おはようございます。
ちょうど1週間前、先週の月曜日は、「 成人の日 」 でした。
もしかしたら2・3年生の中には覚えている人もいるかもしれませんが、私は毎年、この 「 成人の日 」 と 「 4月1日 」 だけは、新聞の紙面を読む順番が他の日と違います。
サントリーという洋酒メーカーの広告が掲載されている紙面を探し、そこから読み始めるのです。
その広告は、「 成人の日 」 にはその年に成人式を迎えてお酒の飲めるようになった新成人に向けて、「 4月1日 」 にはその日から社会へと巣立った新社会人に向けて、どちらも作家の 伊集院 静さんがメッセージを投げかけています。
先週の 「 成人の日 」 に掲載された広告を、皆さんに紹介します。
新成人にあてたメッセージですが、皆さんにも通じるところがあると思いますし、特に3年生の皆さんにとっては5年後、場合によって成人年齢が18歳に引き下げられれば3年後のことですので、ぜひ自分に向けられたメッセージだと思って読んでください。
( 広告全文は、おりたたみ記事の最後に載せておきます。)
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さて、皆さん。
成人・大人になるとは、どういうことなのでしょうか。
あるいはまた、大人とは、どういう人を指すのでしょうか。
この数年来、毎年のように 「 荒れる成人式 」 の様子がテレビなどで報道されています。 式典会場で私語が収まらない、平気で携帯電話を使用する、そのあげく、祝辞を述べる人に向かってヤジを飛ばしたり、酒に酔って式典そのものを妨害したりする …。
そのような行為は、大人のする行為なのでしょうか?
ただ二十歳になったというだけで、そういう行為をする人たちを大人と呼ぶことができるのでしょうか?
伊集院さんも 「 それは やはりおかしいと思う 」 と述べています。
では、改めて皆さんに問います。 大人とは、どういう人なのだと思いますか?
もちろん、答はひとつとは限りません。
自分の考えをしっかり持っている人、 人に迷惑をかけたり甘えたりしない人、 何か社会のために役立っている人、 精神的にも経済的にも独立している人 …等々、さまざまな答があっていいと思います。
大切なことは、自分なりに 「 これが、大人だ 」 という大人像をもって、そこに自分を近づけていくことなのです。
そう考えると、大人になるための準備と訓練は、中学生の今からでもできるということに気がつくはずです。
ほうっておいても、いずれ君たちは二十歳になります。 そして、等しく 「 成人の日 」 を迎えます。
その日を、「 すでに成熟した大人として迎えなさい 」 とは言いません。 しかし、最低限大人の仲間入りをしたと、胸を張って言えるだけの二十歳になっておく必要はあると思います。
そのための第一歩を踏み出すために、まず自分なりの大人像、つまり 「 大人とは、どんな人を指すのか 」 について、一人ひとりが考えてみてください。
今日のお話は、以上です。
【 新聞広告・全文 】
新成人おめでとう。
今日から君たちは大人の仲間入りだ。
でも大人って二十歳になれば誰でもなってしまうものだろうか。
それはやはりおかしいと私は思う。 しかし無事に二十年生きてきて、今日の空を見ているだけで素晴らしいことだ。
さまざまな二十歳があって世の中だ。
パパは娘に静かに言った。
「 大人の自分を大切に生きて欲しい。 パパがママに出逢った日のように、まぶしくて、綺麗な日本語を話す女性になってくれよ 」
オヤジはセガレに言って聞かせた。
「 自分のことだけで精一杯の大人になるんじゃないぞ。 いい友だちを作り、信じられるものを見つけるんだ 」
まぶしい自分になることも、美しい日本語が話せるようになるまでも、良き友を得ることも、信念を発見することも、一年、二年じゃできやしない。 いいものは時間がかかる。 見てくれで人を判断するな。 金で価値判断をするな。 すぐに手に入るものは砂のようにこぼれる。 本物を手にするのは苦しいぞ。
パパと娘は、オヤジとセガレは、この日、初めて乾杯をした。
この日を待っていたんだ。 なんだか美味いな。
「 酒は品良く飲みなさい。 人も、酒も品格だ 」
二十歳の君たちに乾杯。
伊集院 静