このところ、小学生や中学生、高校生の自殺が新聞やTVニュースなどで頻繁に報じられています。 多くの場合、その背景には 「 いじめ 」 があるようです。 先日、1年生が学活で使用していた資料にもいくつかの報道が掲載されていましたが、実に悲しいことです。
また、統計によると昨年1年間の自殺者は32,845人、実に12年連続で3万人を超えているそうです。
今日は、特に原因を 「 いじめ 」 に限定しませんが、この 「 自ら命を絶つ 」 ということについて私の考えをお話しさせてください。
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私は、「 すべての命は、ちゃんと理由があってこの世に誕生してきた 」 と思っています。 そして、「 生きる 」 ということは、自分が生まれてきた理由を探し当てる 「 旅 」 のようなものだと思っています。
命の中には、さまざまな理由で、この世に誕生することなくその終わりを迎えるものもあります。 しかし、ここにいる皆さんは、こうして現に生まれてきています。 それは、皆さんには生まれなければならない理由があったからなのです。
男とか女とか、背が高いとか低いとか、肌の色が白いとか黒いとか、勉強ができるとかできないとか、そんなこととは一切関係なく、すべての命に生まれなければならない理由があったのです。
もちろん、この私にも生まれてきた理由があります。 しかし、その理由が何であるのか、この歳になっても未だにわかっていません。 自分が生まれてきた理由を見つける旅は、長い道のりを、時間をかけて歩いていかなければならないのです。 それが、 「 生きる 」 ということです。
ですから、時には旅の途中で歩くことに疲れたり、苦しくなったり、迷ったりすることがあるのは当たり前なのです。
そんなときは、どうか無理をせず休んでください。 立ち止まって後ろを振り返ったり、疲れた体が癒えるまでうずくまったりしていてもいいのです。 しかし、つま先だけは前に向けておいてください。
つま先さえ前に向けておけば、疲れが癒えたとき、また歩き出そうという気になります。 つま先さえ前に向けておけば、再び歩き出したとき進むべき方向は決して間違えないのです。
「 つま先は、前に 」
… どうか、何があってもこの言葉だけは忘れないでいてください。
よくTVドラマなどで 「 自分にはいつでも死ねる覚悟がある 」 といったセリフを耳にすることがあります。 ちょっと格好良く聞こえるセリフです。 しかし、理由を持って生まれてきた私たちには 「 何があっても生きる覚悟 」 こそ必要なのだと思います。 そして、その覚悟の表れとして、常につま先だけは前に向けておくべきなのです。
もしも、万が一、今歩くことをやめようとしている人、生まれてきた理由を見つける旅をやめようとしている人がいたら、どうか先生たちに相談してください。 私たち教員は、必ずあなたの力になります。
もし、その理由が 「 いじめ 」 であれば、私たち教員は全力であなたのことを守ります。 そして、いじめをしている人を、絶対に許しません。
ですから、どうか 「 いじめ 」 などという卑劣で、最低・最悪の行為をするくだらない人間のために、自分の生まれてきた理由を探し当てる旅を自らの手でやめてしまうということだけは、絶対にしないでください。