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学問のすすめ vol1

今、中学三年生は面談を行っています。いよいよ自分の進路に向かって真剣に向き合っていかなければなりません。そこで今日は高校で校長先生をしていらっしゃる方のコメントを載せます。
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 学力とは人間力である
 今直ちに自分を変えよう。気持ちだけはは二流、一流は実行する。三流は口だけ。その気持ちになったとき、間髪を入れずにいっきに変わることである。面談を終えてすぐに自分自身を変えてみよう。
 人間の質やレベルが上がって本物にならないと学力はあがらない。
 世間では 頭はいいけど冷たい という言い方が良くなされます。そして、この言い方がより定説化されると、 頭のいい人は冷たい。頭の良さと心の温かさは反比例する。 という極論になる。 頭がいい という定義はここでは論じないが、このような世間で言われ言説は人々の経験に基づいた常識的な因果関係のように言われている。この 頭がいい人はつめたい という経験則は 頭の良くない人 のやっかみ、つまり、 ニーチェの言うサンチマン(一般人のやっかみ)の産物なのです。
 ここでは差別的な考えを述べているわけではない。 頭がいい人はつめたい という人は、頭の良さと人間の良さを別物として捉えており、その考え方が誤りだといいたいのです。さらに、人間が良くならなければ本当に頭が良くならない、また、たとえ頭が良くても人間が劣悪ならば、その人を頭がいいと言ってはならない、といえる。
 これから受験勉強が本格化するにつれて、多くの人はその顔つきや姿勢がすっきりしたものになってきます。そういう変化をした人は、経験上かなりの確立で合格します。学びは人間を陶冶するものであるといえる。
 近頃、 本物 という言葉を好んで使っており、 本物 の定義をすると以下のようになる。
(1)本物とは、その姿に表れるものである。姿勢、顔つき、そしてまなざしの確かさである。
(2)本物とは、自分よりも、人のために、そして社会のために生きようとする心ざしをもっているも
のである。
(3)本物とは、言葉よりもその行動で、自らの存在を示すものである。
生徒には「本物」になってほしいと考える。口先だけの、自分のためにしか考えられない・行動できない偽物にはなってほしくないと考える。そして、偽物を駆逐してほしいものだ。学びというものの意義が日本から見失われて久しくなる。勉強を一生懸命することを恥ずかしいこととする風潮、さらには、からかいの対象にする風潮さえある。学びを軽んじる風潮など有史以来、どの国にもなかったことである。福沢諭吉の有名な 学問のすすめ の一節を掲げる。
 
 今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし。智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに出で来るものなり。
         福沢諭吉 学問のすすめ

 確かに現在においては、福沢諭吉がこの 学問のすすめ 初編 を書いた明治5年のように貴人や愚人はいませんが、その品性や品格において、人々の間に雲泥の相違があることを理解してもらわなくてはならない。もし、品性や品格が見えなくなったとしたら、この日本社会自体が、学びを忘れた社会なのかもしれない。生徒には是非この日本を本来のよき日本にしてほしい。
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続く

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