先日、学校から帰宅する途中の駅周辺と電車の中で、目の不自由な方への対応で、対照的な光景を目にしました。
ひとつめは、駅近くのスーパーの前に、あるお母さんが自転車を停めている光景でした。 後ろに小さな子供を乗せたそのお母さんは、歩道の点字ブロックの上に自転車を停め、子供を下ろすと急いでスーパーの中に入っていきました。
私は、その自転車を点字ブロックからずらしておこうかとも思ったのですが、すぐに諦めました。 なぜなら、その辺り一帯の点字ブロックの上には、とても私一人では移動させきれないほど多くの自転車が停められていたからです。
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そのあと電車に乗った私は、あるターミナル駅で、目の不自由な女性が盲導犬と一緒に乗り込んでくる光景を目にしました。 すでに帰宅ラッシュが始まっていて、電車内は混雑していました。 少し離れた場所にいた私は、女性のことも盲導犬のことも 「 大丈夫だろうか 」 と心配でした。
すぐに車内は乗り込んできた乗客でいっぱいになったため、女性も盲導犬も私のいる場所からは見えなくなりました。 私は、ますます心配になりました。
しかし、そんな私の耳に、女性の声が聞こえてきたのです。
女性は少し間をおいて3回、はっきりと、嬉しそうに 「 ありがとうございます 」 と言っていました。 そして、その声と同時に、女性と盲導犬のいる方向で、乗客の何人かが動いているのが確認できました。
これは私の想像ですが、たぶん女性の周りに、席を譲ってあげようとしたり、盲導犬の居場所を確保してあげようと協力したりした人たちが、何人もいたのだと思います。
私は、ホッとすると同時に心が温かくなりました。
点字ブロックの上に無造作に自転車を停めてしまったお母さんと、目の不自由な女性と盲導犬を気遣ってあげた人たち … 。
皆さんは、両者を比較してどう思いますか? この両者を単純に 「 無神経な人 」 と 「 優しい人 」 とに二分しますか?
確かに、そう思われても仕方のない部分はあると思います。
しかし、その一方で私は、あのお母さんも含め、点字ブロックの上に自転車を停めていた人たちの中にだって、「 優しい人 」 もいたと信じています。 問題なのは、それなのになぜ、点字ブロックの上に自転車を停めてしまったかです。
それは、自分の目の前に、目の不自由な方がいなかったからだと思います。
「 白い杖 ( つえ )」 と書いて 「 白杖 = はくじょう 」 と読みます。 目の不自由な方が使用する杖のことです。 その白杖を使いながら、点字ブロックを頼りに歩いている人を見かけたら、わざわざその点字ブロックの上に障害物を置く人などいないはずです。 いたとしたら、それは人間の皮を被った、人間以外の何かでしょう。
目の前に困っている人がいたら、手をさしのべてあげられる人 … 。 これは 「 優しい人 」 です。
目の前に困っている人がいなくても、事前に想像力を働かせて、人が困らなくてすむような行動のとれる人 … 。 これは 「 本当に優しい人 」 です。
私は、皆さんのことを 「 優しい人 」 だと思っています。
そして、その皆さんの中から、一人でも多くの 「 本当に優しい人 」 が現れてくれることを願っています。