学校が終わると、老人ホームへ寄って帰った。
 おばあちゃんは僕に会うたびに、まるで初めて会うお客さんを迎えるように「初めまして」って言った。だけど、おばあちゃんに会いに行けば行くほど、だんだん僕が来るのを楽しみにしてくれるようになった。
 おばあちゃんの老人ホームでの生活はとても楽しそうで、僕も一緒に歌を歌ったり、おやつを食べたりした。
 でも、おばあちゃんはいつまで経っても、僕がおばあちゃんの孫だってことを思い出せなかった。
「お母さん。お母さんも年をとったら、僕やお父さんのこと、分からなくなっちゃうの?」ぼくが 聞くと、
「おばあちゃんは病気だからねぇ・・・。」と、お母さんは言った。
「お父さん、お父さん。今度一緒におばあちゃんの所へ行こうよ。」僕が言っても、
「行っても父さんのこと、わからないだろうしなぁ・・・。」と、お父さんは おばあちゃんに会いに行かなかった。
 ある日、いつものように僕が老人ホームへ行くと、おばあちゃんは風邪をひいてベッドで寝ていた。
 僕はおばあちゃんのしわしわの手を握った。すると、おばあちゃんは突然ぱっと大きく目を開いて「良かった、お帰り。」と言い安心したように、また目を閉じた。そして次の日の朝、おばあちゃんは病院へ移り、一週間後にそっと息を引き取った。
 おばあちゃんのお葬式の日、老人ホームのお姉さんが来て、僕に紙袋をくれた。「これ、あなたにだと思うの」何だろう?紙袋の中を見て僕は思わず、「あっ」と、声を上げた。そして、「お父さん!お父さん!これ見て!」僕は慌てて紙袋をお父さんに渡した。
「何だい?」紙袋を開けたお父さんの顔が急にしわくちゃになり、目から涙が どんどん溢れ出した。中に入っていたのは、お父さんの名前が刺繍された、ジグザグな縫い目の雑巾だった。おばあちゃんは、お父さんの小さい頃にそっくりな僕を、お父さんだと思って雑巾を縫っていたんだ。
 お父さんは僕を、ぎゅっと抱き締めて泣いた。「お父さんの代わりに親孝行してくれてありがとう」
 後でお母さんが話してくれた。お父さんは大好きなおばあちゃんの病気の姿を見るのが辛くて、会いに行けなかったんだって。
 おばあちゃん。お父さんもお母さんも僕も皆おばあちゃんが大好きだよ!一杯一杯思い出をありがとう。ずっと 忘れないからね。

 さて、この作品を読んで皆さんは、どういう風に思いましたか。私から一つ質問があります。この作品を聞いて、一番心の優しい人は誰だと思いますか、というのが質問の内容です。
 おばあちゃんでしょうか、僕でしょうか、お父さんでしょうか、お母さんでしょうか、それとも老人ホームのお姉さんでしょうか。
 私は、この作品を読んで一番心の優しい人は、この話をしっかり聞いてくれた皆さん方だと思います。
 修了式にも言いましたが、今年度は「心のエネルギー」で一杯になる日本であり、東京都であり、八王子市であり、中山中でありたいと思います。一緒に作っていきましょう。
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