本日は、ご多用中にもかかわらず多くのご来賓の皆様にご臨席を賜りました。
教職員と卒業生を代表して、心より御礼申し上げます。
保護者の皆様におかれては、お子さんのご卒業、誠におめでとうございます。
実は今日、私の娘も都内の公立中学校で卒業式を迎えております。
つまり、私もこの1年間、皆様と同じように受験生の親だったのです。
日頃 「 教育のプロ 」 を自負している身でありますが、いざ我が子のこととなるとそんな自負心など何の助けにもならず、学校の先生を頼らざるを得ない現実が待っていました。
自分がそのような立場になり、私は考えました。
果たして私たち別所中学校の教員は、保護者の皆様にとって全幅の信頼に足る存在であったかどうかと … 。
改めてそう考えると、もしかしたら時に不安を抱かせたり、時にご心配をおかけしたりしたことがあったのではないかと思い当たります。
もし、そうであったなら、それはすべて私の責任です。
校長として、心よりお詫び申し上げます。
ただ、棟方学年主任以下本校の教職員は、時に寝食を忘れてお子さんの指導に全力を注いでまいりましたことだけは、ご理解いただきたくお願い申し上げます。
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さて、3年生の皆さん。
一昨日の予行の際にもお話ししましたが、今日皆さんは、わが国が未曾有の大災害に見舞われている真っ只中で、卒業式を迎えました。
実は、私は10日前、合唱コンクールで皆さんの歌う 「 Jupiter ( ジュピター )」 を聞き届けてから、この式辞で何を語るべきか構想を練り始めました。
しかし、あの日、多くの人の命が、故郷が、思い出が、一瞬のうちに奪い去られてしまったその現実を目の当たりにした時、私は式辞で述べるべきあらゆる言葉を失いました。
あの、あまりにも巨大で、あまりにも非情な天災は、私が皆さんに語ろうとつむぎ始めた言葉までも、瞬時にして瓦礫と化してしまうほどの破壊力を持っていたのです。
ですから、これから私が述べようとしているお話しは、過去を振り返って皆さんとの美しい思い出に浸るのではなく、未来に目を向けて皆さんの前途を祝すものでもありません。
それは、校長の 「 式辞 」 としては、甚だふさわしくないでしょう。
しかし、これから私は、過去でもなく、未来でもなく、今私の目の前にいる皆さんに、今私が一番伝えたいことをお話しします。
3年生だけでなく、1・2年生の皆さんも聞いてください。
ちょうど1週間前の平成23年3月11日。
私たちは、この日を決して忘れてはいけません。
「 東北・関東大震災 」 とも 「 東日本大地震 」 とも称される、人類が未だかつて経験したことのない巨大地震が、わが国を襲った日です。
私たちは、身をもってその揺れの恐ろしさを体感しただけでなく、さらにすさまじい大津波の様子や、原子力発電所の火災・放射能漏れの様子などを、今なおリアルタイムに見続けています。
それだけではありません。
今、この式場には、親御さんが被災地に単身赴任している生徒がいます。
被災地にあるご実家が、津波の被害を受けた先生がいます。
ごく近い身内の方が、被災地で未だに安否不明という先生もいます。
先日行った調査では、被災地に親類縁者がいると答えた人は、全校生徒の約15%に上りました。
つまり、私も皆さんも 「 歴史の生き証人 」 なのです。
国家的な大きな危機のことを、「 国 」 に 「 災難 」 の 「 難 」 と書いて、「 国難 」 といいます。 今わが国は、まさに 「 国難 」 に直面しています。
その国難を乗り越えるために、今、私たちに求められているのは、一人ひとりが、それぞれの立場で何ができるかを考え、それを実行に移すことなのです。
そして、「 歴史の生き証人 」 である私たちは、自分たちがこの国難にどう立ち向かい、あの惨状をどうやって復興させたかを、後世に語り継がなければなりません。
そのとき、それを 「 テレビのこちら側で、自分の身の安全を確保していただけの傍観者 」 として語り継ぐのか、それとも 「 自分にできることを考え、どんなに小さなことでも復興にかかわった当事者 」 として語り継ぐのか … 。
皆さんは当然、後者であるべき存在です。
今かかっているこの曲は、「 Jupiter 」 です。
皆さんが、パルテノン多摩の大ホールにおいて、世界的指揮者である松下 耕さんの指揮の下、室内合唱団 VOX GAUDIOSA の皆さんと一緒に合唱した曲です。 この曲は、平成16年に発生した新潟県中越地震で被災した方たちにとって、復興のシンボルとも言える曲でした。
災害から立ち上がろうとする人々に勇気を与えたこの曲を、皆さんが心を一つにして歌い、聴く者に深い感動を与えたということ … 。
私はそこに、何か運命的なものを感じるのです。
もし、皆さんたち若い世代が心を一つにして、この未曾有の国難を乗り越えることができたなら、それは単に大災害からの復興だけでなく、わが国をもう一度再生するきっかけにもなるような気がしています。
日本は、戦後豊かな国になる一方で、どこかで進むべき道を間違ってしまったのではないかと思えるようなことが、たくさんあります。
価値観の多様化とか、自由・個性の尊重といった言葉に隠れて、結局は自分のことしか考えない人が増えたように思えるのです。
この国難を乗り越えるには、多くの時間を要することでしょう。
しかし、皆さんが心を一つにすることでいつかそれを成し遂げたなら、政治や経済、教育、福祉など、あらゆる分野でこの国を生まれ変わらせてください。
皆さんなら、きっとできるはずです。
最後になりますが、せっかくの皆さんの門出の日に、校長として 「 お祝いの言葉 」 よりも 「 お願いの言葉 」 を優先させたことを、許してください。
私は、皆さんにとって、あまり良い校長ではなかったかもしれません。 普段から、言葉遣いや身だしなみ、姿勢のことなど、大変口うるさい校長でした。
それだけでなく、最後の最後に、皆さんによい思い出をつくってあげることができませんでした。 地震のためとはいえ、皆さんが楽しみにしていた学年発表会も三送会も、やらせてあげられませんでした。
ただ、それでも、これだけは信じてください。
「 私は、皆さんのことが大好きでした。」
口うるさく注意したり、時には大きな声で叱ったりすることがあっても、皆さんのことをイヤだと思ったことは一度もありません。 それどころか、皆さんの笑顔、元気な挨拶、明るく屈託のない笑い声に、私は何度も勇気づけられ、つま先を前に向ける力をもらうことができました。
ですから、やはり最後は 「 お願い 」 でも 「 お詫び 」 でもなく、私の一番大好きな言葉でお別れします。
3年前、皆さんに出逢えて本当に良かったです。
私に出逢ってくれて 「ありがとうございました。」
私は、この別所中学校で、皆さんの校長でいられたから、また明日からもつま先を前に向けて、やっていけそうです。
平成23年3月18日
八王子市立別所中学校長 武田幸雄