「いのちの日」朝会 命あるかぎり生きる3145、何の数字だと思いますか?この数字は、全国で病気や体の弱さのために病院内に設けた院内学級や特別支援学級に通っている小中学生の数です。幼い時から病気の治療等のために入退院を繰り返したり、中には病院から全く出られずに過ごしていたりする子供もいます。今日皆さんに紹介するのは、宮越由貴奈さんという女の子です。由貴奈さんは、5歳の時に小児がんを発症し、以来、長野県安曇野市豊科にある県立こども病院に長く入院していました。この病院の中にも「院内学級」と呼ばれる教室があり、小学校4年生だった由貴奈さんは、理科で電池の勉強をしたときに「命」という詩を書きました。 命 宮越 由貴奈 命はとても大切だ 人間が生きていくための電池みたいだ でも電池はいつか切れる 命もいつかはなくなる 電池はすぐにとりかえられるけど 命はそう簡単にはとりかえられない 何年も何年も 月日がたってやっと 神様からあたえられるものだ 命がないと人間は生きられない でも 「命なんかいらない。」 と言って 命をむだにする人もいる まだたくさん命がつかえるのに そんな人を見ると悲しくなる 命は休むことなく働いているのに だから 私は命が疲れたと言うまで せいいっぱい生きよう 由貴奈さんは、この詩を学級の先生にとても褒められて、嬉しくてたくさんの人に見せていたそうです。病院では、赤ちゃんのオムツを取り替えたり、泣いている友達をなぐさめたり、いつもまわりを明るくしようと振舞っていたそうです。自分が悲しい時は、人には涙を見せないでそっと一人で過ごしていたそうです。「いのちは大切」と言葉で言うのは簡単ですが、入院や手術で苦しいことのたくさんある日々の中で、「せいいっぱい生きよう」と力強く語る由貴奈さんの詩にとても励まされます。最後に、由貴奈さんのお母さんのコメントを紹介します。 『5歳のとき、神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)と診断された由貴奈は、11歳で亡くなりました。由貴奈は、5年半もの間、入退院を繰り返し、何度にもわたる手術や苦しい治療を受けました。この詩を書いた頃、テレビで流れるニュースと言えば、いじめだとか自殺だとかが多く、同じ頃、病院では,一緒に入院していた友達が何人か亡くなりました。生きたくても生きられない友達がいるのに自殺だなんて・・・そんな感じでした。それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。由貴奈がなぜこの詩を書いたのか、本当の理由は分かりません。自分の死を覚悟していたのかもしれませんが、怖くて聞けませんでした。この詩を書いた4か月後に亡くなりましたが、これに書いたとおり充分精一杯生きました。書くことがそんなに得意でない娘のこの「命」という詩は11年という短いけれど凝縮した人生の中で得た勉強の成果ではないかと思います。』 今日のお話で考えたこと、教室で是非振り返ってみてください。「せいいっぱい生きる」ということについて、考えてみてください。 |