学校HP「コロナウィルス関連」に随時情報を掲載します。

第3学期始業式校長講話(概要)

 皆さんは中央区銀座にある「三愛ドリームセンター」を、ご存知でしょうか。私はもともと西の人間ですから、直接、見たのは大人になってからですが、小さい頃からニュースの街頭インタビューの場所と言えば、この三愛ビルの前で良く行われていました。このビルは「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の三愛主義をモットーに設立された三愛商事が食料品店を開業するため、土地を買収しようとした時、ある地権者の年配の方が大雪の中、断ろうと思っていたところ、事務員が着物の裾の雪を払ってくれただけでなく、濡れた足元を見て自分の温かいスリッパを脱いで履かせ、抱きかかえるように2階の社長室まで案内したことに感激し、こういう事務員のいる会社ならとタダ同然で譲ってもらったというエピソードが今も残っています。また、この会社は「お客を動かさず、建物を回して商品の方を動かしてはどうか」との発想で建てられた円柱型ビルとしても有名です。
 今日は、この会社をはじめた市村清さんという方の27歳の頃のお話しをします。高校も大学も中退し、最初に入った銀行もつぶれてしまった市村さんは富国徴兵保険(現・富国生命保険)のセールスマンとして、熊本へ単身赴任で再出発しました。今でこそ生命保険は当たり前の世の中ですが、85年前は「押し売りと保険屋入るべからず」という時代でしたので、3ヶ月、4ヶ月たっても契約が取れません。暮れも押し詰まったある日、奥さんがやって来た日に市村さんは「自転車で朝8時から夜10時まで走り回ったが、今日も駄目だった。俺は今日まで人間、誰だって一生懸命やれば、何でも出来ると思っていた。その人のことを誠心誠意、本気で考えて保険を勧めてきたが、一つも契約をとることが出来なかった。食っては、いけない。東京へ戻ろう。」と言ったそうです。それまで黙っていた奥さんは「今、逃げて帰ったら、お父さん、あなたの心に一生シミが付いたままですよ。大晦日まで、まだ1週間ありますよ。それだけ頑張っても、うまくいかなかったら東京へ帰りましょう。」と励ましてくれたそうです。
 大晦日の夜10時まではやってみようと思い直し、奥さんに誓った、その翌日、これまでに8回、断られた女学校の校長先生の家へ行ったそうです。でも「また断られるのではないか」と思うと、呼び鈴の前で手がピタッと止まってしまいます。「もはや、これまで」とすごすごと門のところへ戻ろうとすると、奥さんの顔が浮かび、いやこんなことではダメだと勇気をふるって呼び鈴を押すと、校長先生が出て来て「いやあ、お待ちしていましたよ。あなたは今日で9度目だけれど、これまで毎回、必ず手紙をくれましたよね。最初はすぐに捨てていたのですが、5回目辺りから良く見ると、字が丁寧で誠意に溢れている。7度目からは、こんな紳士的で立派な勧誘員は見たことが無い。だから今日こそ入りますよ。」と言われたそうです。この校長先生は市村さんの第1号の契約者になっただけではなく、紹介状まで書いてくれて一気に三か月分の収入が舞い込んできました。そして翌年には全国一の賞と社長から記念の軸物を送られる成績さえ上げられるようになり、専務から、佐賀県の総監督になるよう言われたそうです。「最後の最後まで粘りぬくこと。最後のひと押しが成否を決める。」ことを、成功するかどうかは実は紙一重の差しかないことを市村さんは、そこで悟ったそうです。その後、市村さんは東急電鉄社長の五島昇さんやソニーの盛田昭夫さん、評論家の大宅壮一、作家の邱永漢、僧侶の今東光、将棋の升田幸三等の文化人を育てたことから、「市村学校」とも呼ばれています。
 私は年末に「夢や希望、進路を実現して欲しい」と言いました。そして夢は見るものではなく、叶えるものだとも言いました。今日は、その夢や希望、進路を叶える方法について、お話ししたつもりです。3年生の皆さん、もう一押ししてみましょう。2年生1年生の皆さん、最後の最後まで粘り抜いて3年生のような成果を来年、再来年に出してみてください。夢はすぐ、そこにあります。自分の力で掴み取ってください。

中山小も応援してくれた、演劇部都大会!

 6日(金曜日)南大沢文化会館で第62回東京都中学校連合演劇発表会第2日目が行われました。各地区より推薦された27校が12月27日から1月9日までの4日間に渡り、熱のこもった演技を繰り広げています。
 私も上演開始1時間前には会場へ着いていましたが、まず驚いたのは演劇部の人たちの余裕の笑顔でした。6年前に都立大学付属高校副校長だった時、南大沢文化会館の2/3ぐらいのホールで都立高校全課程の教務主任300人を前に講演をしたことがありますが、当日は午後3時の出番までに何回トイレに行ったことか、当時の校長先生に「気持ちは分かるけれど落ち着きが無いなあ。」と注意されたことを思い出しました。このような自分の経験から、これなら大丈夫と思い、いつものとおり明るく元気よく頑張って欲しいとの声掛けをしました。ホールに入ると保護者の方々だけではなく、中山小学校の先生や児童も「どうしても学芸会で見せていただいた演劇の続きが見たい!」と駆けつけてくれました。
 3時5分ごろ、予定どおり幕は上がり始めました。うんうん、店長も店員も落ち着いているぞ、その調子、その調子と私は拳を強く握り締めながら思わず心の中で叫んでいました。アルバイトも前を向いて発声しているし、何よりも「コンビニ強盗」の声が中山小の時よりも出ているのは力強い限りでした。そして事前に私がお願いした、明るく元気良く精一杯、演じてくれたことが、心を熱くしてくれました。幕が下り始めると同時に万雷の拍手が会場を覆いました。
 その興奮もさめやらぬ状況の中で、当日、参加した6校に「優秀賞」が手渡されました。その後、東京都中学校演劇教育研究会副会長の先生から「脚本が素晴らしい。4人の個性が十分に演じ分けられている。明るく元気だが、早口なこともあり、何を言いたいのか分からない。」という講評がありました。確かに中山小学校のときは後ろの席まで響き渡っていた声に、小学生とはまったく違う貫禄のようなものを感じましたが、今回は会場の規模や音響効果が大きく異なっており、「強盗」を除き、声が小さかったようには思いました。逆に小学校のときに見られた「強盗」のモゴモゴさは、見事にゆっくりと、しかも会場にあった声で、ものすごく良く分かりました。閉会後、演劇部の生徒に聞いて分かったことは、私が見ていた以上にあがっていたことに加え、小学校のときにクリアだった店長・店員・アルバイトは同じ調子で声を出していたのに比べ、強盗は会館の規模・効果に合った発声だったことから、逆転していたことが分かりました。
 しかし内容は明確であり、マニュアル型人間の典型とも言える店長が、実は一人ひとりの生き方に時間をかけて深くかかわろうとする、最も人間的な対応のできる人格者であることを私たちに伝えたかったのだと思います。このことは、元はいじめられっ子だった強盗さえも、このハンバーガショップに取り込んでしまったことからも明らかだと思います。私ならば、こんな店長をぜひ本校で雇いたいと思いました。そんな魅力ある店長の「野望」ならば、私は大歓迎です。
 今度はぜひ、この店長に東京都で1番、日本で1番の「野望」を持ってチャレンジして欲しいと思います。
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1/16 心の週間始め