1月3日(日)
昨日と今日の二日間にわたり、第86回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が行われていました。
今年も、昨年に続いて東洋大学が二連覇を成し遂げましたが、出場20チームのすべての選手が感動的な走りを見せてくれました。
お正月休みといえども、私はこの箱根駅伝の行われる2日と3日は早起きをして、昼過ぎまでテレビ中継を見てしまいます。
毎年、選手と一緒に大手町をスタートして芦ノ湖まで行き、翌日に同じコースを帰ってくる一泊二日の旅行をしているような気分です。
年を追うごとに注目度の高まっている大会ですが、私自身、各大学の夏合宿の様子をリサーチしたり、本戦だけでなく予選会の中継を見たり、専門誌で出場校のデータを集めたりと、この数年間でかなりマニアックになってきています。
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箱根駅伝は、往復217.9kmを10人の選手が走ります。
一人平均22km近くを走るわけです。
自分がマラソンに挑戦するようになり、20km以上走ることの大変さを身をもって知ったことも、それまで以上に選手に感情移入するようになった要因のひとつだと思います。
また、これは見る人すべてに共通することだと思うのですが、どんなに苦しくともただひたすら 「 走る 」 という単純な動きを繰り返す選手の姿は、それだけで感動を与えてくれます。
では、そんな選手の脚を前に進ませているものは、いったい何なのでしょうか。
もちろん、「 自分のため 」 というのは選手全員に共通していることだと思います。 しかし、多分それだけなら、脱水症状を起こしてふらふらになったり、脚がけいれんを起こしてスピードが一気に落ちてしまったりしたら、その瞬間走ることをやめているはずです。
それでもなお彼らが走り続けるのは、きっと背負っているものが 「 自分 」 だけではないからなのです。
選手が背負っている 「 自分 」 以外の何か … 。
それこそが、団体競技である駅伝の象徴 「 襷 ( たすき )」 です。
そして、この襷を背負っているからこそ、彼らはどんなに苦しくとも 「 少しでも前に 」 「 少しでも速く 」 と脚を前に進ませていけるのだと思います。
自分のもとに懸命に走ってきてくれた仲間、自分のことを信じて待ち続けてくれている仲間、選手にはなれなかったが長く辛い練習を共にしてきた仲間 … 。
そうした仲間への思いが、一本の襷に込められているのではないでしょうか。
体力・気力の限界に達している選手が、襷をぎゅっと握りしめて走り続ける姿を見ていると、そう思わずにはいられません。
自分のためだけなら辛くてやめてしまうこと、苦しくて耐えられないことでも、「 自分以外の誰かのため 」 という思いがあれば、続けられることもあります。
そして、それは駅伝に限ったことではありません。
生徒の皆さん。
皆さんの近くにも、きっといるはずです。
「 自分以外の誰かのために 」 という思いを背負って、長い長い道のりを黙々と走り続けている人が。
まずはそんな人の存在に気づき、感謝し、いつか皆さんも熱い思いのこもった目に見えない襷を背負い、走り続けられるような人になってください。
校長 武田幸雄