本日は、ご多用中にもかかわらず多数のご来賓の皆様ならびに八王子市教育委員会の代表の方にご臨席を賜りました。 教職員と卒業生を代表して、心より御礼申し上げます。
保護者の皆様におかれましては、お子さまのご卒業、まことにおめでとうございます。
至らないところも多々あったかとは存じますが、本校教職員はこの3年間、全力でお子さまの指導にあたってまいりました。 本校の教育活動に対し、今日まで賜りました皆様のご理解とご協力に、厚く御礼申し上げます。
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さて、3年生の皆さん。
突然ですが、今から5年と半年ほど前の平成16年10月23日。
この日に何があったか覚えている人はいますか?
たぶん、ほとんどの人がピンとこないと思います。
この日、夕方6時になる少し前、新潟県の中越地方を最大震度7の大きな地震が襲いました。 のちに 「 新潟県中越地震 」 と名付けられた大地震です。
家屋の倒壊や土砂崩れなど地震による直接の犠牲者は16名、その後の避難所生活での病気や後遺症による、間接的な犠牲者も含めると、68名の方がこの地震によってお亡くなりになりました。
最大震度7を記録したのは、阪神淡路大震災以来9年ぶりのことでした。
その阪神淡路に比べると、繰り返し発生した余震の多さと大きさが、この新潟中越地震の特徴で、避難所や仮設住宅で生活する人たちを、長期間にわたり心身ともに苦しめ続けました。
そんな被災者の方々を勇気づける応援歌として、震災のあと、新潟のラジオ局を中心に圧倒的なリクエスト数を誇った曲がありました。
絶望の淵から立ち上がろうとする、新潟復興のシンボルとなった曲 … 。
それが、この曲です。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
もう、わかりましたよね。 「 ジュピター 」 です。
この地震の時にあった実話をもとに作られた映画 「 マリと子犬の物語 」 の舞台にもなった旧山古志村、現在の長岡市では、毎年行われる大花火大会が有名です。
そこでは、「 フェニックス 」 = 不死鳥 という名の花火を打ち上げるとき、今なおこの 「 ジュピター 」 がBGMとして使われているそうです。
私はこの半年間で3回、皆さんの歌う合唱曲 「 ジュピター 」 を聴く幸運に恵まれました。
1度目は、昨年の秋、世界的な指揮者であり 「 ジュピター 」 を合唱用に編曲された松下耕さん率いる合唱団・VOX GAUDIOSA とのコラボレーションで。
2度目と3度目は、先週行われた創立20周年記念式典と、そのアンコールにおいてです。
今、私は 「 幸運 」 と言いました。
私にとって、いえ、その場にいたすべての者にとって、皆さんの 「 ジュピター 」 を聴けたことは、まさに幸運でした。
皆さんの合唱を聴いたあと、涙をぬぐう人たちが何人もいました。
わざわざ私のもとに来て 「 生徒の皆さんに、お礼を言っておいてください 」 と言ってくださる保護者の方もいらっしゃいました。
たぶん、保護者か地域の方なのでしょう、インターネットで検索すると、皆さんの 「 ジュピター 」 を絶賛するブログにヒットすることがあります。
20周年記念式典のアンコールでは、下級生全員がスタンディング・オベーションで応えてくれました。
それほどまでに聴く者の心を揺さぶった合唱ですが、しかし、私が真に皆さんを評価したいのは、その結果によってではありません。 私が皆さんを評価したいのは、あの合唱を生み出すに至ったプロセス、つまり、入学以来3年間にわたる日常生活においてなのです。
普段の授業態度、生活態度はだらしなかったが、合唱だけはしっかりしていた … などということはあり得ない話です。 3年生になったから … 合唱団とのコラボがあるから … コンクールがあるから … などという理由による付け焼き刃の取り組みでも、あのような合唱をできるわけがありません。
この3年間、皆さんの学習に臨む姿勢、日頃の生活態度、行事や部活動に打ち込む姿勢 … そのどれをとっても、実に立派でした。
そうした3年間の積み重ねが、皆さんの中にある原石を磨き続け、その集大成として、まさに漆黒の夜空で惑星の放つ光のような合唱 「 ジュピター 」 が生み出されたのです。
これから先、君たちは、さまざまな壁に突き当たることでしょう。
どうしようもないほどの挫折感を味わうことさえ、あるかもしれません。
どうかそんな時は、自分たちの歌った 「 ジュピター 」 を思い出してください。 曲の中に、こんな歌詞があります。
「 夢を失うよりも悲しいことは、自分を信じてあげられないこと 」
夢を持ち、その夢を叶えるために努力しても叶わなかったとき、それは悲しいことに違いありません。 しかし、それよりさらに悲しいことは、夢を持つことさえできなくなること、どうせ駄目に決まっているさと、はじめから夢を持とうともしなくなることなのです。
この曲を歌い、この曲で多くの人に感動と勇気を与えられた君たちなら、わかるはずですよね。
私たちも、学校として困難を乗り越えなければならないとき、じっと何かに耐え忍ぶ勇気を必要としたとき、皆さんの歌った 「 ジュピター 」 を思い出すことにします。 新潟の人々が、この歌に励まされ、震災という苦難から復興を果たしたように … 。
さあ、いよいよお別れの時です。
しかし、「 さようなら 」 は言わないでおきます。
3年間、言葉遣いをうるさく注意し続けてきた校長らしく、最後まで言葉にこだわりたいのです。
夜空にちりばめられた惑星のように、あまたきらめく美しい日本語の中でも、私が最も美しいと信じる言葉でお別れします。
ありがとう。
ありがとう、3年生の皆さん。
別所中の「羅針盤」でいてくれて、ありがとう。
感動を、勇気を、たくさんの思い出を、ありがとう。
私に出逢ってくれて、本当に、ありがとう … 。
平成22年3月19日 八王子市立別所中学校長 武田幸雄