おはようございます。
現在の福島県・西部地方は、江戸時代までは 「 会津藩 」 という藩が治めていました。
白虎隊や若松城で知られるその会津藩では、男の子は10歳になると日新館という学校に入ることになっていました。 そして、学校に入る前の6〜9歳の小さな男の子たちは、近所の子供たち同士で 「 什 」( じゅう ) という名称のグループを作らされ、その 「 什 」 の中で武士の心得や集団生活の約束事などを徹底的に学んだそうです。
その中でも有名なのが 「 什の掟 」( じゅうのおきて ) と呼ばれるもので、会津のサムライとして、会津に生きる人間として、絶対に破ってはならない約束が示されています。
ちょっと紹介してみましょう。
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一 年長者の言うことは、きかねばなりませぬ。
二 年長者にお辞儀をせねばなりませぬ。
三 嘘を言ってはなりませぬ。
四 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
五 弱い者をいじめてはなりませぬ。
六 戸外で物を食べてはなりませぬ。
七 戸外で婦人と話をしてはなりませぬ。
そして、この 「 什の掟 」 は、最後を次の一文で締めくくっています。
「 ならぬものは、ならぬものです。」
意味は、わかりますよね? 「 ダメなものは、ダメ 」 ということです。
もちろん、サムライの子供を対象とした掟ですから、そのまま当てはめると現代にはなじまない内容もあるのは事実です。 しかし、私は内容そのものよりも、むしろ最後の 「 ならぬものは、ならぬものです。」 という一文の重さを大切にしたいと思っています。
いちいち理由を説明しなくとも、あるいは、それがルールやマナーとして明記されていなくとも、集団生活を送る以上 「 ダメなものは、ダメ 」 ということはたくさんあります。
それを、自分勝手な理由をこじつけたり、ルールとして書かれていないからといって 「 だから、許される 」 としてしまうことは、少なくとも集団生活においては絶対にやってはいけないことです。
会津藩の 「 什の掟 」 が、最後を 「 ならぬものは、ならぬものです。」 で締めくくっているのは、それが当時のサムライ社会ではいちいち理由など説明することもない、当たり前すぎるほど当たり前のことだったからなのです。
皆さんも、自分の日常生活を振り返ってみてください。
「 人の物を盗む 」 「 公共物を破壊したり汚したりする 」 「 人に乱暴なことをする 」 「 身だしなみや持ち物のルール違反を繰り返す 」 … そんなことをしている人は、いませんか?
「 校長先生はそう言うけど、私はそうは思わない 」 「 ダメだなんて、どこにも書いていないのだから許される 」 … もし、そんなふうに思っている人がいるとしたら、その人は集団生活を営む資格のない人です。
どこかの無人島にでも行って、自分だけのルールの中で生活するしかありません。 それが現実的でないとしたら、どこか社会と隔離された場所で、集団生活を送れる最低限の教育を受ける必要があります。
しかし、私は、そこまでの人はこの別所中にはいないと信じています。
皆さんがつい誘惑に負けそうになったとき、あるいは、善悪の判断がぶれそうになったとき、皆さんの心の中にある良心 ・ 正義の心は、必ず 「 ならぬものは、ならぬものです 」 「 ダメなものは、ダメ 」 という声を発するはずです。
どうか、その声に忠実に従える人であってください。